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大野城市

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むねじのつぶやき(市長のフォトレポート)【平成30年10月~12月】

更新日:2018/12/28

Merry Christmas and Happy New Year

 今年の年末年始は、子どもたちにとって絶好のカレンダーとなっています。12月23日の平成最後の天皇誕生日が日曜日と重なり、17日間の冬休みです。子どもたちへの最高のクリスマスプレゼントと言ってもいいでしょう。
 保育園は例年通りですが、サンタクロースは今年も来てくれました。次の写真は、12月21日に行われた市立筒井保育所(山本加奈枝所長)のクリスマス誕生会でのサンタさんと園児たちとの記念のワンショットです。

  • クリスマス誕生会でサンタさんと園児たちとの記念ショット

 

   私は、魔法使い?、いや、マジシャンとして、黒マントを羽織って大きな箱から登場しました。園児の皆さんと一緒に呪文を唱え、魔法をかけてサンタクロースも箱の中から出てきてもらいました。サンタさんにはクリスマスプレゼントをおねだりするだけではなく、2019年が希望あふれる明るい一年になるようにみんなでお願いしました。

  • 市長とサンタさんが隠れている箱を見守る子どもたち

 

 さて、今年も一年間たくさんのことがありました。そのすべてを週に一度の『つぶやき』で語ることはできませんでしたが、これからの日本が厳しい時代に向かっていることは確かなように感じています。せめて一自治体としてできることには最善を尽くし、将来に向けて、ふるさと大野城市の進むべき道、とるべき手立てに間違いがないよう努めてまいります。
 いずれにしましても、市民の皆様のご理解とご協力なくして未来への道を拓くことはできません。来る年も全職員一丸となって市勢伸長のため頑張ってまいりますので、変わらぬご指導・ご鞭撻の程よろしくお願い申しあげます。

 ご家族お揃いにて良いお正月をお迎えください。

(平成30年12月28日 井本 宗司)


ソフトボール協会、おめでとう40周年。
~金メダリスト・藤本索子さんを招いて~

 12月15日(土曜日)に大野城市ソフトボール協会(平田昇会長)の設立40周年を記念する式典と祝賀会が行われました。
 昭和52年(1977年)に大野城市ソフトボール連盟が発足し、リーグ戦をスタート。翌年にはソフトボール愛に燃えるリーグの仲間たちが結集し、ソフトボール協会(初代会長は山崎朝雄氏)の設立となりました。
 昭和61年にはジュニアソフトボール連盟も発足し、平成5年に5代目会長の菊池元紀氏を中心にして世代を越えた3リーグが大同団結をはかり、今日の「大野城市ソフトボール協会」の原型を作り上げました。

  • ソフトボール協会設立40周年を記念する式典と祝賀会であいさつする市長



 平成5年の合併の時は、私(当時は福岡県議会議員)も微力ながら協力させていただきました。感慨一入、あいさつにも力が入りました。

 記念式典での講演と翌日のソフトボール教室(体育協会主催)の指導には、2008年の北京オリンピックにおいて歴史に残る激戦を制し金メダルを勝ちとられた、藤本索子さん(内野手:太宰府市出身)が来講されました。

  • 記念講演で熱く語る藤本索子さん



 記念講演では「ソフトボールが人間をつくる」の信念をもって乗り越えてこられた、藤本さんのこれまでの道のりについて熱く語られました。

 

  • ソフトボール教室で指導する藤本索子さん



 ソフトボール教室では、「200名の参加者全員とキャッチボールをする!」と気合を込めた指導をしていただきました。曰く、「キャッチボールは相手を思いやってこそ成立するものだ。」と。

 

  • 藤本さんの「金メダル」と「オリンピックのユニホーム」に触れる子どもたち



 藤本さんが持参された「金メダル」と「オリンピックのユニホーム」に触ってチビッ子選手たちは感激。

 2020年の東京オリンピックでは、北京で万全なグラウンドづくりをしてくれたサポーターへのお返しに、「ソフトボール球場のグラウンド整備を是が非でもやらせてもらいたい。」と記念講演で語られた藤本さん。今は母校である福岡県立三潴高等学校で教鞭をとり、女子ソフトボールチームの監督として、「子どもたちに夢をもらっていることに感謝したい」「子どもたちの夢をサポートしたい」という一念で、厳しく優しくグラウンドで指導に当たっておられます。

