大野城をあるく(原口城門)
更新日:2019年10月21日
(広報「大野城」 平成25年3月15日号掲載)
大野城跡では現在9カ所の城門が知られています。今回紹介するのは「原口城門」です。平成15年7月に起こった集中豪雨災害の復旧事業のとき、新しく見つかりました。
現在の原口城門(尾花礎石群側から)
現在の姿
原口城門は尾花礎石群から歩いて5分、第8番札所の近くにあります。上は現在の写真です。城門は埋め戻され、緑のビニールシートがかかっています。城門の面影はシート中央のくぼみに残っているのみです。
原口城門の調査と構造
平成17年、太宰府市教育委員会によって調査が行われました。調査の結果、土塁のくぼんでいた部分から城門を構成する石列・柱穴・軸摺穴(じくずりあな)のある一対の石などが見つかりました。石列は城門の両脇に複数の大きな石を積み並べており、石列間の幅は3.3メートルありました。
見つかった柱穴には後世の土や石積みが乗っていました。軸摺穴のある石も礎石として再利用されている可能性があることから、建て替えなどが行われたと考えられています。
他の城門の場合、幅が4メートルを超え、通路の石積みも大きさの異なる石を使ってきれいに積み上げてあります。
これらと比べてみると原口城門は小型で簡易な構造をしていることが分かります。そのため後世に作られた城門ではないかとも言われていますが、もし築城当初から存在していれば、木戸口(通用口)のような性格を持っていたのかもしれません。
また、この調査で城門部分の埋土からガラスや空き缶が出てきました。
おそらくここ数十年の間に、元々城門のため土塁がくぼんでいたのを、土塁が壊れた箇所なのだと思い補修しようと埋めてしまったようです。
原口城門への登城路
現在、城外側は急勾(こう)配の崖になっています。もともと傾斜のある地形だったのですが、災害などで土塁が崩落したためでしょう。そのため、どうやって城門に出入りしていたのか発掘調査で知ることは困難です。
ただ、江戸時代後期の古絵図「太宰府旧蹟全図」に手がかりが残っています。地図には城門近くに「大人足形(おおひとのあしかた)」という地名が書かれ、そこから天満宮方面へ下る道が記されていました。これは現在の九州自然歩道とほぼ重なる道です。当時は、この道が原口城門につながっていたのかもしれません。
原口城門からは九州国立博物館や太宰府天満宮が一望できます。城門跡に立って、下の町から原口城門を目指して登ってくる人々を想像してみてはいかがでしょう。
注:大野城跡へのアクセス方法は関連リンクを参照してください。
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