むねじのつぶやき(市長のフォトレポート)【平成30年7月~9月】
更新日:2018/09/28
まつり~火とあかりに照らされて~
今年で37回目を迎えた「おおの山城大文字まつり」は、9月22日・23日の2日間開催されました。
両日ともに快晴に恵まれ、市内外から6万人以上の来場者で賑わいました。ふるさと大野城を象徴する「火」のまつりは、昭和57年(1982年)に始まり、今や全ての世代の中にしっかりと根付いています。
子どもたちが将来の夢を描いた紙灯明で作られた「夢灯り道」の先には、2日間にわたって数々の出し物が演じられるメインステージがあります。
22日早朝に採火された火が、古代衣装をまとった私のトーチに引き継がれました。(献火式)
さて、9月23日(日曜日)の夜、国の特別史跡「水城跡」においては、『太宰府古都の光』に呼応して、ボランティアグループ「薊の会」(松本初子会長)の皆さんが、大野城市側700mに約1,000個の紙灯明(市内保育所・幼稚園・小学校の子どもたちの手づくり)を灯し、今年も幻想的な世界が演出されました。
(平成30年9月28日 井本 宗司)
敬老祝賀会~挨拶、そして歌や踊り~
9月14日(金曜日)から17日(月曜日・祝日)にかけて、大野城市の27行政区では工夫を凝らした「敬老の日記念行事」が行われました。まずは、各会場の様子を写真でご紹介します。
平成最後の「敬老の日」の招待者は約8,600人(77歳以上)です。平成の30年間で約4倍に増えています。
大野城市の最高齢者は女性が南ケ丘1区の石井アキさんで108歳。男性は103歳の五條堀佐行さん(上筒井区)です。
以前は、祝日に合わせて一斉開催されていましたが、会場を譲り合ったり、2区合同で開催したり、コミュニティセンターや広いホールを持つ施設を利用したりしながら、区長さんや民生委員、福祉委員など大勢の皆さんが設営や運営に工夫を凝らしておられます。今年は4日間で17区を回らせていただきました。
「88歳になっても、生き甲斐とは何だろうか、とよく考えるんです。」
「高齢となり、私の今の生き様はどうであろうかと思う。」
このような高齢者代表のご挨拶には胸を打たれました。
昨年7月に105歳で旅立たれた日野原重明先生(聖路加国際病院)の次のような言葉が思い浮かびました。〔『生きていくあなたへ』(幻冬舎)より〕
- 「長く生きるということは素晴らしい・・・100歳を超えたあたりから、自分がいかに本当の自分を知らないでいたかということを感じるからです。」
- 「105歳の今、未知の自分を知ることができたという気づきに価値があるのです。」
(平成30年9月21日 井本 宗司)
スポーツの秋来たる!!~まどかリンピック開幕~
30回の節目を迎えた、我がまちのオリンピックとも言える「まどかリンピック」の総合開会式が、9月9日(日曜日)総合体育館で行われました。あいにくの雨で「大文字テニス大会」は9月16日に順延となりましたが、「市民綱引大会」と「市民陸上競技大会」は予定通り実施されました。
今年のアジア競技大会に続いて、2019年はラグビーワールドカップ、そして2年後の2020年には東京オリンピック・パラリンピック、福岡では2021年に世界水泳があり、ワールドクラスの各種大会が続きます。オリ・パラのあとは、各地で様々なスポーツ関連イベントが続き、間違いなくスポーツ人口が増えていくことでしょう。超高齢社会を迎え、健康寿命を延ばすことが行政の大命題となっている今、この機を逸してはなりません。老若男女の枠を越えて魅力あるメニューを、さあ準備しよう。
まずは一歩、自分の体を動かしてみましょう。
〈報告〉自慢(?)のノドでオリ・パラPR。
『東京五輪音頭ー2020ー』を「シニアのつどい」第二部の歌謡音楽のつどいで披露させていただきました(9月7日)。このつどいでは毎年、挨拶の代わりに歌を歌わなければなりません。私の持ち歌もそろそろ底をつきかけていますが、大切なのは元気。まどかぴあ大ホールに響きわたるように、とにかく大きな声で気持ちよく歌うことです。今年も、会場からは手拍子の応援、そして私のバックでは下大利団地の皆さんが横断幕、いや、万国旗を持って励ましてくれました。
感謝、感謝です。
(平成30年9月14日 井本 宗司)
大野城市希望の星、勝木隼人選手(平野中学校卒)、アジア大会で金メダル!!