 40周年記念行事で、子どもたちに夢と希望を持つことの大切さを教えていただいた大野城市ソフトボール協会の皆さん、ありがとうございました。次なる50周年が、また楽しみです。 

(平成30年12月21日 井本 宗司)


継続は力なり。
~35回目を迎えた南コミュニティ「年忘れ ふれあいパーティ」~

 平成最後の師走を飾る南コミュニティ恒例の「年忘れ ふれあいパーティ」は、今年も500名を超える参加者で大いに盛り上がりました。この賑わいの場に、私は30回近く参加していますが、当初から比べると倍以上の広がりになっているのではないでしょうか。南地区7区の住民の皆さんが、体育館を所狭しと動き回り、「大忘年会」の様相を呈していました。

  • バンドによる演奏の様子
  • ダンスタイムの様子

 

  • ご馳走を食べる人々


 これぞ大野城市のコミュニティ力なのです。南コミュニティ運営協議会(会長:竹村勝重月の浦区長)の皆さんの妥協を許さぬ準備と、華やいだ雰囲気を醸し出す地元ダンサーたちの晴れやかな笑顔、そしてこの場を楽しみ、舌鼓を打ちながら一年を振り返る新旧住民の語らいが生バンドの演奏に溶け込んで、心地よい空間を創り出していました。

 大野城市の4コミュニティ運営協議会は、それぞれに個性あふれる多様な事業を展開しています。目指すべきコミュニティ像「市民と行政のパートナーシップで、自治力みなぎるコミュニティ」に向け、来る年は猪突猛進、さらにステップアップします。

(平成30年12月14日 井本 宗司)


ソフトバンクホークス4人衆来たる
~本多雄一・少年少女野球教室~(12月2日)

 「2番セカンドベースマン本多雄一、背番号46、福岡県大野城市出身」というドーム球場のアナウンスが、ついに聞けなくなりました。首の痛みに苦しんだ今年、本多選手は引退を決意し、このオフに一軍内野守備走塁コーチ(背番号80)に就任したのです。
 本多選手は、ホークス入団以来13年間、地元大野城市の野球を愛する少年少女のために野球教室を続けてきました。現役引退の今年も超大物4人を引き連れて市民球場に来てくれました。

  • 本多コーチを先頭に人垣をかき分けて4人衆の入場
  • 身振り手振りの柳田選手の指導に聞き入る子どもたち

 

  • 松田選手のノックを受ける内野手
  • ベースランニングリレーで激走する森投手と甲斐選手

 当日は、9時30分スタートにもかかわらず、早朝6時頃には数組のファンが場所取りに来ていて、主催者(大野城市体育協会)もびっくり。
 「中学生とのバッティング対決」や「紅白戦」のあと、教室の最後にはピッチャー森、キャッチャー甲斐、セカンド松田、一塁ランナー柳田、本多の豪華版で、大リーガーを驚かせた「甲斐キャノン」の披露があり、グラウンドもスタンドも大歓声の盛り上がりとなりました。

 普通では考えられない大物5人による野球教室でしたが、これは本多雄一コーチの徳の成せる業であり、彼に心を寄せるホークスの仲間たちがチーム内に大勢いることの証とも言えます。ふるさと大野城市のことも忘れずに、背番号80を背負って、若鷹たちの巣立ちに力を発揮してくれるものと本多ファンは信じています。

 ありがとう、本多選手、頑張れ、雄一コーチ。

ソフトバンクホークスの選手との記念撮影

〔必見〕
 1月1日、元旦のソフトバンクホークス特集(RKB)で、野球教室の様子が放送されます。

(平成30年12月7日 井本 宗司)


集まる!気づく!ともに生きる!
~大野城市ふくしフェスティバル開催~

 文化高揚の秋に大野城市で行われる数々のイベントを締めくくる「ふくしフェスティバル」が、11月25日(日曜日)に開催されました。実行委員を公募で選び、事業内容も一新。多くの来場者が、バラエティに富んだ各会場を子どもたちも一緒に回っておられました。

