大野城市の指定文化財
更新日:2020年1月15日
市内には、国指定特別史跡である大野城跡や水城跡、県指定の文化財の竹田家所蔵文書、木造聖観音立像、筒井の井戸をはじめ、わが国で初めて出土した貨布などのように、長い歴史を今に伝える史跡や文化財が数多く存在しています。こうした文化遺産を守り伝えることで郷土愛を育てたいものです。
1 水城跡
日本書紀に「筑紫に、大堤(おおつつみ)を築きて水を貯へしむ、名(なつ)けて水城と曰ふ」とある。水城の堤防は、四王寺山麓から下大利に至り、全長約1.2キロメートル、幅80メートル、高さ13メートルの人工の盛土による土塁で、博多側には幅60メートルの濠がありました。この土塁は、天智2年(663)9月の白村江(はくすきのえ)の戦いでわが国の遠征軍が大敗したため、その翌年に大宰府防衛のために構築されたものです。
2 大野城跡
水城構築の翌年(665)、大宰府防衛施設の一つとして築かれました。百済亡命貴族の指揮下で造られたため、百済の山城と類似しています。そのため朝鮮式山城と呼ばれ、山頂には土塁、谷には石垣が築かれ、内部には倉庫の跡や井戸が見つかっています。
- 日本100名城に選ばれました
- 「美しい日本の歴史的風土100選」に選ばれました
米や塩などの食糧や武器を格納する倉庫が多く建てられ、その礎石の一部が発掘され整備されています。
3 大野城心のふるさと館(平成30年7月21日開館)収蔵文化財
今から約2000年前、古代中国「新」(西暦8から25年)の皇帝王奔(おうもう)が鋳造を命じた青銅貨幣で、市内北部にある仲島遺跡 から、わが国で初めて出土したものです。貨幣が作られた「新」の 時代は、わが国ではまだ貨幣が使われていない弥生時代のことであ り、どのようにして渡ってきたものか今なお不明で謎に包まれています。
しかし、中国の歴史書に記してある「奴国」が現在の福岡平 野一帯であるという説をとるなら、春日市もしくはその周辺に住ん でいた「奴国王」と古代中国大陸との交通は古くからあったものと 考えられ、貨布もわが国に持ち込まれ、装飾品として使われていた と想像されます。遠い昔のロマンを秘めたこの貨布は、本市の貴重な文化財のひとつです。
奈良時代後半(約1200年前)の土器で、墨で人の顔が描かれ、疫病封じなどに使ったものと思われます。
この銅鏡は直径21.9センチメートルで「三角縁天王日月獣文帯四神四獣鏡」と呼ばれるものです。西暦239年に邪馬台国女王卑弥呼が、魏国皇帝から賜わったという銅鏡百枚のうちの一枚かもしれません。
4 牛頸窯跡群
幅2メートル、長さ10数メートルで、約1400年前頃の窯跡です。須恵器を焼いた窯跡で、焼く技術は1500年前ころ朝鮮半島から伝わりました。平田窯跡は、天井が残る珍しい例です。
5 木造聖観音立像
雑餉隈町2丁目の小堂内にあり、像高60センチメートルで、室町時代の作です。両肩に衲衣(のうえ)をかけた観音像ははめずらしく、県文化財の指定を受けており、古くから雑餉隈町の人々の信仰あつい像です。
このページに関する問い合わせ先
地域創造部 心のふるさと館 文化財担当
電話:092-558-2206
ファクス:092-558-2207
場所:大野城心のふるさと館1階
住所:〒816-0934 福岡県大野城市曙町3-8-3