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大野城市

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水城をめぐる17〈水城の復旧〉/水城をめぐる18〈水城のこれから〉

更新日:2019年12月5日

水城をめぐる17〈水城の復旧〉

(広報「大野城」 平成26年12月15日号掲載)

築造から1350年を経て、現在もその威容を誇る水城跡ですが、風水害により破損することがあります。そのような場合は、壊れた部分を復旧しなければなりません。平成18年9月、福岡地方を襲った台風13号では、最大瞬間風速49メートルという福岡管区気象台観測史上第二位の暴風が吹き荒れました。このため、水城跡の土塁上の樹木が根こそぎ倒れ、土塁に大きな穴があく被害が生じました。

台風13号の影響で樹木が倒された写真

このままでは土塁の破損がさらに進み、二次災害が発生する危険性があったため、できるだけ早く復旧しなければなりませんでした。ところが、史跡の復旧は、単に穴を埋めれば良いというものではありません。破損する前の状態に戻すのが原則です。そのため、破損部分を調査した結果、粘土と砂を交互に突き固めながら積み上げた「版築」と呼ばれる工法で築かれていたことが分かりました。
発想を転換すると、この時の被災は、築造当事の水城の構造を見ることのできる得がたい機会であったともいえます。そこで、復旧工事を行うにあたっては市民の皆さんの参加を募り、水城をより深く理解していただき、力を合わせて21世紀の水城を造り上げる計画を作成しました。まずは皆で土塁の破損部分の土の積み方を観察し、「版築」と呼ばれる工法が用いられていることを確かめました。その後、「胴突き」と呼ばれる道具を使って粘土と砂を交互に突き上げ、見事に21世紀の水城ができ上がりました。

胴突きの写真


水城をめぐる18〈水城のこれから〉

(広報「大野城」 平成27年1月15日号掲載)

 水城ゆめ広場の写真水城築造1351年

水城築造1351年のときの水城ゆめ広場の写真『日本書紀』に664年に造られたと記された水城跡。新年(平成27年)を迎え、築造1351年になりました。
水城跡は、土塁と濠からなる遺跡ですが、次第に濠は埋まり、土塁には木が繁茂しています。現在では、周囲が宅地化されているため、築造当初の姿を想像するのはなかなか難しくなっています。
しかし、土塁は10メートルの高さを今なお保ち、わずかに失われた部分はありますが、防衛施設としての威容はいまだに失われていません。それは築造以降、地域の人々によって、水城跡が大切に守られてきたからです。

水城のこれから

大野城市・太宰府市・福岡県・九州歴史資料館は共同で水城跡を保存整備する事業を進めています。その一環として、平成26年11月22日にオープンした水城ゆめ広場は、皆さんに水城跡を訪れてもらうために整備しました。
これから西門跡や外濠など様々な場所で、整備のための発掘調査を行い、そこで見つかった調査成果を基に整備事業を進めていきます。
この事業を地域の皆さんと一緒に進めていくことで、より多くの人が水城跡を訪れ、水城跡についてより深く知ってもらえることを期待しています。
築造1350年の節目を越えた水城跡を、大野城市の貴重な歴史遺産として、私たちが守り伝えていかなければなりません。

このページに関する問い合わせ先

地域創造部 心のふるさと館 文化財担当
電話:092-558-2206
ファクス:092-558-2207
場所:大野城心のふるさと館1階
住所:〒816-0934 福岡県大野城市曙町3-8-3

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