  • 宇木稔さんのサックス演奏


 「大野城まどかぴあ」では、まずギャラリーモールで、視覚障がい者・宇木稔さんのサックスとコカリナの演奏がありました。一音一音に魂が込められた演奏には、耳から入って心に響く感動のひとときをいただきました。

 

  • 訪問入浴車の展示コーナー


 「まどかぴあ」周辺の広場では、訪問入浴車の展示や電動車イスの体験コーナー、福祉団体による飲食販売エリアなどで、「いらっしゃいませ!」「ありがとうございます!」の声が飛び交っていました。

 

  • 日赤のPRキャラクター「ハートラちゃん」との記念の一枚

 

 道路を渡って「大野城心のふるさと館」では、日本赤十字社の活動PRコーナーや金澤翔子さんや障がいのあるアーティストの作品展が同時開催されていて、賑やか空間を作り出していました。

 福祉の「福」は「しあわせ」、「祉」は「めぐみ」「しあわせ」を意味します。たくさんのボランティアの皆さんに支えられ、守られながら施設は運営され、数多くの行事が進められています。
 人は年齢を重ねると福祉事業の役に立ちたいとの思いが強くなると聞きます。お世話になった社会への恩返しや地域デビューの場はたくさんあります。社会福祉協議会に一度足を運んでみませんか?

(平成30年11月30日 井本 宗司)


第7回古代山城サミット報告
~大野城市と朝倉市で合同開催~

 2010年(平成22年)9月に朝鮮式山城と神籠石系山城が所在する30自治体に呼びかけて、第1回の古代山城サミットを大野城市で開催して8年が経ちました。
 第7回目を迎えた今回、当初は朝倉市にて単独開催の予定でしたが、昨年7月の九州北部豪雨で国指定史跡の山城「杷木神籠石」も大きな被害を受けました。そのため、「自治体首長会議」を大野城市で行い、夕刻のレセプションと2日目の視察を朝倉市で開催する運びとなりました。

  • 自治体首長会議


【1日目】11月15日(木曜日)
 大野城まどかぴあで開催された「自治体首長会議」では、毎年のように起こる災害から、歴史遺産はどう備えをし守るべきか、参加自治体間で活発な意見交換を行いました。レセプションと宿泊は原鶴温泉です。

 

  • 杷木神籠石視察


【2日目】11月16日(金曜日)
 「杷木神籠石」はじめ「普門院」「朝倉橘広庭宮伝承地」など朝倉市内の被災文化財を視察。大野城市から「古代山城関連事業推進協議会」「山城樂講」のメンバー約20名も合流されました。

杷木神籠石の被災状況

 古代山城の麓に暮らす参加自治体の山城人(やましろびと)としての誇りと覚悟を、私たちは「大野城・朝倉宣言」に込めアピールしました。

 宣言抜粋

『・・・古代山城が城として使用されなくなり、城跡として残された今日。猛威を増している自然災害を前に、古代山城を守るためには新たな取り組みが必要です。私たちサミット参加自治体は、これまで続けてきた古代山城を守り、伝え、活かす取り組みをさらに進めるとともに、連携・協力を深め、互いに助け合っていかなければなりません。・・・・これまでのサミットを通じて結ばれた縁(えにし)を活かし、古代山城を守り、未来へ伝え、その魅力を多くの人に届けるための取り組みを、手を携え、共に進めていくことをここに宣言します。』

(平成30年11月23日 井本 宗司)


頼みの消防団~山林火災防ぎょ訓練から~

 11月11日(日曜日)、早朝7時30分の集結訓練に始まった消防署・消防団合同の山林火災防ぎょ訓練(牛頸山火災を想定)には、春日市・那珂川市消防団を含め約300名が駆けつけて鎮圧に当たりました。

  • 全体の火災防ぎょ活動図
  • 大野城市消防団の火災防ぎょ活動図

 

  • 消防団員を激励する井本市長



 牛頸ダムを水利として、約870mのホース延長と中継車両の設置(写真は中継地点で大野城消防団員を激励しているところ)。

 

