大野城物語 ダイジェスト版 タスケ岩の伝説
更新日:2019年9月24日
ダイジェスト版(1)序章
古代から倭国(わこく)は、朝鮮半島諸国から様々な思想や文化を取り入れながら、国家を発展へと導いてきた。特に百済(くだら)は、仏教をもたらすなど、倭国にとって最も結びつきの強い国であった。
朝鮮半島諸国は権力争いを長い間繰り返していたが、新羅(しらぎ)が大陸の国「唐」を味方につけると、630年に百済を滅ぼす。3百年以上の歴史を持つ百済は、こうして幕を閉じた。
しかし、国の復興を望む百済人が倭国に助けを求める。
663年、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)は、2万7千人の兵を率いて、今の博多港から船団を組み、百済を目指した。厳しい航海の後にようやく朝鮮半島にたどりついたものの、白村江(はくすきのえ)で唐・新羅の水軍からはさみ撃ちにされ、倭国の兵士たちのほどんどが異国の海に沈んだ。
こうして倭国は、大敗する結果となった。これが「白村江の戦」である。
敗戦の傷が癒えぬまま、今度は防衛強化を急がねばならなかった。唐・新羅がいつ攻撃をしかけてきても、おかしくはない。
そこで皇子は、自国にこれまで存在しなかった山城なるものを、軍事上大切な場所に築くことを決めた。いざ攻め込まれても、山城があれば
そこへ逃げ入り、蓄えておいた食糧で生き延びることができる。山城に武器を備えてさえいれば、機を見計らって攻め出すこともできるのだ。
大和朝廷は、百済から逃げてきた技術者の指揮によって西日本各地に山城を築かせた。その中でも特に、国防の最前線として、北部九州における山城の完成を急いだのである。
つづく
このコーナーでは、大野城物語を紹介します。挿絵は漫画版の表紙カバーの画像です。
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ダイジェスト版(2)大野の里人
大野村は収穫の時期を迎え、村のどの家でも家族が力を合わせて働いていた。
そんな中、一人黙々と働く青年がいた。彼の名は、タスケといった。タスケの母親は彼が七つの時に急な病で死んだ。父親が白村江の戦いにかりだされ消息を絶ったのは、つい最近のことである。
気がつくと、おてんとうさまはすでにてっぺん近くまで昇っている。朝から休まず働き続けてきたタスケは、稲刈りの手を止めて「うーん」とひとつ大きな背伸びをした。
少し離れた場所から自分を呼ぶ声がする。
「母ちゃんがにぎり飯ときのこ汁ばこさえてくれたぞ。お前も一緒に食わんか?」
カケルが畔(あぜ)に立って言った。
タスケとカケルは幼なじみだった。きまじめで物静かなタスケとは対照的にカケルは快活でおっちょこちょいな面もあった。けれども、性格が正反対の二人は、なぜか妙に馬が合った。カケルにとってタスケは、誰よりも心を許せる親友だった。
畔では、カケルの家族が昼餉(ひるげ)を囲んでいた。赤米のにぎり飯を受け取りながら、タスケも輪に入った。
カケルの母親は、タスケの仕事の進み具合が速いことに感心していた。「父ちゃんと母ちゃんも、えらい働き者やったけんね…」
タスケに亡き父母の記憶がふとよみがえり、言いようのない寂しさが込み上げた。
タスケの気持ちを敏感に受け止めたカケルは、話をなんとかそらそうとした。「飯ば食うたら、お前の田んぼは俺が手伝ってやるけんな」
その時、里人の一人があわてた様子で走ってきた。「みんな広場に集まってくれ。お役人の来らっしゃるけん、ただことではなかばい。とにかく遅れんように来なよ」
つづく
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ダイジェスト版(3)大野の里人
タスケたちが広場に到着した頃には、すでに村人のほとんどが集まっており、落ち着かない様子で話をしていた。
「佐伯広足(さえきひろたり)様、どうぞこちらへ」
村長が、冠をかぶった立派なお役人を、広場の中央へといざなう。
それから村長は、緊張した面持ちで村人たちに向かって言った。
「これから、朝廷からのお達しがある。みな心して聞くように」
佐伯はものものしい口調で言った。「倭国が、白村江(はくすきのえ)の戦いで負けてしまったことは皆、すでに承知のことであろう。新羅(しらぎ)や唐がいつ海を渡り攻撃をしかけてきても不思議ではない。よって朝廷は、この地域の守りとして山城の築城を我々に命じられた」
村人たちは互いに顔を見合わせた。「山城」という言葉は、誰もが初めて耳にする響きであった。「まず、あの大野山の尾根に沿って土塁を巡らす。そして、谷には石垣を築いて、山の周りを土塁と石垣でぐるりと取り囲むのだ。山城の中には、武器や食糧を蓄えて、万が一の事があっても立て籠(こも)ることができるようにする」
毅然(きぜん)たる態度で話す佐伯だったが、その心の内は不安に駆られていた。
この国で、いまだかつてなされたことのない大事業を、果たして目の前にいる民衆が成し遂げることができるのであろうか?いや、それよりもまず自分自身が、これから何千人もの役夫たちを統率していくことができるのか?
