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大野城市

天狗の鞍掛けの松(牛頸)

更新日:2018年6月15日

天狗の鞍掛け松の碑と3代目の松写真
天狗の鞍掛け松の碑と3代目の松(現在)

上大利(かみおおり)から牛頸(うしくび)まで2キロメートルほどの間は、人家が一軒もなく、両側は山にはさまれて、さびしい一本の細い道が続いているだけです。
結婚式の祝い酒にほろ酔(よ)い機嫌(きげん)の若者が、片手にちょうちんをさげ、片手にお土産(みやげ)を持ってひょろりひょろりと千鳥足(ちどりあし)で、天狗松の近くまで帰ってきました。ところが、目の前に川が流れていて橋(はし)はありません。もうろうとした頭で、こんな所に川はなかったはずだと思いながらも、着物の尻(しり)をからげてざぶざぶと川の中へ入っていきました。すると川の水はだんだん深くなります。とうとう着物を脱(ぬ)いで、お土産と一緒(いっしょ)に帯(おび)で頭の上にくくりつけ、一生懸命泳ぎましたが、なかなか向こう岸にたどりつくことができません。その時「モシモシ、そこで何をしているのですか。」と言う声に、ハッと我(われ)にかえった若者(わかもの)は、ふんどし一つで山の斜面(しゃめん)を這(は)いまわっており、お土産はなくなっていました。

天狗イラスト1

また、二日市温泉に行って、一杯(いっぱい)機嫌で一風呂(ひとふろ)浴(あ)びているつもりの老人(ろうじん)が、ふと気が付くと田んぼの隅(すみ)の野瓶(のがめ)の中で糞尿(ふんにょう)をかぶって湯浴(ゆあ)みしていたり、田植(たう)えが終わってさなぼりのご馳走(ちそう)を作るため、買出しに行った主婦(しゅふ)たちが家に帰りつくと、酒の肴(さかな)になるようなものは全部途中で消えていて、あわてて引き返すと天狗松の根元(ねもと)に、きちんと並べて置いてあったりしました。みんな天狗松に住む天狗さんのいたずらだったのです。

この天狗さんは非常にお酒が好きで、牛頸の人が二日市へ買い物にいくため通りかかると、帰りにお酒を買って来てくれと頼むのです。頼まれついでに肴もそえて、天狗松の下に供えておくと、翌日はどうしてかいつもより早く目が覚(さ)め、田んぼに出かけると畦(あぜ)の草はきれいに刈(か)りとられ、稲田(いなだ)の水は満々(まんまん)と張りつめられて、稲は生き生きとしています。山に行くと刃(は)こぼれした古い鎌でも、さくさくと切れ味がよく、いつもの数倍の仕事ができるように、天狗さんが加勢してくれますし、困ったときには酒肴をお土産に相談に行くと、親切に相談相手になってくれました。

梢(こずえ)の方は切り取られたように平たくなって、ちょうど馬の背中のような格好をしている、大きな松の木に住んでいる天狗さんは、背中に大きな羽根(はね)が生えてて、いつもこの松の木の上にまたがって、顔の真中に突(つ)き出た長い長い鼻の先を、500メートルほどの先の平野神社の、大きな楠(くす)の木の枝(えだ)にもたせかけ、ギョロリとした大きな目玉で、牛頸村を見守ってくれています。
ときどきその鼻に雀(すずめ)やカラスが止まって遊んでおりますが、天狗さんはニコニコしています。それでも怒ったときはマッ赤になって、それはそれは恐(おそろ)しい顔になりますが、大変いたずらな反面(はんめん)、牛頸の人には優(やさ)しい天狗さんでした。ところが、よその村の人がやって来ると、この谷間(たにま)の細い道に立ちはだかって追(お)い返(かえ)したり、神通力(じんつうりき)で道を曲(ま)げて遠回(とおまわ)りさせたり、お弁当(べんとう)を取り上げて食べてしまったりするのです。

ある日、馬に乗った武士が、上大利から牛頸方面の稲の出来具合(できぐあい)を検査(けんさ)するため、この道をやってきました。それを見た天狗さんが、八ツ手(やつで)の団扇(うちわ)でサッと一あおぎすると、武士は馬の上からころりと吹(ふ)き飛(と)ばされてしまいました。次に団扇でおいでおいでをすると、馬の鞍はひとりでにはずれて空に舞い上がり、天狗のいる松の木の上にストンとひっかかりました。武士の真似(まね)をして鞍にまたがった天狗さんは大喜(よろこ)びです。
怒った武士が「天狗め!下りてきて勝負(しょうぶ)しろツ」とどなったその声が終わらぬうちに、ヒュウヒュウ音をたてて風が吹き、まわりの木や竹(たけ)やぶがざわざわとゆれて木の葉が舞(ま)い散(ち)り、あたりは急に暗くなったり、明るくなったりして、頭の上から「ワッハッハッハツ」という雷(かみなり)のような笑(わら)い声が落ちてきました。そして大木(たいぼく)のような天狗の腕(うで)が伸(の)びてきて、熊手(くまで)のような手で武士を一つかみにしようとします。武士は刀を抜(ぬ)いて切(き)りつけました。ガチンと手応(てごた)えはあったのですが、折(お)れて飛んだのは刀のほうでした。肝(きも)をつぶして逃(に)げていく武士の後ろから、天狗の笑う声がいつまでも聞こえていました。

天狗イラスト2

このことを聞いて、腕に自慢(じまん)の武士たちがつぎつぎに天狗退治(たいじ)に来ましたが、刀を取られたり、チョンマゲを切られたりして、誰も退治することはできませんでした。

今でも牛頸の古老(ころう)たちは、天狗さんはいるのだと信じているということです。

昔むかしの牛頸は?

この地図は牛頸村の様子(ようす)を色分けしています。灰色が道、青色が川、緑が山、黄色が田んぼ、茶色が集落(しゅうらく)です。この地図を見ると、牛頸が人里(ひとざと)離(はな)れた村だったことがよくわかります。

昔の牛頸村地図1
昔の牛頸村地図2
昔の牛頸村地図3

天狗の鞍掛けの松に腰掛けている天狗さんが、平野神社の楠まで鼻を伸ばしている様子が思い浮かびますか?牛頸の人々は天狗さんが守ってくれているので、安心して暮していたことでしょう。みなさんは何に守られて暮らしていますか?

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地域創造部 心のふるさと館 文化財担当
電話:092-558-2206
ファクス:092-558-2207
場所:大野城心のふるさと館1階
住所:〒816-0934 福岡県大野城市曙町3-8-3

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