 

  • 訓練後に講評を行う様子

訓練終了後、大隊長指揮の下に集合。消防長、消防団長(代表して大野城市)とともに訓練についての講評を行う。

 これからの時期は空気が乾燥し、火災が発生しやすい季節を迎えます。現在、アメリカ西部カリフォルニア州で多発している大規模な山火事では、少なくとも59人の死亡が確認され、安否不明者が多数出ており、約30万人が避難を強いられています(11月15日発表)。

 30数年前、私が消防団員として出動した牛頸山の山火事では、数日間延焼し続け、24時間体制を敷いて交替で現場に張り付きました。仕事も急きょ休みを取って対応したことが思い出されます。山火事は、風向きを読み間違えると煙に襲われて方向を見失い、気づいた時は、飛んできた火の粉で炎に包まれ、逃げ場を失うということがよくあります。このような訓練を重ねることによって、署・団の厳格な連絡体制と団員間の緻密な連携行動を磨くことが山野火災にとって非常に大切なことなのです。

 必ず起こると言われる大地震や毎年のように大災害をもたらしているゲリラ豪雨。私たちは、大自然が打ち鳴らす警鐘に耳を傾け、万全の備えをとり続けていかなければなりません。「明日は我が身」と心得て、避難準備にも怠りなく訓練を重ねていきましょう。近隣の避難訓練などには必ず参加していただくことを是非ともお願いいたします。

(平成30年11月16日 井本 宗司)


まどかフェスティバル~人・ヒト・ひと~

  今年の「まどかフェスティバル」(11月3日・4日)は天候に恵まれて例年以上の人出で賑わいました。私も2日間、フル稼働で各会場を回りましたので、フォトレポートします。

11月3日(土曜日)

  • 総合開会式
  • みどりの広場

 

  • リサイクル工作会
  • RUN伴+大野城「出発式」

 

  • おいでよ!ここふるランド

 

11月4日(日曜日)

  • 御笠川・牛頸川・平野川フェスタ「出発式」
  • 歩こう運動1万km達成者表彰式

 

  • まどか文化祭
  • 英語・日本語スピーチコンテスト「オープニングセレモニー」

 数が多くて、全ての会場を紹介することができず申し訳ありません。今年から「大野城心のふるさと館」が会場に加わり、年齢・ジャンルを越えて充実した内容へと進化していました。来場者数は約69,000人余。当日までに関係者の皆さんが、「手をかけ、声をかけ、汗をかいた」努力の結果です。まちのにぎわいづくりの原点を見たように思います。萬謝。

(平成30年11月9日 井本 宗司)


本多雄一選手来たる(引退報告)

 すでにマスコミ報道でご存知の方も多いでしょうが、大野城市出身の本多雄一選手が10月25日(木曜日)、引退報告のため市役所を表敬訪問しました。

  • 大勢の職員が3階の市長室前で出迎えました
  • 引退について「悔いはありません」の本多選手の言葉が懇談の空気を和らげました

 本多選手は小学1年生から「ODサンダース」に入団しソフトボールを始め、大野東中学校時代は硬式野球の「大野城ガッツ」で遊撃手として活躍しました。
 先般来庁した杉内俊哉投手(4年先輩)と同様に鹿児島実業高等学校に進み、鹿児島県外出身としては難関のキャプテンとなりチームを統率しました。大集団をまとめるリーダーシップに長け、三菱重工名古屋でさらに力量を磨き、2005年(平成17年)にドラフト5巡目で福岡ソフトバンクホークスに入団しました。
 2010年、2011年には盗塁王、ベストナイン1回、ゴールデンクラブ賞2回を獲得するなど、リーグを代表する二塁手として数々の実績を残しました。
  大野城心のふるさと館に立ち寄り、大型パネル写真の前で記念撮影

 13年間ホークス一筋を貫いた本多選手の引退セレモニーには、大野城市からも多数の応援団が駆けつけ、「本多雄一応援歌」が止むことなく歌われたとの報告を受けました。いつまでもさわやか野球人として少年少女の憧れの的であってほしいと願います。