しかし、その不安を口にすることなど絶対に許されなかった。これは、命に代えても遂行しなければならない。佐伯は自らにそう言い聞かせながら、さらに強い口調で言った。
「これは、国家の明暗を分ける大事業となるであろう。皆すぐさま山城の役務に取りかかるよう」
(戦はまだ終わっとらんのか)
タスケは、心の奥底に閉じ込めていた悲しみが、どっとあふれ出しそうになるのをこらえるので精一杯だった。
つづく
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ダイジェスト版(4)土の鎧(よろい)1
大野山では、今日もたくさんの役夫たちが働いていた。山頂付近では、木々がすでに伐採され地山がむき出しになっている。タスケとカケルは、モッコの両端を担ぎ土を運んでいた。もう何千回繰り返したことだろう。二人が丸太と板で組まれた型枠の一つに今運んできたばかりの土を落としこむと、別の役夫たちがそれを棒で強く突き固めていく。
広足(ひろたり)は、大和朝廷から山城の技術指導者として任命された百済人の億礼福留(おくらいふくる)と四比(しひ)福夫(ふくぶ)と共に、工事の様子を見守っていた。初めて山城の工事を指揮する広足にとって、山城づくりに精通した二人の存在は大変心強かった。
けれども、工事が始まってもう百日以上が経つというのに、作業はなかなか進んでいなかった。役夫たちが仕事に不慣れなことも大きな原因の一つだったが、それにも増してこの工事自体が大変根気のいる作業だったからである。
「版築(はんちく)工法」というこの大陸の技術は、土の壁となる位置に型枠をつくり、内部に土を入れて一層ごと丹念に突き固める、という工法であった。この方法で城壁を築くには大量の土砂を必要とし、型枠の中に入れた盛土は岩盤のように硬く突き固めなければならないことから、並々ならぬ労力を費やす。
見上げる程の高さまで積み上げなければならないはずの土の壁は、まだ腰のあたりにも達していなかった。
「この土の鎧は、いったいいつになったらでき上がるとやろうか?」
つづく
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ダイジェスト版(5)土の鎧(よろい)2
ある日の夕刻、地方から役夫として来ていた男が、幼い娘を連れた百済人の父親に向かって怒鳴っていた。「甑(こしき)を持っていない、と言うから貸してやったのに、縁起が悪いったらありゃしねぇ」
父親の後ろから隠れるように様子を伺っていた娘は泣き出してしまった。
器のヒビは、病や怪我の前兆を意味する。男の出身地では、そういい伝えられていた。タスケは、自分が使っていた甑を持ってくると、
「悪気あってのことではなかろうけん、これで許してやってはくれんか」
そう言って、甑を男に渡した。百済人の父親は、申し訳ないという様子で、タスケに何度も頭を下げた。
一部始終を見ていたカケルは、幼い娘相手に激高した男のことを鼻で笑っていた。
けれども、カケルの父が
「あの男も国元ば離れ、たった一人見知らん土地で暮らしとるとたい。達者で家族のもとへ帰れるかどうか、そればっかりが気がかりやったに違わん」
と諭(さと)すと、先ほどとは打って変わって、男のことが不憫(ふびん)に思えてきた。
実際、慣れない土地での暮らしに、日々故郷への思いを募らせていた役夫は沢山いた。祖国を失った百済人は、なおさらである。
山城築城というこの大事業は、それに関わる者たちが一致団結して挑まねば、とうてい成し遂げることはできない。しかし、さまざまな境遇にあるこの役夫たちの心が一つにまとまることなど、誰も想像すらできなかった。
注:甑(こしき)…米を蒸すための道具
つづく
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ダイジェスト版(6)百済(くだら)の父娘
季節はひと巡りしようとしていた。山の周囲には、土を何十層と積み上げた土塁がめぐらされている。完成までもう一息であった。しかし、ここに至るまでにはそれ相応の苦労があったことは言うまでもない。労働によって肉体が強きょうじん靭に鍛えられていく一方で、精神はもうそろそろ限界というところまできていた。
午後の日差しが頭上を照らす中、タスケとカケルは、汗だくになりながら、土を運ぶ。土塁の上には、突き棒を持った男たちが土が落とし込まれるのを待ち構えていた。
タスケは、その中に以前助けた百済人の父親がいるのに気付いた。甑こしきの一件から、タスケは百済人の父親のことが気になってはいたが、声を掛けても軽く会釈するだけで、彼が里人の輪に入ることはなかった。百済人の父親は、突き棒を振り上げたと思うと、急にばたりと倒れ込んだ。
「おい、大丈夫か?」
タスケは、驚いてそばに走り寄った。
百済人の父親が正気づいたのは、それからしばらく経ってからのことである。
「ちょうど皆、仕事ば終えて帰りよるけん、落ち着いたらあんたも家に戻るとよか」
タスケが声を掛けると、父親は、はっと何かを思い出したように体を起こした。
「あんた、心配事でもあるとじゃなかとね? 余計な世話かもしれんが、俺に話してみんしゃい」
父親は、しばらく迷っていたがそのうち重い口を開いた。
「娘が、病気で寝込んでいるのです」
話を聞くと、父親は、何日も熱が続く娘を心配して、毎晩眠らずに看病しているというのだった。娘の名はイシン、父親の名はセンフクといった。
「俺がどげんかしてやるけん、もう少しだけ待っとってくれんかいな」
つづく
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ダイジェスト版(7)渇水への不安
