むねじのつぶやき(市長のフォトレポート)【平成30年4月~6月】
更新日:2018/06/29
次の百年を見据えた福岡県立筑紫中央高等学校の新たな一歩。
~今こそチャンス~
福岡県立筑紫中央高等学校同窓会(鬼塚春光会長)では、昨年11月12日に創立100周年記念式典と祝賀会が、武田鉄矢氏など各界で活躍されている同窓生を交え、盛大に開催されました。
大野城市に唯一の県立高校として、市の発展とともに飛躍を遂げ伝統をつないできた同窓会に大野城支部が設立されたのは、100周年事業が進行中の昨年5月22日でした。関東、関西に支部があるものの、地域支部としては太宰府支部があるだけということで、地元・大野城市の同窓会有志が結集し、藤嘉昭氏を要に据えて設立の運びに至ったと伺っています。
去る6月24日(日曜日)には、発足一周年の総会が大野城市商工会館で行われました。
西鉄の軌道が一世紀の歴史を刻み、ついに2年後には高架化されます。高校では昨年、「環境整備事業促進に関する期成会」が設立され、私も地元市長として、3人の県議団とともに顧問に就任しました。災害等避難施設としての整備や校舎の線路側での建て替え、正門の移動などが今後検討されることになります。
次の百年に向けて、すでに動きは具体的に始まっています。西鉄の連続立体交差事業と軌を一にしながら、筑紫中央高等学校若人の息吹によって巻き起こされるであろう新しいドラマに私は期待しています。その準備と、今打つべき様々な布石こそが私たちの使命であり、次世代に対する責任です。
下大利駅界隈は、国指定史跡「水城跡」に見守られながら、これから大きく変わろうとしているのです。
(平成30年6月29日 井本 宗司)
来るかもしれないではなく、必ず起こる大地震。
6月18日午前7時58分頃、大阪府北部を震源とする地震が発生しました。大阪市近郊で震度6弱を記録(大阪府では観測史上初)。死者5人、けがをした人は400人以上(6月22日現在)、都市機能がマヒし、経済活動も混乱しています。枚方市役所では庁舎内の水道管が破裂し、床一面が水浸しになったと報道されました。
南海トラフ巨大地震を直接引き起こすことはないとの専門家の話ですが、今後は、熊本地震のように最初の地震よりも大きな揺れに見舞われる可能性もあり、しばらくは余震に備える必要があります。
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、被災地の一日も早い復旧に向け、オール・ジャパンの態勢で自分たちでできる支援を続けていきましょう。
大野城市では、災害時の相互支援協定を締結している兵庫県芦屋市に対し、要請があれば、まずはピンポイントで支援を始めます。
大阪地震の前日ですが、梅雨のこの時期に毎年実施している「総合防災訓練」を南コミュニティセンターで行いました。
訓練当日は、午前9時に緊急地震速報が発令され、南ヶ丘2区の皆さんが「隣組避難行動計画」にそって「一時(いっとき)避難場所」に集まり、二次避難場所(南ヶ丘中央公園・南コミュニティセンター)に移動。
午前10時から全体での訓練となりました。「倒壊家屋からの救出訓練」「積み土のう工法体験」「救急救命体験」などのほか、「カレー炊き出し(陸上自衛隊、南地区食改善、平野中、JA筑紫など)」や、災害時応援協定を結んでいる事業所や協力機関の皆さんによる「各種展示(国道事務所、NTT、九電、西部ガス、九テレ、三和シャッターなど)」など様々な催しが行われました。
この訓練への総参加者数は1,065人〔市民(573人)、職員(103人)、消防署・団(112人)ほか〕と、例年以上に参加率の高いものとなりました。
「地震は必ず来る、災害とは常に隣り合わせである。」と肝に銘じ、これからも“空振りOK、見逃しNO”の精神で訓練・学習・準備を続けてまいります。
(平成30年6月22日 井本 宗司)
地域の結束力を高めよう
平成30年度地域(区)の行事がスタートしています。
先週6月3日(日曜日)は井の口区グラウンドゴルフ大会、中区れくスポ祭へ激励に参りました。6月10日(日曜日)は、釜蓋区のグラウンドゴルフ大会と大池区レクスポ祭り(運動会)に出席しました。
釜蓋区は隣組対抗の大会となっており、以前はソフトボールやバレーボールなどが行われていましたが、グラウンドゴルフになってから20年以上続いているそうです。地元の大城小学校の先生チームも先週の井の口区から2週連続の参加、障がい者支援施設「まどか園」からも毎年選手が出場しています。天気にも恵まれ、平田繁光新区長のもとで、区民の親睦が深まる一日となったようです。