[お知らせ]本多雄一選手の野球教室の予定
 年末に毎年行っていた「本多雄一感謝のつどい」は12月に開催される予定です。また、子どもたちのための「野球教室」も実施の方向で検討されています。本多雄一選手の勇姿をスタンドから応援されませんか。

  • 日時:平成30年12月2日(日曜日)午前9時30分より
  • 会場:大野城市総合公園市民球場

(平成30年11月2日 井本 宗司)


まちぴか~できる時に、できる範囲で~

 大野城市役所北玄関を出て、右折した交差点の先に、「まちぴか市民運動実施中」の大きな看板が道路の上にかかっているのをご存知ですか?
 今年も10月20日(土曜日)に、『まちぴか市民統一行動』が行われましたので、報告します。

  • 出発式であいさつ
  • 大文字公園でも清掃活動

 大野城まどかぴあ南側広場に集合したボランティアの面々は、「大野城心のふるさと館」周辺を3コースに分かれて約1時間、清掃活動を行いました。
 まちぴか市民運動は平成26年から始まり、「できる時に、できる範囲」で行うボランティア清掃活動としてスタートしました、現在では、個人、団体、3,128名に登録いただいています。
 「まちぴかはおもてなしの第一歩」として、「ゴミのないきれいなまち」の意気込みをもって活動を続けています。
 一つ拾うと 一つ町がきれいになる。
 一つ拾うと 一つ心が整う。
 一つ拾うと 一つ幸せになれる。
 そんなことを考えながら、親子連れや団体、参加の方々と楽しく会話をはずませ、一緒にゴミ拾いをしました。みんなの笑顔が「まちぴか市民運動」の宝物です。次は、11月4日(日曜日)の「御笠川・牛頸川・平野川フェスタ2018」です。クリーンウォークに参加してみませんか?

 さて、この日は大野小学校のPTAやおやじの会が中心になって「ふれあい広場」が盛大に行われていました。私は、まちぴかスタイルのまま駆けつけ、トラック荷台の簡易ステージで挨拶をさせてもらいました。
  ふれあい広場であいさつをする井本市長

(平成30年10月26日 井本 宗司)


東京オリンピックの星、勝木隼人選手が故郷に錦を飾る。

 市役所玄関の壁面に「第18回アジア競技大会陸上競技男子50k競歩金メダル勝木隼人選手おめでとう」の懸垂幕が掛けられてから約一か月、金メダリスト・勝木隼人選手(大野南小・平野中卒業)が10月12日(金曜日)、優勝報告にご両親と一緒に来庁されました。

  • 大野城心のふるさと館で大野城市特別表彰を授与しました
  • 「オリンピック目指してがんばります」と力強く宣言

 優勝直後にも、このレポートでつぶやきましたが、勝木選手は34キロ手前で歩型違反による5分間の足止めとなりながらも、残り16キロ時点での4分46秒差を見事に逆転し、2位と3分18秒の差をつけて金メダルを勝ち取りました。東海大時代は故障に泣き、競歩との出会いで再出発。大学卒業後は一年間の就職浪人を経て自衛隊に入隊。この27歳の苦労人は、今ここに大輪の花を咲かせ故郷に錦を飾ってくれました。風貌がどことなく本多雄一選手(今年、ソフトバンクホークスを引退した大野城市の花形)に似ていて、市民の好感度も最高です。
 今後は、自衛隊体育学校で脚力に磨きをかけ、2020年には大野城市大応援団を引き連れて東京オリンピックに出場してくれることを期待しています。

 ところで、この日は、2000年シドニーオリンピックと2008年北京オリンピックに出場した杉内俊哉投手(今年、読売ジャイアンツを引退/大野小、大野中卒業)も挨拶に来庁してくれました。316試合登板、142勝77敗。最多勝や沢村賞など一流の証をたてての凱旋帰省です。
読売ジャイアンツのエース番号「18」のユニフォームを寄贈してもらいました

(平成30年10月19日 井本 宗司)


