大野城をあるく(猫坂礎石群)
更新日:2019年10月21日
(広報「大野城」 平成24年4月15日号掲載)
猫坂礎石群の場所
四王寺県民の森センターから南へ下ると「子どもの国」があります。
その西側の小高い尾根に、猫坂礎石群はあります。
鏡山 猛さんの調査
鏡山さんは、礎石建物4棟のうち北側2棟と南側1棟を計測しました。
そして、大野城内のほかの礎石群の建物と比較し、3間×4間が小さいサイズであることに注目しています。
九州歴史資料館の調査
その後、九州歴史資料館が本格的な発掘調査をしました。
礎石建物4棟が再度調査され、掘立柱(ほったてばしら)建物1棟が南側の尾根端で見つかりました。
掘立柱建物の柱の穴は大きく、直径約1.2メートル、深さ1.3メートル の隅丸方形をしています。この掘立柱建物では、礎石建物にある排水施設が見つかりませんでした。建物の三方向が斜面になっているため必要なかったと考えられています。
掘立柱建物は、太宰府口1期城門
(7世紀後半)や主城原(しゅじょうばる)礎石群でも見つかっており、関連性が今後の研究課題として残されています。掘立柱建物がある場所は、建物を建てるために尾根を削っています。ただ、北側建物群の東側は、人工的に平坦に造ったことが分かりました。斜面の草木を焼き払い、削った尾根の土砂をその上に盛っています。この部分は、土砂が崩れるたびに補修作業を行っていた痕跡も見つかりました。
これらの調査で、大量の瓦や奈良から平安時代の土師器(はじき)・須恵器(すえき)が出土しました。
遺構配置図(九州歴史資料館)
猫坂礎石群の疑問
猫坂礎石群は、土塁線の内側で、土塁線よりも標高が低い場所にあります。そして、地面の補修を行いながら、瓦ぶきの建物が軒を接して建てられています。そのため、十分な広さが確保できない場所なのに倉庫が建てられたのは、何らかの理由があったものと考えられます。
この機会に猫坂礎石群を訪れ、この場所にどのような意味で建物が建っていたのか、四王寺山の内側を見渡しながら想像してみませんか。現地では、築造当時の状況を感じられるように、礎石建物の礎石周りを石材などで覆わず、掘立柱建物の柱の位置に樹木を植えるなど、史跡環境整備が行われています。
注:大野城跡へのアクセス方法は関連リンクを参照してください。
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