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大野城市

大野城をあるく(広目天礎石群)

更新日:2019年10月21日

(広報「大野城」 平成24年3月15日号掲載)

「けいさしの井戸」から土塁に沿って北に3分ほど歩くと、道から少し高い位置に開けた場所があります。そこが広目天礎石群です。

広目天礎石群の特徴

大野城跡にある増長天や尾花といった多くの礎石群は、大野城に関わる倉庫と考えられ、大きな石を礎石として使用した総柱建物がいくつか集まったものです。
それに対し、広目天礎石群は比較的小さな石を礎石として使ったもので、総柱の建物ではありません。また1棟のみで、倉庫跡と考えられる他の礎石群とは異なっています。
では、広目天礎石群にはどのような建物があったと考えられているのでしょうか。本格的な発掘調査は行われていませんが、鏡山 猛さん・小田富士雄さんの調査によれば、礎石は南北に7間、東西に3間並んでおり、西側に数個の礎石、また、北から3間目に南北を分けるように礎石が2個あります。
小田さんは、この礎石の配置から南側が仏間、北側が礼拝堂で、西側にひさしがつく小さなお堂だったと考えています。
また、広目天礎石群は山城大野城ではなく、奈良時代に創建された四王寺に属する可能性が高いと推定しています。

四王寺と広目天

宝亀5(774)年、新羅との関係が悪化したため、都から大宰府へ、眺望の良い清浄な地で四王寺と四天王の像を安置せよとの命が下りました。この命に従い選ばれた大野山に、四王寺が建てられました。
現在、大野城跡には北に毘沙門天、東に持国天、南に増長天、そして西に広目天と四天王の名が残っています。つながりは不明ですが、かつてそれぞれの地に四天王が奉られていたのかもしれません。
広目天礎石群は、大野城が軍事的な山から祈りの山へと役目を変えたことを私たちに伝えています。

広目天礎石群イラスト
広目天礎石群

鏡山 猛『大宰府都城の研究』より一部加筆・修正
広目天礎石群

注:大野城跡へのアクセス方法は関連リンクを参照してください。

このページに関する問い合わせ先

地域創造部 心のふるさと館 文化財担当
電話:092-558-2206
ファクス:092-558-2207
場所:大野城心のふるさと館1階
住所:〒816-0934 福岡県大野城市曙町3-8-3

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