ジャカルタで開かれていた第18回アジア大会が9月2日(日曜日)に閉幕しました。日本は205個のメダルを獲得し、2020年の東京五輪に向けて弾みをつける成果をあげました。
75個の金メダルのうち、「陸上競技男子50キロメートル競歩」で金メダルを獲得した勝木隼人選手は、大野城市立大野南小学校・平野中学校を卒業し、福岡県立武蔵台高等学校の陸上部で活躍、箱根マラソンに憧れて強豪の東海大学へ進学。大学では、相次ぐ怪我のため競歩に転身して頭角を現わし、卒業後は自衛隊入隊。自衛隊体育学校で訓練を重ねる毎日です。
今回のアジア大会は、気温30度超と忍耐力が問われるレースとなりました。勝木選手はユニフォームに穴を開け、氷を詰めた帽子で頭を冷やしながら、歩型違反の警告で5分足止め(コース脇に設けられた『ピットレーン』に待機すること)にもかかわらず驚異的な追い上げをみせ、大逆転で金メダルを獲得しました。
27歳の苦労人は、2年後の暑さ対策でも優位に立っています。次の挑戦は来年のドーハで行われる世界選手権です。
話は変わりますが、アジア大会に「ボウリング競技」があったことをご存知でしょうか。今回のジャカルタ大会では男子トリオ戦(3人チーム戦)と女子マスターズ戦(トップ選手16名による勝ち抜き戦)で日本は金メダルを獲得しています。そして、アジア大会の閉会式があった9月2日には、大野城市でも「第19回市民ボウリング大会」が開催されました。
大会を主催している「大野城市ボウリング協会」は、平成17年(2005年)にボウリング愛好家の皆さんによって設立され、大会運営を体育協会から引き継いできました。昭和3年生まれの初代会長・井本鴻作氏は、昨年11月6日に急逝されました。亡くなられる直前までボウリングとともに生涯現役を貫かれた会長です。当日は、2代目・田中義男会長はじめ参加者の皆さんとご冥福をお祈りし、ゲームに入りました。今大会の輝かしい金メダルは男子・山口和敏さん(スコア703)、女子・山口れい子さん(スコア601・総合4位)でした。近年、ボウリングは高齢になってもスコアを伸ばすことができる生涯スポーツとして注目されています。筋力・心肺機能の維持や関節の可動域を広げることもでき、高齢化が進む日本ではさらに普及していくことが期待されています。
国際大会などでもっとスポットライトが当たるようになると、半世紀前のボウリングブームが再来することは間違いないでしょう。「昔とった杵柄(きねづか)」、団塊世代の活躍の場がここにもあります。
(平成30年9月7日 井本 宗司)
立派な中学生~模擬議会開催~
TVQ、ケーブルテレビ、新聞各紙がカメラを構える中で、8月23日(木曜日)に初めての中学生模擬議会が開催されました。
模擬議会とはいえ、質問項目は「防犯カメラの設置」「花いっぱい運動」「不登校生徒への取り組み」「国際化への対応」「奨学資金制度の充実」「防災対策」「文化・歴史の学習」「道路整備」「ごみ処理問題」「学校給食」など多岐にわたっています。段取りも進行も、市議会本会議と同じように繰り広げられ、答弁役の市議会議員の皆さんとのやりとりは堂々たるものでした。
私への質問は、「『シティブランド・ランキング―住みよい街2017―』で全国1位となった大野城市で数値の低い『快適な暮らし分野』について」など、3項目でした。
回答の最後に、22名の中学生議員の皆さんに次のようなメッセージを送りました・・・「神聖な市議会本会議場での経験は、おそらくインパクトも大きく、皆さんの記憶に深く刻まれることでしょう。今後も市政に関心を持っていただき、近い将来、市の執行部として、あるいは市議会議員として地域に貢献されることを期待します」と。
