大野城をあるく(大石垣)
更新日:2019年12月24日
(広報「大野城」 平成23年11月15日号掲載)
これまでに、大野城の石塁は6カ所(百間石垣、大石垣、水ノ手石垣、北石垣、小石垣、屯水(とんすい)石垣)確認されていましたが、平成16年から21年の災害復旧工事の際に原地区で1カ所(原石垣)見つかり、確認されたのは全部で7カ所になりました。最大のものは百間石垣で、大石垣はその次に大きな石塁です。
大石垣とは
増長天礎石群から広目天礎石群へ行く遊歩道を5分ほど歩くと、左手に九州自然歩道につながる道にあたります。その道を約5分から10分下ったところに大石垣があります。
大石垣の高さは、昭和50年の発掘調査時は4.5メートルでしたが、平成16年から21年の調査では6メートルと分かりました。全長は『大宰府都城の研究』(鏡山猛 著)によると、64メートルあったといわれています。一方、江戸時代に書かれた『筑前国続風土記』巻ノ八(坂本村の項)では、「石垣の高二、三間、長さ七、八十間」とあり、当時は高さ約5メートル、長さは140メートル余りあったと考えられます。大石垣は、昭和47年から48年・平成15年に集中豪雨に遭い、谷部の石塁が崩壊しなければ、『筑前国続風土記』に記されていた大きさのままだったのかもしれません。
大石垣
大石垣の構築技術
発掘調査は、昭和50年と平成16年から21年に行われました。調査成果から石塁がどのように積まれているのか見ていきましょう。
谷底から約1メートルは大きさが違う石を乱雑に積むのに対し、その上からは規則性をもって積んでいます。谷部では水が集まりやすく、いかに水を上手に逃がすかが大きな鍵となります。そこであえて底部の石組みを乱雑に積み、自然排水を狙ったのでしょう。
小石垣でも大石垣と同じく底部の石組みを乱雑に積み上げています。また、屯水石垣では吐水口を設けています。ところが、大野城では御所ヶ谷神籠石などで確認されている大きな石を使った水門は見つかっていません。おそらく雨などの影響を受けやすい石塁は、各々の排水環境に見合った石の積み方と排水施設を設けたのでしょう。
白村江の戦いに敗れた古代の人たちは、いつ唐や新羅が攻めてくるかと恐れている中、石塁を大急ぎで作り上げていったのでしょう。千年以上も昔の人たちが苦労して積み上げた石塁は、後世の人たちの手によって守り継がれています。
注:大野城跡へのアクセス方法は関連リンクを参照してください。
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