おおのじょうの遺跡/野添窯跡群
更新日:2019年5月29日
重さ24グラムの小さなおもりが出ました!
野添窯跡群(のぞえかまあとぐん)は、大野城市の南に位置する牛頸山から北方へ派生する丘陵にはさまれた谷部にあります。野添窯跡群の過去の調査成果は、牛頸窯跡群(うしくびかまあとぐん)中最古とされる6世紀中頃の窯跡(6号窯)から8世紀代の窯跡までが発見されています。周辺にも平田窯跡群や大浦窯跡群が存在し、牛頸窯跡群の一つとされています。本調査地は、牛頸山から派生する低丘陵地に造られた貯水池(仙頭ケ浦池)の辺にあり、検出遺構としては窯跡1基、竪穴住居跡1基が発見されました。
窯跡
窯跡は全長約3.96メートルありました。窯の形は焚口(たきぐち)・燃焼部(ねんしょうぶ)から焼成部(しょうせいぶ)に上がるにつれ幅がやや広くなってゆく胴張り型(どうばりがた)を呈し、煙道部(えんどうぶ)は窯体(ようたい)プランからやや突出した形をしていました。
遺物
出土遺物は8世紀後半代の須恵器の杯身(つきみ)・甕片(かめへん)、また灰原(はいばら)からは土師器の権状製品(けんじょうせいひん)が発見されました。この権状製品は、本来須恵質(すえしつ)に焼成(しょうせい)する製品だったと考えています。
権状製品(古代のおもり)です
遺物出土量は窯跡としては少なく、還元(かんげん)するまでに至らない製品が目立ちました。また被熱状態(ひねつじょうたい)を観察すると窯壁表面(ようへきひょうめん)・床面(ゆかめん)は全体的に淡黄色(たんおうしょく)を呈しており、白灰色(はくかいしょく)に還元している部分は焚口・燃焼部の両側壁面だけでした。これらの状況を踏まえて考えると、この窯の操業期間(そうぎょうきかん)は短期間だった可能性が高いと考えられます。
竪穴住居跡
窯跡に隣接して、竪穴住居跡が検出されました。平面プランは所々崩れていますが、長辺約6メートル、短辺約4.4メートルの長方形を呈しています。深さは約30から50センチメートル、柱跡が4本見つかりましたが、住居内からカマドや炉、壁溝といった住居内施設はありませんでした。出土遺物は須恵器の杯身、杯蓋、甕片、土師器の甕、高杯片、滑石製の紡錘車などが発見され、これらの遺物から7世紀中頃から後半代の遺構だと考えています。
野添遺跡・窯跡群の周辺遺跡では、6世紀代の集落(上園遺跡(かみのそのいせき)や8世紀代の集落(本堂遺跡(ほんどういせき)が発見されていますが、7世紀中頃から後半代の集落は発見されておらず、今回の発掘調査でその時代の集落が存在していた可能性がでてきました。また灰原出土権状製品は、器(うつわ)だけでなく他の製品も焼いていた須恵器窯(すえきがま)が存在する可能性を浮き出したと考えます。今後の発掘調査において、これらの調査成果を活かし、歴史を明らかにすることを期待します。
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場所:大野城心のふるさと館1階
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