さて、災害が多かった今年の夏でしたが、「第7回大野城市中学生被災地派遣研修(8月6日~8月9日)」にも、市内5中学校から2名ずつ計10名の参加がありました。この研修では、生かされた命を大切にしながら復旧に汗し、ふるさとの再興に努めておられる方々から多くのことを学んできます。ひと回りもふた回りも大きくなって帰ってきた中学生団員たちの言葉からは、「地域のために尽くす。私たちが頑張る。」という決意が伝わってきました。
10名の派遣研修の報告会は、11月3日(土曜日)の「心の教育フェスティバル」(まどかぴあ)と来年3月11日(月曜日)の「復興の夕べ」(中央コミ)で行われることになっています。
もうすでに半世紀も前のことになってしまいましたが、大野町で一校しかなかった大野中学校で私も生徒会長を務めていました。今の中学生のように、人前で堂々と自分の考えを述べたり、自治体を代表して他県に派遣されたりする機会はなかったように思います。次の時代を背負って立つ、目の前にいる中学生の所作や振る舞いに触れるにつれ、「大野城市は大丈夫!」の感を強くした次第です。
きばれ中学生、ありがとう中学生諸君。
(平成30年8月31日 井本 宗司)
菊池市との災害時相互応援協定を締結
岩手県奥州市、兵庫県芦屋市に次いで3番目の災害時相互応援協定を8月16日(木曜日)に熊本県菊池市と締結をいたしました。
調印式は、江頭実菊池市長に来庁いただき、大野城市役所で行いました。
鞠智城を抱く菊池市とは、「古代山城サミット」において、文化財を活かしたまちづくりや災害時の文化財保守・応急対策などについて、議論と交流をこれまで重ねてきています。そのような経緯から、一昨年4月の熊本地震の折、避難所運営への職員派遣や不足物資(ブルーシート、割りばし、紙皿など)の提供等の支援を大野城市が直接行ったことで、絆はさらに強くなったと言えましょう。そんなご縁もあり、この度の協定締結となりました。
古代7世紀に大和王朝によって造られた山城築造とのろしネットワークは、21世紀の今、人的交流なども含め新たなネットワークを再構築していると私は考えます。
今年7回目を迎えるサミットは、「大野城まどかぴあ」と「大野城心のふるさと館」において11月15日に『首長会議』等を行い、夜の『交流レセプション』は昨年7月の被災地、朝倉市(原鶴温泉)に場所を移して行います。翌日は被災した杷木神籠石、普門院などを視察することにしています。
私たちは被災地のこと、被災した方々のことを忘れてはなりません。日々の被災地支援は、大野城心のふるさと館1階の「まどかショップ」改め「ここふるショップ」で、どうぞ被災地特産品をご購入ください。
(平成30年8月24日 井本 宗司)
折り鶴に祈りを込めて~原爆資料展~
「平和をつくることは、難しいことではありません。私たちは無力ではないのです。平和への思いを折り鶴に込めて、世界の人々へ届けます。」
この一節は、8月6日(月曜日)広島の平和記念式典におけるこども代表「平和への誓い」で述べられた言葉です。
大野城市では、8月3日(金曜日)からNPO法人筑紫原爆被害者の会の協力を得て原爆資料展(まどかぴあ1階ギャラリーモール)が今日まで開催されました。私は3日目の8月5日(日曜日)に、周南市スポーツ少年団との交流イベントの後、今年も足を運ぶことができました。掲示されている被爆直後の写真を真正面から見て戦争の悲惨さを瞼に焼きつけ、平和への祈りを込めて折り鶴を折らせていただきました。
(平成30年8月10日 井本 宗司)
“いのち”の話~心に響いた研修会~
東日本大震災直後のことです。・・・楽しみにしていたお菓子を片手にコンビニのレジに並んでいた女の子が、義援金箱に目が止まり、一方の手に握りしめていたお金をそっと箱に入れ、お菓子を棚に戻して黙って立ち去りました・・・。被災地に寄せられている動画の一コマですが、7年前の被災地には、語られることのなかった、そんな人々の姿が残されています。