大池区のレクスポ祭りは30回目の節目を迎えました。昨年からは室内競技(東コミュニティセンター)に絞って行われています。競技種目は「風船取り」「綱引き」「ユニカール」「アジャタ」など老若男女誰でも出場できるものになっています。小柳辰生区長の自慢は、競技終了後に行われる公民館での大昼食会。一年間の結束を固める、年度初めの大切なイベントになっているそうです。
大野城市は、「コミュニティ構想ver2~みんなが主役のまちづくり~」に基づいて、4地区の運営委員会が権限を広げ、今年度からコミュニティ運営協議会として活動が始まっています。4コミュニティと27行政区の意見や想いが反映されるように、市民が主体となって様々な分野で事業が展開されていきます。
市民の皆さん、各地域の行事へ気軽に参加してください。
(平成30年6月15日 井本 宗司)
『希望の光』ホタル、今年も牛頸に舞う。
昨年の九州北部豪雨からまもなく一年が経ちます。朝倉郡東峰村で長く続いてきた「ほたる祭り」は、護岸が崩壊し、川沿いの幼虫飼育室も使うことができず、開催の危機に直面していたと聞きます。しかし「宝珠山ほたるを育てる会」の皆さんが棚田の修復などに来てくれる災害ボランティアの方々に心を打たれ、昨秋決定していた中止を撤回し、6月2日に『第31回宝珠山ほたる祭り』の開催にこぎつけたということです。
大野城市では、牛頸川上流にわずかに残っていたゲンジボタルを保護・繁殖させようと、1985年(昭和60年)に「牛頸ホタル部会」が発足し、ホタルの餌となるカワニナの飼育・放流から始めたと聞きます。その地道な活動が実を結んで、ホタルが飛び交うこの時期には、ホタルの観賞に市内外から多くの来訪者があります。
今年は、5月19日(土曜日)から見学受け入れが始まり、見物会場では、ホタルについての説明や交通整理・駐車誘導などに、部会員の皆さんがハッピを着て毎晩詰めておられます。(午後7時から10時まで。今年は6月17日に撤収予定。)
先述の「宝珠山ほたるを育てる会』田中康和会長のコメントに胸を打たれる記事がありました。曰く「今年はどれだけのホタルが出るか分からないが、祭りは『できる』のではなく、『やる』んです。ゼロからの出発だが、ホタルの乱舞を取り戻したい」(毎日新聞)と。
牛頸のホタルも、最初はポツンポツンと絶滅寸前でしたが、地域の方々や子どもたちが努力を重ね、その輪を広げ、今でこそ「ホタルの名所」と言われるまでになりました。何事も一朝一夕にはいきません。一人一人、一つ一つの積み重ねがあって初めて次の扉が開きます。牛頸のホタルは近年、川下でも光を放ち、平野川でも散見されるようになりました。
宝珠山川では、再びホタルの輝きを取り戻そうと地域の人々が努力を続けておられます。被災地域にとっては、今年のホタルは未来に向けての「希望の光」なのです。
今を生きる私たちは、この貴重なホタルの里を、子や孫たちに守りつなぐため方策を打ち続けなければなりません。
これは自然との共生を唱える私たちの務めであり、ホタルはその証でもあると思います。
(平成30年6月8日 井本 宗司)
広がるペタンク熱。2024年を目指そう!!
~「第27回シニアクラブ連合会ペタンク大会」激励~
ペタンクは南フランスを発祥とするスポーツで、フランスでは競技人口が500万人を超え、40万人がライセンスを持ち、様々な大会に参加しているそうです。2024年にはオリンピック・パラリンピックの開催地がパリに決まりましたが、ペタンクが競技種目に加えられる可能性も高いと言われています。
日本では「日本選手権大会」が32回を数えているそうです。小中学生の出場もあり、緊張感あふれる熱戦が繰り広げられていると聞いています。
大野城市では、2005年の「ねんりんピックふくおか2005」においてペタンク競技を誘致しました。以降、大野城市ペタンク協会が中心となりシニアクラブの協力を得て、競技内容の啓蒙・普及と競技人口の拡大が図られています。
去る5月22日(火曜日)には27回目となる「シニアクラブ連合会ペタンク大会」が36チームの参加を得て、盛大に開催されました。ペタンクは『陸上のカーリング』とも言われ、一球で形勢が変わるために集中力とチームワーク、それに高度な技術と戦略が必要とされます。今回の優勝は山田Cチームでした。
また、10月14日(日曜日)は大野城市民ペタンク大会も予定されています。私の仲間たちは今、「2024年、ペタンクでパリへ行こう」を合言葉にチームを組んで練習に励んでいます。
まだまだ間に合います。今日からブールを投げてみませんか?
