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大野城市

絵馬

更新日:2019年6月5日

絵馬とは

願い事や願いがかなったお礼のしるしとして神社に奉納する絵入りの額や板絵を絵馬といいます。

絵馬の風習は古く、奈良時代の遺跡から馬を描いた板が出土しています。もともとは生きた馬を神に捧げたことが始まりといわれています。神の乗り物と崇(あが)めていた馬を雨乞(あまご)いや日乞いの時に献上しました。しかし生き馬の調達が困難なことから馬形(うまがた)(土で作る土馬・木で作る木馬)が、転じて板に馬を描く絵馬が奉納されるようになりました。

大野城市内にも馬の骨が発掘された例があります。仲島遺跡の大きな溝の中から馬の骨が見つかっています。見つかった骨は頭部だけとか下顎骨のみ、あるいは歯のみの出土と言うものが多く、特に下顎骨が多く見つかりました。1個体すべて、またはそれに近い状態での出土はありませんでした。

絵馬とは01

仲島遺跡から見つかった馬の下顎骨(上下)

絵馬とは02

室町時代末期、馬以外の図柄が現れ、大きな額に合戦図などが描かれ、同時に庶民の切実な願い(結婚・出産など)を絵にした小さな絵馬も作られ始めました。

文化文政の頃、絵馬は隆盛を極め、図柄も多様になり、舞踏を題材にした絵馬も見られます。絵馬はその時々の人の心、その時代を反映したものであります。

夏越し祓い祇園踊りの絵馬

大野城市の北東部、乙金区にある乙金宝満神社拝殿には「夏越し祓い祇園踊り(なごしはらいぎおんおどり)」と名づけた絵馬が掲げてあります。この絵馬は市内の神社に奉納してある絵馬の中で最も古く、江戸時代後期の天保2年(1831)博多の町絵師、村田東圃(むらたとうほ)によって描かれています。

11人の男女が手に扇を持ち、輪になり右回りに踊っています。その身のこなし、表情から踊っている人物の生き生きとした楽しそうな様子、さざめきまでもが伝わってきそうな絵馬です。

額(がく)は檜(ひのき)で縦117センチメートル、横188センチメートルと大きく、「天保(てんぽう)二辛卯(かのとう)六月十日産子中(うぶこちゅう)」「應需東圃冩□」(もとめに応じて東圃(とうほ)(これを)写す)の紀年名があります。

旧暦六月は古来、祓(はら)いが行われる月で、この絵馬は風俗画として当時の習俗、また服装、髪型などを知る上でも貴重な作品です。

夏越し祓い祇園踊りの絵馬

夏越し祓いとは

古代から6月と12月はそれまで半年のけがれを祓い浄(きよ)め、その後半年の無事を祈る「祓え」という神事が行われてきました。旧暦六月三十日に行われる祓えを「夏越し払い」といいます。夏は災害が多く、疫病も流行るため、茅の輪(ちのわ)くぐりや人形流しの祓いをして夏を乗り切りました。祇園祭も疫病神を祓うお祭りなのです。

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電話:092-558-2206
ファクス:092-558-2207
場所:大野城心のふるさと館1階
住所:〒816-0934 福岡県大野城市曙町3-8-3

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