7月25日(水曜日)に、第13回子どもたちの『いのち』を守る研修会が行われ、岩手県陸前高田市の金賢治教育長が「生きる」ということ、「人のいのち」「家族」について切々と語られました。まどかぴあには教職員・PTA・市職員はじめ一般の方々など、700名以上の参加がありましたが、感動に心打たれ、悲しみに涙し、大ホールはシーンと静まり返っていました。
冒頭の話は、寄せられている数ある動画の中の一つを紹介されたものです。先生の講話内容を断片的ですが、少し紹介します。
- 「お母さんがこんなに早く亡くなるんだったら、私は生まれてこなければよかった」という生徒の言葉が心に引っかかっていた。
- 考えてください・・・「あなたにとって一番大切な人は誰ですか?」「あなたのことを一番大切に思ってくれている人は誰ですか?」
- 妻がいて、家族がいたから、私は頑張ることができた。
- 当たり前にあることが、人間にとって一番の幸せであることに、災害に遭うと気がつく。
- 『家族を亡くす』『仲間を亡くす』『思い出を失くす』『生きた証が消える』、そんな喪失感と闘いながら必死に生きようとしている生徒たちの姿から、『生きること』について深く考えるようになった。
- この町には、生きたくても生きられなかった人たちがたくさんいた。死者1,735名、全ての人に家があり、家族がいた。それが一瞬にして壊れてしまった。
- 人の心にある「自分だけは・・・」という油断が動きを止める。
- 「戻らない」「近づかない」「様子を見に行かない」「想定にとらわれない」という『4(し)ない』を守ろう。
- 『いじめ』について・・・「いじめをするヒマなどない。もったいない生き方をしていないか?」「今、ここで精一杯生きているか?」自問してみよう。
平成30年7月は、経験したことのない災害の月として歴史に刻まれることでしょう。初めて広域に発令された大雨特別警報と220名以上の死者を出した西日本豪雨。その後に続いた「いのちに危険が生じる暑さ」・・・気象庁の予報官は「これは『災害』という認識である」と語った。そして西日本豪雨の被災地を逆走し、異例の進路をたどった台風12号。
私たちは、今後必ず起きるであろう大地震に備えなければなりません。地球規模で起きている異常気象で、山は焼け、波は襲い、ガケは崩れます。金先生の言葉を今、かみしめています。・・・「災害もいじめも、同じようにいのちというものを大切にしなければ防げない」ということを。
(平成30年8月3日 井本 宗司)
―歴史と、まちと、人と、想いと―「つなぐ、つながる。」市民ミュージアム開館
~大野城心のふるさと館、いよいよスタート~
「歴史」「子ども」「にぎわい」をキーワードとして、新しい形の市民ミュージアム『大野城心のふるさと館』が7月21日(土曜日)にオープンしました。
1350年を経ても壊れなかった「大野城」と「水城」の土塁。古代の人々が版築と呼ばれる土木工法で、幾重もの土層を丹念に築き上げられたように、「大野城心のふるさと館」も西谷正整備検討委員会委員長など、これまで関わってこられた全ての人の想いがそれぞれに固く重なり合い、ここに結実なりました。
お知らせ:大野ジョー応援団、今年はベスト10入りを誓う
「大野城心のふるさと館」開館2日目には、8月1日から始まる『ゆるキャラ(R)グランプリ2018』でのベスト10入りを誓う「大野ジョー応援団・団結式」が、くまモンの特別参加を得て盛大に行われました。
2015年が全国584位(3,506票)、2016年は135位(30,685票)、そして2017年が17位(81,251票)と、いよいよ頂上が見えてきました。投票は、パソコンやスマートフォンなどから、一つのアドレスにつき1日1票入れることができます。投票期間は11月9日までです。「大野城心のふるさと館」開館の年、大野ジョー君とともに大きな足跡を残そうではありませんか!!