「もうひと月になるか」
村長は空を仰いだ。大野の里にはしばらく雨が降っていなかった。田んぼのことを心配し、仕事に身が入らない里人たちを見るにつけ、村長はなんとかしてこの状況を変えなければならないと考えていた。そこで村長は、天と通じる術を持ち、この土地のことを他の誰より熟知するメドリという巫女(みこ)に、このことを相談した。
「このまま放っておいたら、今年は大凶作になるじゃろうな」
メドリは言った。そして、沈痛な面持ちの村長に対し、”雨乞い”するより他に方法はないであろう、と助言した。
大野の里人たちは、雨乞いの準備を大急ぎで進めた。山城づくりから戻った男たちも、儀式のための祭壇をしつらえるのに大忙しとなった。
そんな最中、カケルはタスケの姿がないことに気付いた。
「昼間倒れた百済の男ば、まだ看病しようとやろうか」
初めのうちは、さして気にしていなかったが、準備が終って里人たちがぞろぞろと祭壇へ集まる頃になってもタスケが現れないので、カケルは次第に心配になってきた。
しばらくして、白装束をまとったメドリが現れた。メドリは、祭壇の前に座ると、大きく両手を上げて天を仰ぎながら唱えた。
「大野山にかかれ黒雲よ。雨たもれ、雨たもれ、水を司り給う神よ」
メドリの声は、周囲を圧するほど大きくなり、そして次第に速まっていった。
「雨たもれ、雨たもれ、水を司り給う神よ、雨たもれ、雨たもれ」
里人たちは固唾(かたず)を呑んで見守ったが、雲は動く様子を見せない。雨を願うメドリの声だけが夕方の空にこだましていた。
つづく
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ダイジェスト版(8)少女を救ったタスケ1
人っ子一人いない夜の森。月明かりだけを頼りに、しゃがみこんでは生えている草の感触を確かめ、何かを必死に探しているタスケの姿があった。
この森には、幼い頃から父とよく山菜や木の実を採りに来た。ある日、タスケが地面に落ちたどんぐりを夢中になって拾っていると、大人の握りこぶしほどの大きさで淡い紫色をしたものが次々に落ちてきた。見上げると、木によじ登った父が、枝にからみついたつるくさからアケビの実をもいで地面に落としていた。父はするすると木から下りると、アケビの白く透き通った果肉を種ごと全部口に含み、黒く硬い種だけを器用に吹き出してみせた。タスケも真似してやってみたが、父のようにうまくできない。むきになっているうちに種を全部飲み込んでしまい、目を丸くしたタスケの姿を見て、父は大声で笑った。
タスケは今でも父母と過ごした日々を鮮明に思い出すことができた。懐しさに、自然と顔をほころばせていると、探していた感触があった。
「ジャノヒゲだ!」
幼い頃、タスケが風邪をひくたびに、母親は、このジャノヒゲの根っこを煎せんじて飲ませてくれた。幼いタスケにとっては、決してうまいものではなかったが、母の言いつけ通りにしぶしぶ全部飲み終えると、熱やせきはいつの間にか治まっているのだった。少し元気を取り戻すと、タスケは、必ずといっていいほど「膝の上で眠りたい」と母親にせがんだ。母親の胸元にぴったりと自分の頬を付けると、安心して眠ることができた。
この森には、両親との思い出がたくさん詰まっている。それらの思い出は、タスケにとって生涯忘れることはないと思える程、大切なものであった。深い闇をたたえていた森も、白い朝もやが目に見えるほど明るくなっていた。タスケは、まだやらなければならないことがあるのを思い出し、山を降りていった。
つづく
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ダイジェスト版(9)少女を救ったタスケ2
明け方近くになって、大きな籠を背負ったタスケが家に戻ってきた。
「いったいどこに行っとったと?」
カケルは、昨晩から戻っていないタスケが気がかりで、様子を見に来たところだった。
「あとで話すけん」
そう言ってタスケは、またすぐに急いだ様子で出て行ってしまった。カケルは、いぶかしがりながらも、ただ黙って後をついていった。
大野山の中腹に、百済人たちが住む小屋が数軒建っている。薪を取るために小屋の外に出ていたセンフクを見つけると、タスケは声を掛けた。
「遅うなってすまんやった」
小屋の中には、すっかり痩せてしまったセンフクの娘、イシンがいた。
タスケは籠を下ろすと、ジャノヒゲやアケビを取り出した。
「ジャノヒゲの根を煎じて飲めば、せきも止まる。残った分は、乾かして必要な時に使うとよか。アケビは、こうやって種ば出して食べるとよ」
そう言うと、昔父親に教わったように、種だけを上手に口から吹いてみせた。イシンは、タスケのまねをしながら、おいしそうにその実をすすった。それからセンフクが入れたジャノヒゲのお茶を飲むと、青白かった顔がほんのりと赤みを帯び、イシンはみるみる精気を取り戻していった。センフクは、タスケの手を取り、何度も礼を言った。
「血のつながりもない私たち親子のために、こんなにも尽くしてくれて、本当にありがとうございます」
そう言った後、センフクは大野村に来る前のことを語り始めた。センフクは、百済で山城造りの工人として働き、妻と娘の三人で暮らしていた。しかし、先の白村江の戦いで、住んでいた村が新羅軍の焼き討ちにあい、妻が亡くなってしまった。あまりの悲しみで頭の中は真っ白になり、気がついた時には娘と二人、倭国行きの船の上にいたという。同じように白村江の戦いで父親を亡くしたタスケは、センフクたちの辛さがよくわかった。
つづく