(平成30年6月1日 井本 宗司)
飛ぶ、跳ねる、そして見(魅)せる。
~中学校の体育祭に感動~
5月20日(日曜日)は市内の全中学校(5校)で体育祭が行われました。当日は五月晴れ、それぞれの中学校では、伝統をつなぎ、創意・改善を巡らせ、見事な演技とチームワークを披露してくれました。
私が大野中学校を卒業したのは半世紀も前のことですが、東京オリンピック(1964年)が成功裏に終了し、一億総スポーツの気運がみなぎり、全国津々浦々まで地域の一大事業として運動会・体育祭が行われていたのを、昨日のことのように思い出します。
体育祭の当日は、私が3校、興梠副市長が2校と手分けして激励に回りました。各中学校ともに生徒たちが自主運営で準備から当日の進行までを行っていました。それぞれにスローガンを掲げ、新学年となってからの限られた時間の中で、練習方法等に工夫を凝らし、その成果を見事に披露してくれました。
参考までに、5中学校の今年のスローガンを紹介します。
- 大野中学校「皆声協創~己の限界を超えろ!~」
- 大野東中学校「制覇~限界突破 ブランドへ~」
- 大利中学校「磨心~励む心・結ぶ心・奪う心~」
- 平野中学校「心化声煌~みんなでつくる本物の平野~」
- 御陵中学校「Over the top~最高の仲間と最高の瞬間を~」
さて、体育祭では開会式のあとラジオ体操があります。ここで勝負は決まる。
- 一挙手一投足に全霊を込めているか?
- 目の前の一瞬一瞬に最善を尽くしているか?
- リーダーの号令はチーム全員に届いているか?
- 縦列横列揃えようとするチームワークは発揮されているか?
職場の朝礼や研修会で行われる朝の体操を見ていると、その組織のパワーや個々人の物事に取り組む姿勢がよく分かるものです。
基本を一つ一つ丁寧に魂を込めて磨き上げてこそ、一流のものに近づいていくと思います。何事も疎かにしない覚悟と行動があって初めて、見る人に感動を伝えることができると私は信じます。
大きなテーマを掲げ、その旗のもとで、一つ一つに全力を尽くしていた頼もしき生徒たちに改めて大きな拍手を送りたい。
(平成30年5月25日 井本 宗司)
上筒井公民館改修、100点満点。(5月12日)
白木原公民館の改修に続いて、上筒井公民館の改修も完了し、5月12日(土曜日)に竣工記念祝賀会が盛大に開催されました。
『大野城市史』によると、『筑前国続風土記』を引用し、「雑餉隈より南に近き村也。村中に筒井とて清水あり。木の筒を以て井韓(いげた)とす。此故に村の名をも筒井と云也。・・・」と地名の起こりを紹介されています。この「筒井の井戸」は見事な花崗岩の細工と地名発祥の由来を物語る記念物として、昭和47年(1972年)に福岡県民俗文化財に指定されました。
戦後の人口増加に伴って、筒井は昭和21年に上筒井と下筒井に分区(分区時期は昭和19年とする説もあり)がなされ、今の公民館建設は昭和49年。全面改修は44年ぶりとなります。今回の工事では、区の要望を十分に取り入れ、外壁、内装、扉なども改修がなされました。萱嶋龍起区長は式典の挨拶の中で、「私たちの要望をしっかりと聞いてもらい、点数をつけるなら100点満点」とご満悦の様子でした。
写真は、新しくなった2階「集会室」のステージで、区長自らがマイクを持って「黒田節」を熱唱しておられるシーンです。祝いの舞は区長とは息もピッタリ、見事なこけら落としの初舞となりました。
(平成30年5月18日 井本 宗司)
ゴールデンウィークのフォトフラッシュ
連休中に“つぶやき”は発せず。フォトフラッシュとして、私が出席したゴールデンウィーク中の主なイベント・総会等を報告いたします。
4月27日(金曜日)『第134回福岡県市長会総会(小郡市にて)』
前久留米市長の退任に伴い、副会長として3カ月間にわたって会長代理を務めてきました。本総会において井上澄和春日市長が新会長に就任されました。
4月28日(土曜日)『大野城市身体障がい者福祉協会総会(大野城市総合福祉センターにて)』
「私にもこんな力と生きがいを!」を掲げて事業展開している身障協総会にてあいさつ。
4月28日(土曜日)『白木原公民館改修落成式祝賀会』
