天神の森(乙金)
更新日:2019年11月18日
大宰権師となって九州に下られる道真公(みちざねこう)一行の、1カ月あまりの長い苦しい旅もいよいよ終わりとなり、大宰府を目の前にした乙金まで来られたときに、お供の中の一人が長旅の疲れのために高熱を出して、動けなくなってしまいました。
長い道中を失意の道真公を慰め励ましながら、やっとここまでたどり着いたのに、とうとう病気になってしまったのです。乙金村には医者は居りません。道真公は持参しているいんろうの薬だけを頼りに、一生懸命看病されました。
しかし、その甲斐もなく、お供の人はとうとう死んでしまいました。大そう悲しまれた道真公は、村はずれの森の一隅に埋めて、手厚く葬ってあげられました。
それからこの森を天神森というようになったということですが、森の中にはいつ頃建てられたのかわからない自然石の石塔があり、「疫神(えきじん)」と刻まれていて、村人たちは季節ごとの花をあげて、病魔から守っていただくようお祈りしています。
乙金宝満神社の疫神
乙金宝満神社
疫病とは?
昔は疫病がはやるのは疫病神という霊的なものが、他所からやってくるものと考えられていましたので、村境に注連縄(しめなわ)を張ったり、疫病の源を藁人形(わらにんぎょう)などの形代(かたしろ)に封じ込めて村から送り出したり、または疾病神をなだめるためのお祭をするなどして、病気の予防をしていましたが、天神の森の疫神も他所からの病魔の侵入を防ぎ、村に疫病が流行したときは、他所へ送り出したあと再び戻ってこないようにという村人たちの祈りをこめて、村境に立てられたものと思われます。この疫神の碑は道路の拡幅舗装のため現在は乙金宝満神社境内(おとがなほうまんじんじゃけいだい)に移設されています。大野城市内にはここと牛頸区大立寺(うしくびくだいりゅうじ)の2カ所にあります。
牛頸区疫神(石祠の中に疫神と刻まれた石があります。)
道真公の足跡
学問の神様として信仰され、天神様と呼ばれて親しまれている菅原道真公が、住みなれた京都をあとにして、大宰府に流されて来られた道筋には、山口県防府市の防府天満宮(松崎天神)・築城郡の椎田綱敷天満宮・福岡市の綱敷天満宮・水鏡天満宮・杖切天神など数多くの伝説が残されておりますが、大野城市内にも山田の杖立天神と共に、この乙金の天神森の伝説があり、下筒井には九郎天神社もあります。
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