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ダイジェスト版(10)不思議な龍の話1
タスケが最愛の母親を亡くしたのもちょうどイシンくらいの年頃であった。
しんしんと雪の降り積もる冬の朝、母は、ちょっと薪を持ってくるから、とタスケに声をかけて家の外に出た。母の声で目を覚ましたタスケは、あまりの寒さでなかなか寝床を離れられずにいたが、しばらくして寝ぼけまなこのまま、ようやく床を出た。
生前の父の話によると、タスケの母はもともと無理しすぎる性格だったらしい。数日前から母の顔色が悪いことを気にした父は、仕事などせずに寝ておくよう繰り返し言い聞かせたが、病などではないから、と全く聞き入れなかった。
その日も、すでに明け方には起きて忙しく働いていた。タスケは、炉のそばで暖を取りながら母の帰りを待っていたが、いつまでたっても戻ってこない。腹もすいてきてたまりかねたタスケは、家の外を探し始めた。ほどなくして地面に伏す姿を見つけたとき、母の頬はすでに青ざめていて、足首の雪は血で赤く染まっていた。
「母ちゃん、母ちゃん」
驚いたタスケは、何度も何度も身体を揺さぶったが、母が目を開けることはなかった。身を切るような冷たい風が大野の里を吹きぬけていった。
いつもそばにいてくれた人は、もう今までのように自分の呼びかけに応えてくれることも、優しく抱きしめてくれることもない。母の死は、タスケにとって、この世の終わりが来たとでもいわんばかりの深い哀しみだった。
つづく
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ダイジェスト版(11)不思議な龍の話2
イシンの一件から、数日経った日のことだった。仕事が一段落し、里人たちが土塁の影で休憩していると、作業場の方からタスケを呼ぶ声がする。タスケが里人たちの輪から離れて作業場へ向かうと、すっかり元気になったイシンがいた。
「大人たちにおごられるぞ」
タスケは、注意深く周囲を見回してから、イシンを近くに立っている大木の下まで連れて行った。
「これをあげようと思って」
麻ひもの先に白くて丸い小さな石が通された首飾り。石にはこれまで見たこともないような珍しい生き物が刻まれていた。それは、大蛇のようでもあり、虎のようでもあった。
「この世のものとは思えん」
タスケは一瞬にして心を奪われた。「知らないの? これは「龍」っていうのよ」
イシンが言った。「龍にお願い事をすれば、その願いが叶うと言われているのよ。だから、この首飾りをタスケにもらって欲しいと思って」
タスケは、それを聞いて少しためらった。
「いやいや、これはイシンが大切にしとる物じゃなかと?」
「母さんが、私にくれた物よ」
イシンがそう応えたので、タスケはあわてて首飾りを返そうとした。
「そげな大切な物なら、受け取るわけにはいかんばい」
すると、イシンは真剣な表情でタスケに言った。
「私は、これを持っていたおかげでタスケに命を守ってもらえたの。だから、今度はタスケが守ってもらえるように、これを持っていて欲しいの」
彼女のひたむきな言葉に、タスケはそれ以上断るのが逆に気の毒な気がしてきた。それで、イシンに礼を言ってから、その首飾りを受け取ることにした。タスケは、石を太陽にかざして、何度も何度もさまざまな角度に傾けてみた。石の中の龍は、まぶしい光を放ちながら、ウサギのような真ん丸い目で、タスケのことをじっとみつめていた。
つづく
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ダイジェスト版(12)石垣の難工事1
土塁の完成が間近に迫ったある日、役夫たちは作業場の一所に集められた。
長かった役務に対して自分たちにねぎらいの言葉がかけられるのであろう。ほとんどの者がそう思っていた。ところが、山城造りを取り仕切ってきた朝廷の役人である佐伯の第一声はこうだった。「”北の要〞の石垣づくりが非常に難航しておる。よって、これから呼ぶ者たちは、即刻”土塁造りの役〞から”石垣造りの役〞に移ってもらうこととする」
有無を言わさぬ強い響きだった。朝廷が”北の要〞として最重要視した部分の工事は、勾配の激しい谷筋の斜面を石垣でふさぐ、という特に難しいものであり、作業に相当の危険を伴った。「北の要と言えば、一番の難所やなかか」「石垣造りやらやらされてみれ。いつ大けがして命ば落としても不思議じゃなか」
つい先ほどまでの期待が大きかっただけに、その分失望の度合いも大きかった。彼らは、自分の名が呼ばれないことだけをひたすら祈った。「これから呼ぶ集落の者は、前に出でよ」
その場にいた役夫たちは、佐伯の声に聞き耳を立てた。呼び上げられたのは、大野山の周辺集落の名であった。どうやら、石垣の工事には、近郊に住む役夫たちが回されるらしい。自分の住む集落の名を呼ばれた者は、がっくりと肩を落としながら、腑ふに落ちないといった表情で前に進み出ていった。その中には、当然のごとくタスケやカケルも入っていた。呼び集めた役夫たちを前にして、佐伯は改めて強い口調で言い放った。
「お前たちは、これをもって土塁の役から免除される。その代わり今から即刻、北の要へ移動するように」
その時、一人の男が突然、大声を上げた。
つづく
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ダイジェスト版(13)石垣の難工事2
「お待ちください!」
その場にいた者たちは、驚いて一斉にその男に注目した。
「恐れながら申し上げます」 名乗り出たのは、あのセンフクであった。
「私も、その北の要の役を是非承りたく存じます」 周囲はあぜんとし、ほどなくして場内にざわめきが起きた。
