牛頸須恵器窯跡
更新日:2019年12月5日
北部九州全体に須恵器(すえき)を供給した大規模窯跡群である牛頸須恵器窯跡が、須恵器の生産と広域流通の実態を知る上で欠くことのできない重要な遺跡であることから、平成21年2月12日に国指定史跡に指定されました。
牛頸須恵器窯跡は、上大利から牛頸、春日市、太宰府市にまたがる西日本最大規模の須恵器窯跡群です。6世紀中ごろから9世紀中ごろにかけて、約500基以上の須恵器の窯が営まれました。窯は時代により営まれた地区が移り、形態も変化することがわかっています。窯は初めのうちは群内北端の平野に近い地区に営まれ、次第に南の山奥に向かって移動していきます。窯の構造は、6世紀後半~7世紀前半は大型で多孔式煙道(たこうしきえんどう)と煙道に溝が取り付くのが特徴的ですが、7世紀後半以降には小型で煙出しが直立するものに変化します。
牛頸須恵器窯跡で生産されたもの
須恵器とは、古墳時代後期に朝鮮半島から伝わった技術である登り窯とロクロを使って作られた焼き物です。高温で焼かれ、その焼き上がりは硬く灰色をしています。ここで生産された須恵器は、6・7世紀代は福岡平野、8世紀以降は大宰府を中心に北部九州一帯に広がりました。須恵器以外には、7世紀前半ごろを中心に月ノ浦窯跡群、野添(のぞえ)窯跡群などで瓦が生産されました。このほか、特殊なものとして、陶棺(とうかん)(今の棺おけ)などがあります。
須恵器を作った人々の墓
古墳時代の須恵器作りに携わった人々(工人(こうじん))の墓として、窯造りに使われた鉄製の鋤(すき)の刃先が納められた古墳や、梅頭窯跡に代表される特殊な墓が知られています。特殊な墓は、窯を再利用したもので、鉄刀(てっとう)・鉄の鏃(やじり)・耳環(じかん)・赤色顔料を入れた器などが納められていました。副葬品の豊富さなどから被葬者は工人集団の首長と思われています。現在、梅頭窯跡は、覆屋を設置し、三兼池公園内に保存されており、自由に見学することができます。
文字が刻まれた須恵器
牛頸須恵器窯跡では、須恵器の甕に漢字を刻んだヘラ書き須恵器が出土してます。県の指定文化財となっている「和銅(わどう)六年銘(めい)ヘラ書き須恵器」には、「筑前国手東里に住む大神君(おおみわのきみ)ら3人が調(古代の税の一種)として大甕を和銅六年(西暦713年)に納めます。」ということが書かれていました。これ以外にもさまざまな文字が書かれた須恵器が見つかっています。
多孔式煙道:牛頸須恵器窯跡に特有の構造で、煙を出す穴が3つ以上あることから多孔式煙道と呼ばれています。室内温度を維持するために開けられたと考えられています。
牛頸平田D地点窯跡(発掘調査終了後消滅)
陶棺
須恵器
瓦
梅頭窯跡の遺物出土状況:窯の内部に石が配置され、鉄刀や須恵器などが置かれています。
銀象嵌(ぎんぞうがん)鉄刀:タガネで模様を線彫りし、そこに銀をはめ込む銀象嵌によるハート形の文様が施されています。
和銅六年銘ヘラ書き須恵器
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