木造聖観音立像
更新日:2019年11月8日
県道112号線(旧国道3号線)の山田4丁目交差点から雑餉隈町方向に少し入ったところにお堂があり、その中に聖観音立像が祀られています。
お堂はもともと日田街道(旧国道3号線側)(土地の人は大宰府往還〈だざいふおうかん〉という)に面した東向きに建てられていましたが、1932年の国道3号線建設工事の時に、西向きに建て替えられました。
この写真は平成10年に新しく建てられたお堂を写した物です。
この聖観音立像は檜(ひのき)の寄木造(よせぎつくり)で、全高100.5センチ、像高60センチです。頭に透かし彫りの宝冠(ほうかん)をつけ、納衣を着け肩を通した姿で、左手に未開蓮華(みかいれんげ)を持ち、水晶をはめ込んだ百毫(びゃくごう:仏の眉間にある白い毛のかたまり。光を放つといい、仏像では宝石を用いて表す。)と玉眼(細工した水晶やガラスなどをはめこんだ仏像などの目)があります。
制作年代
昭和44年(1969)に福岡県の文化財専門委員の方々と、雑餉隈区長他有志の方々が立会いの上、美術院国宝修理所佛師である菰田二郎氏の手により解体したところ、「大佛所発心武蔵〈花押〉応永廿一年八月日むまのとし」という墨書銘がありました。このことから室町時代(1414年)の作であることがわかりました。典型的な室町時代の様式を感じさせる平面的な顔立ちと面貌の輪郭、目元、口元のやさしくて穏やかな丸みのある線、明確な躰内銘、納衣のひだの線に鎌倉時代の様式を止めているという理由から、1970年5月2日に県の有形文化財に指定されました。
指定と同時に全面修理を行い、その際に躰内に以下のような内容の記念銘の木札を納めました。
表
奉謹修理聖観音一躯
- 昭和四十七年一月
- 雑餉隈聖観世音保存会
- 筑紫郡大野町教育委員会
裏
- 保存会長 岩瀬 新
- 世話人 赤司 岩雄
- 世話人 城戸 常雄
- 世話人 城戸 タマ
- 世話人 打越 龍一
- 世話人 山崎 アイ
- 世話人 城戸謙太郎
- 世話人 城戸ミドリ
- 東京国立博物館
- 財団法人美術院国宝修理所
- 佛師 菰田宗二郎
六月堂(ろくがつどう)
雑餉隈の観音さまは赤ちゃんが無事生まれますように、そして生まれた赤ちゃんがすくすくと元気に育つようにお守り下さる観音さまです。そのため、毎年7月17日に子ども達だけでお祭りをしてきました。この祭りを六月堂といいます。現在では、恵比須神社の夏祭りである千灯明と同じ日に行っています。(8月の第1土曜日)
昔は、祭りの前日の7月16日には小学5年生以上の児童が集まって準備をしていました。お堂や境内を掃除し、観音さまを新川に持っていききれいに洗って一年の埃を落としていました。そして、笹のついた孟宗竹か杉の枝で門飾りを作り、自分達で作った万国旗を張り巡らし、木の枠で作った御神灯に紙を張って字や絵を描いて、それから町内の一軒一軒を廻ってローソク代としてお賽銭を貰いに行くと、親達は気持ちよく子ども達のためにお金を出してくれました。
翌17日の祭り当日になると町内の各家庭から自分の家で作った饅頭や餅や店で買ったお菓子などが供えられました。子ども達は各家庭からもらったお賽銭で花火を買い、御神灯にローソクをともして道端に並べて建てました。
夕方になると町内の小学生や就学前の子ども達が観音堂前に集まってきて、最上級生が花火と一緒にお供えの饅頭や餅やお菓子を子ども達全員に平等に分配して、花火をあげ饅頭などを食べながら楽しい夏の夜の思い出を作っていました。
昭和30年代になると周辺が宅地化し花火による火災の心配がでてきたため、昭和38年から提灯行列に変わりました。現在ではそろいの半被(はっぴ)を着た子ども達が雑餉隈区を練り歩きます。
夕方5時半になると公民館前では、子ども達がそろいの半被に身をつつみ提灯を持って準備をしています。小学5年生以上は太鼓、六年生は賽銭箱など、学年に応じて役割があります。
「提灯行列です。お賽銭をお願いします。」という掛け声とともに出発した行列は観音堂を目指します。
そこでは、保存会の方々が大きな提灯をつるして、観音さまの扉を開けて子ども達が来るのを待っています。普段は厳重な扉の向こうにたたずむ観音さまを間近に拝むことができました。ここで提灯に火をつけてもらいます。
その後、町内を練り歩きお賽銭を頂いて公民館へ戻ります。
千灯明(せんとうみょう)
戻ってきた子ども達は半被を脱ぎ、恵比須神社の夏祭りに入ります。
恵比須神社には恵比須神と愛宕神が祭られています。7月24日は愛宕様のお祭りで、昼間におこもり、夜に子ども達が夏負けせず元気に成長するように、雑餉隈区域内に火災が発生しないように祈って、千本のローソクを境内に灯す千灯明が行われてきました。このお祭りを現在では夏祭りとして、六月堂と同じ日に行っています。
8時になるとライトが消され、恵比須神社と公園の中央に作られたやぐらに置かれたローソクに一斉に火が付けられます。しばらく千灯明の灯りのみの時間が過ぎます。
公園中央やぐら灯火前(上)後(下)
通路灯火前(上)後(下)
恵比須神社灯火前(上〉後(下)
鎮西上人の伝説
観音さまのご利益に安産があげられるのには、この伝説が関係しています。
鎌倉時代の法然上人(ほうねんしょうにん)の弟子であった筑後国(ちくごのくに:現久留米市)善導寺(ぜんどうじ)の鎮西上人(ちんぜいしょうにん)が、仏教伝導のため諸国を廻っている途中、雑餉隈あたりに来ると日が暮れてしまい、近くにあったお寺に一夜の宿を頼まれたところ、住職は快く承知しました。夜中に坊守(ぼうもり:僧侶の妻)さんが難産のために大変苦しみはじめました。それを知った鎮西上人が安産の祈願を行うと、無事玉のような赤ちゃんを産むことができた。というお話があります。
鎮西上人の母は太宰府の観世音寺(かんぜおんじ)に7日間お参りして上人を身ごもり、難産のために上人が産まれるとすぐに亡くなられた。そのため上人はお産をする人のことをいつも心配して安産を祈願されていたということです。
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