「私はセンフクと申します。百済の生まれで、先祖代々工人として、山城造りに携わっておりました」
「倭国に山城を築くことで、国を奪われた恨みを晴らそうとでもいうのか?」
佐伯が思わず声を発した。
「私は、戦で家族も友も祖国も失い、娘とともに倭国にたどり着いてから、自分の居場所はどこにもないような気がしてなりませんでした」
センフクはおくすることなく続けた。場内は静まり返り、誰もがセンフクの言葉に聞き入っていた。
「しかし私は、それが愚かな考えであることにようやく気付かされました。縁もゆかりもないはずの倭国の青年が、路頭に迷う私と娘のことを、まるで我が事のように親身になって、助けてくれた。私ができる恩返しは、祖国で培った山城造りの技術を、この国で活かすことだと思うのです」
カケルは驚いた表情で、横に立っていたタスケの顔をのぞき込んだ。タスケも、それが自分だ、ということがわかり少し気恥ずかしかった。しかし、センフクが辛い思いにふんぎりをつけるきっかけになったことに、喜びを感じていた。
「明日にでも敵が海を渡りこの国へ押し寄せて来ないとも限りません。私が祖国で守りきれなかった数々の命に報いるためにも、この山城を完成させ、大切な人を守らなければならない」
場内の者たちは、皆、混沌とした世界に一つの道筋が付けられていくような思いで、センフクの話に耳を傾けていた。
つづく
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ダイジェスト版(14)石垣の難工事3
センフクは、石垣造りを先導する”頭”の役目を与えられた。それは、指揮官らと役夫たちをつなぐ重要な役職として、佐伯がセンフクのために特別に設けたものであった。佐伯は、センフクに望みを託してみようと思っていた。意を決した表情で「力を尽くしたい」と言ったセンフクの姿が心から離れなかった。センフクに心を動かされたのは、佐伯だけではなかった。里人以外の役夫や百済人からも、北の要の工事に志願するものが大勢集まっていた。
センフクは、さっそく役夫たちを集めてそれぞれの持ち場に振り分けていった。”石採りの団〞には、かつて都の整備などで採石の経験がある遠国からの役夫たちがあてられた。”石運びの団〞には、年若い役夫たちが、”石割の団〞には、主に壮年の男たちが配置された。(それぞれが相応しい持ち場につき、己の力を尽くすことで、思いがけない力が生まれる)それは、センフクが工人としての経験から得た知恵でもあった。
「あなた方には、百済からやってきた人々とともに石垣を積む仕事をやっていただきます」
センフクは、大野の里人たちを集めて、彼らが”石積みの団〞に配置されることを告げた。
「これは、この山城造りの中で、最も難しく、最も危険が伴う仕事かもしれません。けれども、私が教える通りにすれば大丈夫。どうか私を信じてください」
「たまがった。この俺たちが一番難しか仕事ば任されるげな」
立ちすくむカケルの背中を、タスケはポンと叩いて勇気づけた。
「頭は、難攻不落の要塞ばここに造りたいって言いよった。この地を永遠に守り続ける山城が、もし本当にできたら、俺たちだけじゃなく、俺たちの孫やひ孫やそのまた孫まで守ってくれるはずたい。それに、一番大変な仕事は、山城のそばに住んどる俺らがしとかんと、子どもたちにいばれんぞ」
にやりと笑うタスケを見て、カケルは少し気が楽になったような気がした。
つづく
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ダイジェスト版(15)石垣の難工事4
さっそく石積みの作業が始まった。最初は石の積み方に迷うこともあったが、センフクの指導のもと、次第に要領をつかんでいった。石積みが進むようになると、現場は活気づいた。
重たい石を運ぶことにも慣れてきたある日、タスケとカケルが作業をしていると、村長が苦しそうな表情で突っ立ったまま動けずにいるのに気が付いた。足元には、運んで来る途中だったのか石が転がっている。
「村長、どげんしたと?」
村長は、腰を押さえ顔をしかめていた。
「石を抱えなおそうとした瞬間に腰のあたりからグギッと音のしてな。痛たたた…」
「カケル、村長ばどこか、横になれる所まで連れていってやろう」
二人は、両方から村長に肩を貸し、木陰まで連れていった。
「センフクの御頭には、ちゃんと伝えておくけん。俺たちの仕事の一段落するまで、ここでじっとしとる方がよかよ」
タスケは、村長が身体を横たえるのを手助けしながら言った。
「情けなか。こげなことじゃ、村長の私が何の役にも立てやせん」
「無理したらいかんばい。村長は、十分今まで皆のために尽くしてくれた」
悔しそうな表情の村長に、カケルが優しく言った。
つづく
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ダイジェスト版(16)タスケ岩の伝説石垣の難工事5
昼飯時になって、センフクがタスケに声を掛けてきた。「調子はどうですか?」「石積みにも慣れてきたばい。やってみると楽しかもんたい」
二人は、地べたに腰を下ろした。「なあ、御頭」
タスケが、照れくさそうに頭をかいた。「俺は、御頭には感謝しとるばい。今ほど、働くということが楽しかと感じたことはなか。えらい心が満たされとる気がする」
タスケは続けて言った。「本当のことを言うと、俺は、ずっと後悔しとることがあるとよ」タスケが急に寂しい顔つきに変わった。「俺が父ちゃんの代わりに戦に行っとったら、父ちゃんは死なずにすんだかもしれんということたい。父ちゃんの乗った船は、焼き討ちにされたという話ば聞いた。もし、それが本当やったら、異国の海の上でそげな目に遭うて、えらい怖かったやろうって」
