大野城市が誇る文学者 目加田先生ってどんな人?
更新日:2019年8月2日
目加田 誠先生
明治37年山口県で生まれ、苦学の末、東京大学を卒業し、九州大学・早稲田大学で中国古典文学の教授を歴任しました。
研究は多岐にわたっていますが、特に2千5百年前に編集された中国最古の詩集「詩経」を日本で初めて現代口語訳した功績は今日でも高く評価されています。
その学識の深さから学士院会員にも選ばれ、現在の年号である「平成」を決定する際には、政府から相談を受けた研究者の一人として知られています。
晩年には光を失いましたが、寂寥(せきりょう)感を和歌に詠み、歌集「残燈」を出版するなど、鋭敏な詩的感性も持っている人でした。
平成6年に90歳で亡くなりました。
目加田 誠先生 講義ノート
目加田 誠先生 プロフィール
明治37年から平成6年
山口県生まれ。
東京帝国大学卒。
九州大学、早稲田大学で教授を勤め、九州大学中国文学研究室および早稲田大学中国語・中国文学コースの創設者。学士院会員
目加田 さくを先生
大正6年福岡県で生まれ、平成22年に93歳で亡くなりました。
誠先生の伴侶であり、かつ日本古典文学者として、福岡女子大学・梅光女学院(現 梅光学院大学)の教授を歴任しました。朗らかでさっぱりした気性で多くの教え子に慕われていました。
日本文学の女性研究者として草分け的な人で、平安時代の物語を中心に幅広く研究しましたが、特に「源氏物語」についての論文を多く発表しました。また、研究だけではなく、教育者としても活躍し、若い女性研究者を積極的に支援しました。さらに、幼児期教育の一環として、地域の幼稚園の設立などにも力を尽くしています。
晩年は、アジアに限らず、西洋の小説まで視野を広げて、物語文学の本質を探ろうとした「世界小説史論」を刊行しました。
心をつなぐ目加田文庫
市は、この偉大な研究者夫妻が残した蔵書を市民だけではなく、多くの人が利用できるように、目加田文庫として整理作業を行っています。
目加田文庫には、両先生の著書はもちろん、研究のために集めた資料や手書きの原稿、中国の著名人から贈られた本人のサインが入った本など、貴重な資料が含まれています。
目加田 誠先生の著作物は「詩経」の注釈書をはじめ、「屈原」など専門分野の中国古典文学関係の本が多いのですが、随筆として「夕日限りなく好し」や「春花秋月」、前述した歌集「残燈」などがあります。 目加田さくを先生の著書として「平仲物語」・「物語作家圏の研究」・「日本小説史概論」・「平安朝サロン文芸試論」、「幼児期の教育 園児と共に歩こう」などがあります。
目加田 誠先生の著作物
目加田さくを先生の著作物
目加田 誠 先生の「詩経」の世界
目加田 誠先生の研究の中で最大の業績は『詩経』の研究と言われています。
『詩経』は紀元前12世紀頃から紀元前6世紀頃までの中国の詩を集めたものですが、形が整えられたのは孔子・孟子の次の荀子(じゅんし)が活躍していた時代で、紀元前3世紀頃のようです。
3百余編の詩が収められていますが、そのうち160編は中国国内にあった国々の民謡としてうたわれていたものです。
目加田 誠先生は難しく訳されていたものを古代中国の民衆の詩として分かりやすい現代語に訳しました。
例えば、次の「桃夭」(とうよう)という詩はお嫁に行こうとする若い娘を祝う歌で、漢字4字4行を1組(四言一句)にして3組を組み合わせたものです。原文と目加田 誠先生の訳を比べてみてください。
- 桃之夭夭 桃は若いよ
- 灼灼其華 燃え立つ花よ
- 之子于歸 この娘嫁(こゆ)きゃれば
- 宜其室家 ゆく先よかろ
- 桃之夭夭 桃は若いよ
- 有其實 大きい実だよ
- 之子于歸 この娘嫁きゃれば
- 宜其家室 ゆく先よかろ
- 桃之夭夭 桃は若いよ
- 其葉蓁蓁 茂った葉だよ
- 之子于歸 この娘嫁きゃれば
- 宜其家人 ゆく先よかろ
それぞれの句の二行目を華、実、葉と変えながらも前後は同じ調子の詩ですが、目加田 誠先生はそのリズム感を大事にして、非常にテンポ良く訳しています。
目加田 誠著作集の解説をしている稲畑耕一郎さんと田中和夫さんは、このことを「あたかもわが国の古謡を読むかと錯覚するほどに見事な日本語に移されていて」と表現しています。このようなことが目加田 誠訳『詩経』が今でも読まれている理由だと思われます。
註:「桃夭」は『定本詩経訳注(上)』目加田 誠著作集第二巻 龍渓書舎 昭和58年から引用しました。
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