にぎわいの秋を見つけよう
~『わくわくパビリオン』巡り~

 四季の中でも秋というシーズンは多くの形容詞で語られます。「スポーツ」「文化」「まつり」「食欲」「実り」「行楽」「夜長」・・・・。童謡作詞家サトウハチローは「ちいさい秋みつけた」の中で秋の風情を子どもたちに伝えようとしていますが、近年、「ちいさい秋」が短くなってきたように感じます。夏から冬への通過点のようになってしまうと、手作りのイベントなどで伝統をつないだり、心を集めたりする大切な時間が少なくなってしまうのではないかと心配もします。

 ところで、大野城市では、7回目を迎え秋の風物詩ともなった「おおのじょうまちなかわくわくパビリオン」(大野城市にぎわいづくり協議会主催)が、44プログラム(昨年は35)を揃え、9月23日から始まっています。(12月19日のハンドメイド・雑貨イベントまで)。

 台風一過の10月7日・8日は天候にも恵まれ、私は3つのイベントを訪ねました。

10月7日(日曜日)『第2回大野城いこいの森中央公園・市民感謝DAY』

  • 南ん子太鼓のたくましい音が盛り上げてくれました


 「ステージ」では南ん子太鼓がオープニングを飾り、平野中学校ブラスバンド、ジュニアダンスなど、多彩なプログラムで盛り上がりを見せていました。「飲食ブース」や「フリーマーケット」、消防車や白バイの「体験コーナー」「ゲームブース」は、親子連れの来場者でいっぱいになっていました。

平野中学校吹奏楽部の演奏

10月7日(日曜日)『第4回白木フェスティ原(しらきフェスティバル)』

  • 来場者のおいしい笑顔と出展者の元気な声


 白木原駅東口広場で定着してきた本事業は、白木原商店会が地域を盛り上げようと企画している年に一度のイベントです。
 この広場では他にも、9月16日(日曜日)から「大野城マルシェ」が月1回ペースで始まりました。西鉄電車の高架化を見据え、にぎわいの拠点づくりとして強力に推進しているこの事業は、毎月第3日曜日に催されます。次の開催は10月21日(日曜日)です。

10月8日(体育の日)『大野城フォトコンテスト』

  • 写真展を眺める井本市長


 「大野城まどかぴあ」1階ギャラリーモールでは、10月1日から15日まで大野城の四季を感じる自然風景、イベント、史跡などの写真が展示されています。入選作品は、来場者からの投票によってこの中から決まります。
 

 さ~て、あなたにとって今年の秋はどんな色になりますか?

(平成30年10月12日 井本 宗司)


大人たちの原風景~運動会~

 子どもたちの運動会には両親だけでなく、双方の祖父母の姿も多く見られます。子や孫を見つめる眼差しは、愛情いっぱいで、会場の雰囲気はなごやかで歓喜にあふれ、争いごとの多い今日においては、別世界を創り出している感があります。

  • 筒井保育所運動会で市長あいさつ
  • おおの山城大文字まつりで踊る筒井保育所の子どもたち

 

  • 大野南保育所運動会の様子


 大野城市には市立保育所が3園あり、私は今年も運動会の激励と応援に行きました。台風24号襲来前日の9月29日(土曜日)には、筒井保育所と大野南保育所の運動会が小学校体育館で行われました。年長組による鼓隊の演奏や多くの親子競技が両園とも準備されており、夏以降の練習の成果が次から次へと披露されました。家庭では見られない我が子等の凛々しい姿に、つい涙ぐむ応援席。子や孫の姿を見ながら我が子、我が孫の成長を実感された方、また、ついこの間のことのように自分の幼少期を思い返している方も多いことでしょう。孫たちの所作が、自分たちが辿った子育てと二重写しになることもあるでしょう。
 「昔はこうだった」とか「私の若い頃は・・・」とか言って煙たがれることもあるかもしれませんが、50年~60年という時の経過は、そんなに長くはないんです。

 私も幼稚園や小学校の時のできごとは、今でも鮮明に甦ってきます。自分たちが育った時代の記憶を、もっともっと子や孫の世代に伝え、つないでいきましょう。

(平成30年10月5日 井本 宗司)

 

むねじのつぶやき(市長のフォトレポート)【平成30年7月~9月】

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