センフクは、心が痛んだ。タスケが心の中にこんなにも深い闇を抱えていることなど想像もできなかった。「私だったら、自分の命に代えても我が子を守りたいと思うでしょう。父上だって、きっとそう思っていたはずです」 センフクが、そう言ってそっと肩を抱き寄せると、タスケは大粒の涙をいくつもこぼした。それまでピンと張り詰めていた心がなんだか楽になったような気がした。 山城には、心地よい風が吹き、木々が微かな音を立てて揺れ始めた。静かに波打つ緑をしばらく眺めていたタスケは、慌てて立ち上がった。「そうたい、忘れとった。村長が腰を痛めとった。石ば持ち上げた瞬間にやったらしい」「ならばしばらくは、安静にしておくように言ってください。無理をすると、ろくなことはない」
センフクは、そうことづけた。
つづく
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ダイジェスト版(17)タスケ岩の伝説石垣の難工事6
タスケは、にぎり飯を持って木陰に走った。村長は、ぐったりと木にもたれかかっている。
「腹減ったろう。にぎり飯食べんね」
「これは、おまえの昼飯やろう。俺は、横になっとるだけやから腹はいっちょん減っとらん」
村長は、タスケが出したにぎり飯の包みをつき返そうとした。
「そんなら半分ずつ食おう。村長がこげな所で干乾びでもしたらかなわんもんな」
にやりと笑ってタスケがそう言うと、村長は、礼を言って半分ほおばった。
飯を食べ終え、タスケがセンフクのことづけを伝えると、村長は困り果てた顔をした。
「この大事なときに、ただじっとしとるだけでは耐えられん」
「それなら、俺たちの仕事ぶりば近くで見とってくれよ」
タスケは、村長に再び肩を貸して、現場が良く見える場所を探し歩いた。すると、現場のすぐそばに、木の杭を何本も打ち付け、その内側に俵や土を詰めて築いた小さな堤防のようなものを見つけた。
「ここに寄りかかっとったら、ちょっとは楽やろう」
そう言いながら、堤防を背もたれにして座るよう手伝った。
「一体何のために造った堤防やろう?」
「これは、仮の堤防たい。ここには、もともと川の流れとった。その川の水が増水したりして工事に差し障りのなかごと、この仮堤防で川の水ば一旦堰せき止めとるとたい。まあ、こげな日照りの続くとやったら、水の心配ばする必要もなかったばい」
タスケは、何気なく木杭の一つに手を掛けた。すると木杭は、バキッと鈍い音をたてて折れてしまった。
「なんだ、腐っとるじゃなかか。こげな風じゃ堤防にならんばい」
「北の要の完成したら、いつかは取り外されるもんたい。この天気じゃ、当分は大して役に立つこともなかろうし、放っておいたっちゃ大丈夫やろう」
つづく
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ダイジェスト版(18)タスケ岩の伝説石垣の難工事7
夜明け前、山の麓の方から大勢の役夫たちが北の要に向かって来る。群集の中に混じって、タスケとカケル、それからタスケに背負われた村長が山道を登っていた。
「今日は、俺達の底力ばみせるぞ」
カケルは、やけに真面目な表情である。タスケも目を輝かせていた。一歩一歩現場へと歩みを進める度に、タスケの胸元で龍の首飾りが右へ左へと大きく振子のように揺れた。タスケは、胸元の龍にお願いした。(北の要が無事に完成しますように)
朝陽が完全に姿を現さないうちから作業は始められた。大勢の役夫たちが、集積場と石垣の間を、石を担ぎながら何度も行き交う。昼を過ぎ、足どりの重くなった役夫たちを、村長が大きな声で励ました。役夫たちは、再び力がみなぎるのを感じた。
夕刻前になって、佐伯が号令をかけた。
「みなのもの、一旦手を止めよ」
「さあ、完成です!」
センフクの声を聞き、一斉に人々が石垣を見上げた。そこには、巨大な石の城壁がそびえたっていた。それまで役夫たちは、石垣がこんなにも高く積み上げられていることすら気がつかなかった。石担ぎにひたすら精神を集中していたのである。
「ようやった。ようやった」
村長は、男泣きした。それは、仲間たちへの感謝の涙でもあった。
「やったぞー」
カケルが叫ぶと、それにつづけて大野の里人たちも次々と歓声を上げた。(誰もこの城壁を越え、攻めてくることなどできはしない)そんな自信を誰もが持った。
タスケは、長くゆるやかに蛇行しながら地を這っている石垣を、どこかで見たことがあるような気がした。胸元に揺れる首飾りを目にして、ようやく思い出した。
「龍たい。この石垣は、龍のごたあ」
タスケは、自分がこの石の龍に乗ってそのまま天に昇っていけそうな気がした。
北の要に一陣の風が吹いた。ふと、西の空を見上げると、真っ黒い雲がゆっくりとこちらの方に近づいていた。
つづく
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ダイジェスト版(19)タスケ岩の伝説崩壊の危機
帰り支度を始めていた里人たちは、空の変化に気が付いた。先ほどまでの青空が、厚い雲で見る間に覆い尽くされていく。ポツリ、ポツリと雨粒が落ちてきた。
「やった! 雨ばい」
北の要の完成と待ちに待った雨という二つの喜びが重なって、家路へと急ぐ彼らの足取りは軽かった。
「皆これから私のうちに集まってくれ。今夜は北の要の完成とこの雨ば祝おうやなかか」
村長が里人たちに声を掛けた。
カケルは、一緒に山を下りようとタスケの姿を探した。タスケは、仮堤防を覗き込んでいた。
「タスケ、今夜は酒盛りばい」