みんなで投票協力の輪を広げましょう。
(平成30年7月27日 井本 宗司)
福岡県庁へ~小川県知事、井上県議会議長に要望~
西鉄天神大牟田線の連続立体交差事業(下大利~雑餉隈)が、平成32年度の高架切替え、33年度完了に向けて着々と工事が進められています。
7月13日(金曜日)、事業の期間内完成に向けて福岡県の取り組みを確認し、併せてこれまでの事業推進に対しお礼の意味も込めて、県庁と県議会に要望活動をしました。
今年に入って、1月11日(木曜日)に、江口福岡県副知事と上京し、国土交通省や地元選出国会議員の皆さんに国家予算の確保をお願いしていましたが、福岡県、福岡市、春日市とともに、大野城市の地元負担も大きなものがあります。この高架事業は福岡県事業ですが、沿線住民の方々や西日本鉄道の協力は欠かせません。橋脚が林立し、まもなく「人・モノ・交通」の拠点となる駅舎の建設も始まります。福岡県議会議長に井上順吾氏が就任された、この時こそが地元にとっては絶好の陳情チャンスなのです。
春日・大野城両市にとって連立事業は、街路整備や区画整理事業、併せて公共施設の機能集約や再配置、商店街等の活性化、点と点を結んで回遊性を高めるための高架下の空間の活用など、大事なまちの顔づくりと考えています。まちの形が変わり、人の流れも変わります。未来の世代から感謝してもらえるように、50年、100年先を見つめ、完成後の沿線整備も視野に入れながら、この事業に取り組んでまいります。
(平成30年7月20日 井本 宗司)
初めての大雨特別警報、厳戒体制の3日間の記録
6月28日(木曜日)の注意報に始まった今回の大雨、その後の台風7号による警戒体制に続いて、7月5日(木曜日)からは3日間、段階的に体制をとり、最終的には全職員が災害対応に当たった。もちろん、災害はいつ起こるか分からないため徹夜の配備である。
3日間の流れ
- 7月5日
15:34 大雨警報発表
16:15 第1回警戒本部会議(興梠副市長が本部長)。土砂災害の危険性あり。
18:10 市内の土砂災害のおそれがある地区に「避難準備・高齢者等避難開始」発令。避難所へ8班出動。
- 7月6日
5:00 河川の水位上昇。土砂災害危険地域にある小・中11校の休校を決定(のちに全校の休校を決定)。
7:30 牛頸ダム流入増大。土砂災害警戒情報発表。「避難勧告」発令。災害対策本部(市長が本部長)への移行を決定。「起こりうる全てのことを想定し、手を打つこと。通常業務は必要最小限とする。」と指示。
9:00 第2回災害対策本部。善一田古墳付近にて水の流出。「子ども、高齢者、要支援者に事故なきよう、細心の注意をするように。」と指示。
10:10 中配水池付近にて崩落ありの情報。
11:15 職員参集人員279名。避難所開設13カ所。
14:15 御笠川沿いに避難準備・高齢者等避難開始を発令。
16:00 土砂災害の危険性高まる。乙金東一丁目と中二丁目の一部に「避難指示(緊急)」発令。消防団によるパトロール、土のう準備。
17:20 御笠川沿いに「避難勧告」発令。
19:10 大雨特別警報(土砂災害)発表。数十年に一度の大雨予想。避難所15カ所に92世帯159名避難。
23:30 避難所19カ所に136世帯272名。介護が必要な避難者は、協定を結んでいる福祉施設に避難。参集職員407名。
- 7月7日
6:00 第11回災害対策本部会議。善一田古墳付近と中配水池付近の2箇所を除く地域の「避難勧告」解除を決定。
