民具展/布を縫う時の道具
更新日:2019年8月19日
大野城市に資料として寄贈された民具の中で、とくに布を縫う時の道具を紹介します。
布を縫う時の道具
裁縫道具・裁縫箱(さいほうどうぐ・さいほうばこ)
裁縫道具とそれを入れた箱。裁縫箱には横にくけ台がついています。ふたの部分に熱いこてをおいたあとがついています。縫い物中に、うっかり置いてしまったのでしょう。
針・針刺し(はりさし)・指貫(ゆびぬき)・糸・へら・チャコ・物差し・鋏(はさみ)など、今でも使う道具がいっぱいつまっています。
くけ台
縫い物をするとき、布をピンと張るための道具です。この道具ではさみ、片方の手で布を引っ張るときれいに縫えました。
袖型(そでがた)
着物を縫うときは、ほとんどの部分が直線縫いですから、袖の丸いところなどは縫いにくいです。袖型を当てると、型とおりに丸く縫うことができました。
へら台
へらで布に型をつけるとき、下敷きにしたものです。表は模様のついた布がかぶせてあり、裏は着物の仕立て方の図がのっています。
こて
今でいうアイロンと同じ役目の道具です。先の部分を、冬なら火鉢に差し込んで熱してから、衣服に当てしわを伸ばしました。当て方が強すぎると布が焦げるので、力加減には気を使ったそうです。のちに電気で熱するコードつきのこても発売されました。
アイロン
明治~大正時代までのアイロンは炭火で熱くしたものでしたが、昭和初期になると電気アイロンが出来ました。大野城市の資料は、雑餉隈にあった旅館のおかみさんが、嫁入り道具としてもってきて使っていたものだそうです。
アイロン台
アイロンをかけるときの台です。細長い形なのは、袖にアイロンを掛けやすいように作られているからでしょうか。
火のし
アイロンやこてと同じ役目の道具です。中に火をおこした炭を入れ熱くしました。
着物の基本
着物とは、私たち日本人が昔から着ている服の総称で、西洋の衣服(洋服)に対していう和服のことです。現在のような形や種類になったのは、江戸時代のことと考えられています。着物の種類は、たくさんありますが、その中の「小袖(こそで)」が、現在の一般的な着物のことです。もともと小袖は、貴族が衣服の一番表に着るものの下に着ていたもので、室町時代頃から武士や庶民の力が強まるにつれて、表に着る物に変わり、現在のようになったといわれています。
着物を着るときは、右の前身を下にし(下前〈したまえ〉)、左の前身を上にして(上前〈うわまえ〉)着て、これを右前(みぎまえ)と呼びます。死者は逆に左前(ひだりまえ)にします。
大人の着物は、本裁(ほんだち)といって、並幅1反(たん:約36センチ×10.6センチ)の布で仕立てます。生まれたばかりの赤ん坊から2歳ころまでの子どもの着物は、一つ身という、後身を並幅で裁つ方法で仕立てます。3歳から4歳頃の着物は、三つ身といい、身ごろ(前身+後身)の3倍の布で仕立てます。5歳から9歳頃の子どもの着物は、四つ身といい、身ごろの4倍の布で仕立てます。
現在私たちは着物をお店で買ってきます。しかし、昔は普段着る着物は、そのほとんどを家にいる女性が作っていました。農作業や家事などの仕事をすませたあとに着物を作っていたようです。また、1年に1回は着物の糸をすべてほどいて、仕立て直しをします。この作業は、農作業のない冬の間に行っていました。仕立て直しは手間がかかるように思えますが、この作業で着物を傷めずに長く着ることができました。
大野城市における着物
明治22年(1889年)、のちに大野城市になる御笠郡(みかさぐん)大野村ができた頃、住民のほとんどは農家で、麻や木綿の着物を着ていました。大人の着物の種類は、労働者・普段着(これらはケ着という)・晴れ着に分かれていました。労働者は「テクリ」という上着に、男性は「股引き(大野城市ではパッチともいった)」、女性は「ジバン」「イモジ(ユマキともいい、腰巻のこと)」という下ばきをはきました。家事の時は前掛けをつけ、冬は「ヒョウヒョウ」という袖筒を上に着ました。外出や宴会などの時は、男女ともに長着を着て、男性は上に袖筒の羽織や「ポンシン」というわた入れ羽織を着ました。長着にも冬は綿を入れました。晴れ着は婚礼や正月などに着て、一番良い長着を選びました。
子どもたちは幼児の頃は一つ身の木綿の着物、5歳から12歳ごろまでは四つ身の着物を着ました。これは前身ごろの胸から後ろ身ごろにかけて別の布を縫い合わせる「肩つぎ」という作りにしていました。夏は単衣(ひとえ)、冬は袷(あわせ)で背中にだけ綿を入れました。冬は子ども用で袖なしの「ポンシン」を上に着たりもしました。
また、子どもの着物は必ず肩上げ・腰上げをしますが、腰上げ部分はちょうど袋状になるので、子どもたちはポケット代わりに利用したそうです。おもちゃ・お菓子など大切にしまい、時には奥まで入れすぎて取れなくなってしまったといいます。
大野城市に伝わる着物についての言い伝え
- 着物を裁つ日で、申(さる)の日・寅(とら)の日・8の日は縁起がわるい。(さるとりようかにものたつな)
- 酉(とり)の日は「鳥ノハガサネ」で、衣服が多くなるので縁起が良い。
- 着初め(きぞめ)の日は神棚の前に着物を両手でささげる。
- 新しく縫った着物をそのまま着ると縁起が悪い。
- 着物を洗濯したら夜干しはするな。(死者に着せる「ミズカケギモン(注)と同じになる)
(注)死者の着物を、死後3日間、昼夜の間竿にかけて、身内が水をかけ続けること。この間に死者が火の山を越えるので、熱い目にあわないために行うという。
あなたも何か着物についての言い伝えを聞いたことはありませんか?
参考図書
- 文化庁文化財保護部監修『日本民俗文化財事典』第一法規出版(1979)
- 宮本馨太郎編集『[図録]民具入門事典』柏書房(1994)
- 谷田閲次・小池三枝『日本服飾史』光生館(1997)
- 野村辰雄『上手に縫える 新訂版 着物の仕立て方』結城書房
- 大野城市史編纂委員会『大野城市史 民俗編』(1989)
- 小泉和子『昭和のくらし博物館』河出書房新社(2000)
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