カケルが声をかけると、タスケは堤防の木杭を引っ張りながら言った。
「すまんが、先に帰っとってくれんか。用の済んだらすぐ行くけん」
カケルは、先に山を下りようと背を向けて歩き始めた。(あんなもの放っておいて、さっさと山を降りてくればいいのに)
村にたどり着く頃には、雨足が一層強まってきた。村長は、ひび割れた田んぼに雨が浸み込んでいくのを見て胸をなで下ろしていた。
「米の出来は、それほど良うなかかもしれんばってん、なんとか収穫はできるやろう」
村長の家では、早々に酒盛りが始められた。里人たちは、上機嫌だった。いつまでたってもやって来ないタスケのことを心配して、カケルは戸口に立って待っていた。外はみるみる闇に包まれ、雨が激しく地面を叩きだした。突然、稲妻が閃くと、すさまじい落雷が地に響いた。里人たちは、騒ぐのをやめて次々と外の様子を伺いにカケルのそばに集まって来た。
「タスケの家に行ってくる。あいつ、まだ山ば下りとらんかもしれん」
カケルは、家の外へ飛び出した。
「おい、待て!」
村長が制するのも聞き入れずに、カケルは大雨の中をタスケの家へと走った。
つづく
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ダイジェスト版(20)タスケ岩の伝説崩壊の危機2
タスケが家にいないことを知った里人たちは、再び山を登り始めた。身体はずぶ濡れだったが、タスケの無事を祈って北の要へと向かった。
その頃、タスケは、まだ北の要にいた。堤防が崩れてしまわないよう、廃材となった石で、堤防の周囲を塞いでいたのだった。激しい雨のせいで、堤防の外側はみるみる水かさが増していく。しかし、石の堤防が水をさえぎり、石垣の側にあふれ出てくることはなさそうだった。
「ここまでやったら大丈夫やろう」
タスケは、泥だらけの顔を拭った。
そのとき、突然タスケの背後にすさまじいごう音が響いた。振り返り目を凝らすと、闇夜にぼんやり浮かび上がったのは、しぶきを上げて滝のように激しく噴き出す水だった。水流が石垣の一部を突き破り、そこにぽっかりと大きな穴を開けている。
(どうしたらいい? このままだと石垣が崩れ落ちてしまうぞ)
タスケは、とっさに石垣を登り始めた。
北の要にたどりついた里人たちは、必死になってタスケを探し回った。
「タスケ!どこにおる!」
何度も名を呼びかけるものの、いっこうに返事はない。
その時、雷の閃光が辺りを明るく照らした。里人たちの目に飛び込んできたのは、信じられない光景だった。タスケが、石垣に空いた穴の中に頭の方からすっぽりと入り込み、抜け落ちた石の身代わりとなって、今にも崩れ落ちそうな石垣を必死で支えていた。
「早くそこから出てこい!」
里人たちは、声をかぎりに叫んだが、もはやタスケの耳には届かなかった。石垣がタスケの身体をズシンズシンと容赦なく押しつぶしてくる。息苦しさは限界に達していた。それでも、タスケは祈っていた。
(石垣だけはお守りください…)
すると、タスケの胸元の首飾りが切れ、小石の部分だけが石垣の外へと弾き飛ばされた。暗闇の中で、小さな白い光がくるくると宙を舞った。土砂は、またたく間に石垣を押し流し、一面に石の破片が飛び散った。里人たちは、恐怖に動くことすらできなかった。
つづく
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ダイジェスト版(21)タスケ岩の伝説別れの涙
突然、まばゆい光が北のかなめを包みこむと、あたりは静かで、白い煙が立ち込めた。里人たちが目をこらすと、見たこともない巨大な生き物が、石垣の前に身体を横たえ、崩れ落ちてくる石や土砂を受け止めていた。彼らは、これがこの世での出来事だとはとうてい信じられなかった。神々しい光を放つその生き物は、銀色にきらめくうろこをまとい、頭にたけだけしい角、口元には立派なひげをなびかせている。丸い大きな目の中では、紅く光る瞳が右へ左へゆっくり動いていた。
「おい、龍神様だぞ! あれは、龍神様のお姿だ」
村長に言われて、やっと一同が我に返った。そして、一斉に龍に伏し拝んだ。タスケのことが心配で居てもたってもいられないカケルは、龍の前に進み出た。
「どうか、タスケばその石垣の中から救い出してください!石に押し潰されて死んでしまう!」
その瞬間、龍が巨大な首をもたげ、北の要がグラグラ揺れ始めた。
《タスケは、わが身を捧げてもこの石垣を守りたいと申しておる。我は、タスケの願いを叶えるために、こうして地上に降りてきた》
「タスケの願いを叶える?あいつは、無事に戻ってきてくれると?」
龍は、取り乱すカケルのことをやさしいまなざしで見守っていた。
《タスケは、この場所でこれから先も生き続ける。そして、この地をずっと守り続けるであろう》
突然、龍は風を巻き上げながら、風のような速さで天高くまで昇りつめた。そして、キューンと高らかななき声をあげると、大粒の涙を一つ落とした。
「龍神様が泣いている」
それを見た里人たちの目にも、熱い涙が込み上げてきた。誰もが、タスケのことを思っていた。龍は、最後にもう一度だけ高らかにないて、天空へと消えていった。
つづく
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ダイジェスト版(22)別れの涙2