8:10 大雨特別警報解除。職員体制、117名に縮小。
12:00 避難者18世帯34名(2カ所)。
15:00 強烈な台風8号は中国大陸へ抜ける見通し。
17:00 善一田古墳付近と中配水池の応急対応にめど。
18:00 第17回災害対策本部会議
18:25 善一田古墳付近と中配水池の応急対応完了。「避難指示」の解除。災害対策本部を解散。
なお、災害対策本部解散から3時間後の21時49分には、再び大雨注意報(筑後地方に大雨警報)が発表されたため、休む間もなく注意配備体制がとられた(約5時間後に解散)。
そして、7月9日(月曜日)午前3時53分に佐賀県南部を震源地とする、震度2の地震が大野城市を揺らしました。
私たちは「想定を上回る大地震やゲリラ豪雨は必ず来る」と肝に銘じておかなければなりません。想定外のことを想定する力を養うため、日々の訓練を怠らず、被害を最小限に止める努力を惜しまないことを、今回改めて心魂に刻み込みました。
(平成30年7月13日 井本 宗司)
千磨一道~子どもたちの伝統武道大会~
7月の第一日曜日に開催(今年は7月1日)が定着しているのが「市民相撲大会(第41回)」と「少年剣道大会(第50回)」です。
今年の相撲大会には小学4年生から6年生までの100名以上の児童が出場し、小学校全10校の団体対抗戦と個人戦が行われました。
かつては大人の大会で、私も出場したことがありましたが、いつの頃からか相撲道の普及を目指した小学生大会として、夏の到来を告げる風物詩となっています。高田川部屋の大乗(幕下45枚目)、大野城(三段目34枚目)の2力士も、この大会が角界に入るきっかけになったと言えます。今年の団体戦は大野南小学校が激戦を勝ち抜いて優勝しました。
剣道大会は、昭和42年(1967年)に「青少年剣道大会」としてスタートした伝統を誇る大会で、今年は記念すべき50回大会でした。市内5つの剣道スポーツ少年団による団体戦と、学年・男女別の個人戦が行われ、団体戦は大野北剣道スポーツ少年団が3連覇を果たしました。
ところで、私の父(故清助)は、福岡農業高校時代に全国剣道大会に出場した猛者で、昭和34年の大野剣友会設立に力を尽くし、のちに第5代大野城市剣道連盟会長を拝名しました。剣友会創成期でもあり、私も小学生時代に父に連れられて2年間ほど貸し防具(胴は竹製でした)をつけ、稽古に励んだことが思い出されます。
「千磨一道」という言葉が私は好きです。道を極めることは並大抵の苦労では叶いません。伝統武道、伝統芸能のみならず、自らが選択した職業においても、その道の第一人者になるには大変な苦労を伴います。
少年時代における百錬千磨の厳しい稽古は、心・技・体を整え、必ずや成果となって将来活きてくると私は確信します。
お知らせ
7月1日は、被災地応援まどかショップ(平成24年からボランティアの皆さんで運営)が「まどかぴあ」での販売を閉じる日でした。これまで東日本や熊本の被災地から特産品を仕入れ、生産者の収益に寄与するとともに、販売利益は被災地の施設などに義援金として送り続けています。当ショップは、7月21日オープンの「大野城心のふるさと館」内のミュージアムショップ『ここふるショップ』に移転し、営業を再開します。是非お立ち寄りください。
(平成30年7月6日 井本 宗司)
このページに関する問い合わせ先
総合政策部 秘書室 政策秘書担当
電話:092-580-1801
ファクス:092-573-7791
場所:本館3階