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大野城市

大野城をあるく(坂本口城門)

更新日:2019年12月24日

(広報「大野城」 平成23年12月15日号掲載)

大野城の中には、北側(博多側)の宇美口城門・北石垣城門・小石垣城門、南側(太宰府側)の原口城門・太宰府口城門・観世音寺口城門・坂本口城門・水城口城門・クロガネ岩城門の計9カ所の城門が見つかっています。
今回紹介するのは坂本口城門です。

坂本口城門へのルート

前回紹介した大石垣を背に左方向(広目天跡側)に土塁を歩くと、石仏三十三ヶ所霊場29番札所があり千手観音菩薩が祀まつられています。
ここには「坂本口城門へ」の道標(みちしるべ)があり、これから山道を50mほど下っていったところに礎石があります。坂本口城門へ登るルートに、大宰府政庁跡裏手の坂本からの登山道があります。この登山道は、地元の人々が「車道(くるまみち)」と呼んできた道で、江戸時代の『筑前国続風土記(ちくぜんのくにしょくふどき)』巻ノ八に、「四王寺に上るふもとにて道筋なる故坂本といふ。車も通りし故に車道とも云。…門の礎あり。大なる扉の跡あり。…」と書かれています。
江戸時代文化3(1806)年に作られた太宰府旧蹟全図(だざいふきゅうせきぜんず)(北図)絵図にも、この登山道が描かれ「比スジ昔ノ大道也 門石スエ」との説明があります。また、坂本登山道の麓には「四王寺ザス善正寺ヤシキ」とも書かれています。
登山道は、大野城築造109年後の宝亀5(774)年に大野城内に建立された四天王寺へ僧侶が登る道としても利用されたのかもしれません。このように坂本登山道は古来より由緒ある道でしたが、平成15年の集中豪雨で登山道の一部が崩壊してしまいました。現在は復旧しています。

登山道に残る礎石

坂本登山道には現在1個しか礎石がありませんが、「筑前国続風土記拾遺(ちくぜんのくにしょくふどきしゅうい)」には2個残っていたとあります。しかし、大正10年の福岡県の調査報告書には、すでに1個しか残っていないと書かれています。
礎石は元の場所から動いていると考えられていますが、この周辺ではまだ正式な発掘調査は行われていません。そのため、城門の規模や上屋建物の構造なども分かっていませんが、登山道周辺から多くの瓦片が見つかり、建物は掘立柱様式で、瓦葺ぶきの屋根だったと考えられています。
礎石は正式には「唐居敷(からいしき)」と呼ばれ、花崗岩(かこうがん)を使用しています。最大長2m、最大幅1mの大きさで、中央部に径20cmの円形と長方形にえぐり貫かれた孔があります。円形の孔が「軸摺穴(じくすりあな)」で長方形のものが「方立穴(ほうだてあな)」と呼ばれています。
大野城は当初、武力から国を守るために築かれましたが、後には神仏の力で国を守る聖なる場所へと変化していきます。先人達の残した大切な遺産を一度訪れてみましょう。

注:大野城跡へのアクセス方法は関連リンクを参照してください。

 

このページに関する問い合わせ先

地域創造部 心のふるさと館 文化財担当
電話:092-558-2206
ファクス:092-558-2207
場所:大野城心のふるさと館1階
住所:〒816-0934 福岡県大野城市曙町3-8-3

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