東の空から朝日が姿を現し、山城に柔らかな光が射し始めた。里人たちが、ふと我にかえると、そこには、さえざえと晴れ渡った空がどこまでも続いていた。ひんやりとした朝の風を受けて、彼らは、ようやく夢からさめたような気分になった。大雨で崩れ落ちたはずの石垣は、何事もなかったかのようにもとの立派な姿を留め、空高くそそり立っていた。カケルは、タスケを見つけだそうと石垣のそばに駆け寄ると、ある光景を見て絶句した。石垣の中ほどの一箇所に、それまで無かったはずの大きな岩が立ちふさがっていたのである。岩の周りからは、勢いよく水しぶきが噴き出していた。
「こげなふとか岩、ここにあったかいな?」
石垣の異変に気付いた人々が、周囲に集まってきた。巨岩が突然姿を現し、山肌にしっかりと突き刺さっている。しかもその岩は、どうやら石垣の内側に溜まった雨水をうまい具合に逃しているのだ。
「この岩が石垣を守ったのか?」
しばらく沈黙が続いた後で、カケルがつぶやいた。
「タスケはこの岩になってしもうたんじゃ」
岩のたたずまいに、誰もが人智を超えた力を感じずにはいられなかった。
それから十数日後。山城では、修復工事が大急ぎで進められていた。大雨の被害は甚大で、山城のあちこちで修復が必要だった。役夫たちは、基礎となる大きな石を、力を合わせて運んでいる。
「まずは、このあたりを土塁で固め、山肌を補強しましょう」
センフクを中心に、崩れ去ってしまった石垣を、屈強な石垣に建て直すべく知恵を働かせていた。村長をはじめとする里人たちは、全力で仕事に打ち込んだ。
(この山城を完成させて、すぐにでもタスケにしらせてあげたい。)
あの夜から、タスケが戻ることはなかった。里人たちはその悲しみを乗り越えるために、なんとかこの山城を完成させようと必死だった。
つづく
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ダイジェスト版(23)歓喜の祭り
あれから石垣の修復は無事終了し、大野の里人たちはその公役を終えた。今日は、誰もが待ち望んだ完成を祝う祭りの日だったが、人々は緊張した面持ちでこの日を迎えていた。朝廷から、中大兄皇子がじきじきに山城までお越しになるというのだ。
皇子の一行は、城門や倉庫を見て回り、いよいよ北の要へと到着した。高くそびえる石垣の姿に、皇子はたいそう感心し、見入っていた。
「ところで、あの大きな岩はどのようにして運んで参ったのだ?」 皇子がふと巨岩を指差した。
「運んだのではございません。突然あの場所に現れたのでございます。事情を知る者は皆、あの岩のことを”タスケ岩〞と呼んでおります」
あの日、龍が去った後にこつ然と姿を現した岩は、いつしか”タスケ岩〞と呼ばれるようになっていた。佐伯は、言葉を続けた。
「タスケとは、大野という里に住んでいた山城の役夫でございます。タスケは、大雨でこの石垣が崩れかけた時、開いた穴の中に自ら飛び込んで石垣を守りました。その後、タスケが身を投じたまさにその場所に、あのような巨大な岩が突き刺さっていたのでございます」
皇子は佐伯の話に聞き入っていた。
皇子一行が山を降り、祭りを行う広場に到着すると、集まっていた人々は一斉に平伏した。
「苦難を乗り越え、よくぞ山城造りを成し遂げた。多くの民の手によって築き上げられた山城が、末永く国に平穏をもたらさんことを願う」
皇子は、人々にねぎらいの言葉をかけると、広場を見渡し、一層朗々とした声で続けた。
「山城を”大野ノ城〞と名付ける」
場内が、一瞬ざわめいた。「聞けばタスケという男が、石垣を守って天に召されたというではないか。タスケの志を継いでいけるよう、この山城にはタスケの生まれ育った大野の里に因んだ名を付けよう」
カケルは、感極まって涙を流した。里人たちもそれぞれ泣いていた。その思いに応えるように、色なき風が山並を渡り、涙で濡れた人々の頬を優しくなでていった。
つづく
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ダイジェスト版(24)歓喜の祭り2
夜が更け、大野ノ城に再び静寂が訪れる頃、山頂付近に炎が浮き上がり、夜空を染め上げた。里人たちは、細かく割った薪に火を点けて、大野の里の方角に向かって送り火を焚く。それは彼らにとって、タスケとの別れの儀式でもあった。
祭りの余韻が残る山頂で里人たちは、炎を見つめながら友を想った。そして、山城の役に徴用されてからの数々の試練を思い起こしていた。繰り返し土を運んでは突き固めた土塁造りの日々。馴れない仕事に初めは困惑したものの、そのうちに同じ作業の繰り返しばかりでへきえきした。長く続いた水不足も、随分悩まされた。しかし、いつしか里人たちは、つらい仕事の中にも喜びを見い出せるようになっていた。そして、彼らがそう変わることができたのは、様々な人の働きかけがあったからだった。一人の心の中に起きた変化が、次々と周囲へ広がっていく。それは、一滴の水が水面に輪を描き、幾重にも広がっていく波紋のようでもあった。そして、仲間たちの心を動かすその最初の一滴となったのがタスケであることは、疑う余地もなかった。(タスケがいなかったら、今の自分はなかっただろう) 誰もがタスケに感謝の祈りをささげながら、燃え盛る炎が消えていくさまを見つめていた。
結局、大野ノ城が完成してからというもの、新羅がこの地を攻めてくることはただの一度もなかった。
『もう二度と、戦によって悲しみにくれる人が現れないよう』
自分と同じ寂しい思いをさせまいと、タスケが今も懸命に里を守ってくれているのだ―そう信じて人々は、後の世まで若き英雄の伝説を語り継いだ。 大野山に、今年もタスケの英霊を敬う山城祭りの季節がやってきた。夜空に浮かび上がる「大」の文字。その赤々と燃える送り火を仰ぎ見て、人々は静かに古に思いをはせる。
《完》
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