大正6年(1917年)に造られた「白木原倶楽部(集会所)」は青年宿とも言われ、青年が当番で寝泊まりしていたそうです。昭和25年に区ごとに公民館組織が結成され、集会所は公民館へと改称されました。昭和49年には鉄筋造に改築がなされ、今回は44年ぶりの全館リニューアルです。
4月29日(日曜日)『第42回筑紫地区コーラス交流会(大野城まどかぴあにて)』
筑紫地区4市1町持ち回りの交流会には、19団体約400名が参加。会冒頭の全員大合唱には、起立して私も客席コーラス隊の一員に。
4月30日(月曜日・振替祝日)『第30回少林寺流錬心舘福岡県空手道選手権大会(春日市総合スポーツセンターにて)』
全国につながる大事なこの大会には、幼児から大人まで約400名が出場。「型」と「組手」の部で熱戦がくり広げられました。
5月3日(木曜日・祝日)『第10回大野城市中学生女子ソフトボール大会(平野中学校にて)』
夏の中体連を前に、このゴールデンウィークに開催される本大会には、筑紫地区の13校が腕だめし。白球を追って織りなされる青春模様は、昔も今も変わりません。この経験は将来必ず生かされると私は確信します。今年も春日東中学校が接戦を制し、連覇を達成しました。
5月3日(木曜日・祭日)『第57回博多どんたく港まつり(おまつり本舞台にて)』
筑紫中央高等学校ダンス部員とともに連続出場の「大野城どんたく隊」。「住みよい街No.1!」と7月21日オープンの「大野城心のふるさと館」を大いにPRしてくれました。
(平成30年5月11日 井本 宗司)
一日限りの演奏会~響け!中学生サウンド~
今回で6回目を迎えた大野城市民吹奏楽団(大町諭団長)と中学3年生との「ジョイントコンサート2018」が、4月22日(日曜日)に大野城まどかぴあ・大ホールで行われました。
5校すべての中学校から、過去最高の97名の応募があり、生徒たちは1月から7回の合同練習を経て、一日限りの演奏会に臨みました。市民吹奏楽団と合わせると約140名という大迫力の演奏は、正に圧巻でした。
市民吹奏楽団は昭和50年(1975年)に結成され、60代までの年齢幅がある団員40余名で活動を続けておられます。市の各種イベントにも積極的に参加され、4月15日に開催された「いこいの森ロードレース」では、ステージのそでに陣取り、寒風をもろともせずに、生演奏で大会を盛り上げてくれました。
私も大野中学校野球部時代に強豪の社会人野球チームと練習試合をした時のことを今でも覚えています。先輩たちの洗練された技やスピードに驚き、楽しそうにグランドを駆けておられる姿に憧れたものです。
今回の大ホールでの演奏会は、新3年生の皆さんにとっても、生涯忘れることのないシーンとして鮮明に心のアルバムに残ることでしょう。そして今回の経験を糧として、将来どこかのステージで、気の合う仲間たちと演奏を楽しんでくれていることを期待します。
市民吹奏楽団の先輩たち、ありがとうございました。
大野城市民吹奏楽団からのお知らせ
第33回定期演奏会
- 日時:平成30年11月18日(日曜日)午後
- 会場:大野城まどかぴあ大ホール
(平成30年4月27日 井本 宗司)
一眼は遠く歴史の彼方を
表題に続くのは「一眼は脚下の実践へ」。この言葉は私淑する国民教育の父・森信三先生(1896年~1992年)が残された至言です。過去から現在に綿々と続いてきた歴史に学び、将来のために今、なすべきことを実践に移す。これを私は座右に置いています。
さて、“遠く歴史の彼方”から、今日の大野城市のにぎわいを見ることのできる市民ミュージアム「大野城心のふるさと館」(7月21日オープン)開館100日前イベントが4月12日(木曜日)に実施されました。当日は、マスコミ関係が11社、近隣の博物館や自治体関係者も22名出席いただきました。
この会合では、開館記念特別企画展である『顔 The Face~それぞれの「顔」が語りかける「過去」「現在」そして「未来」~』展の発表や館全体の内覧会も行われ、4月1日からこの新しい館に事務室を移した職員が、緊張の中、誘導や説明に駆け回っていました。
次に、“脚下の実践”の面で報告しておきたいのが「小水城(しょうみずき)ゆめあかり広場」の完成と「第4回小水城のあかり」の開催です。この広場は上大利区と南ケ丘1区の区境(所管は南ケ丘1区)にあります。約1350年前に造られ、これまで大きく形を変えることなく残っている古代の防衛施設「上大利小水城跡」(水城の一部と考えられている国の特別史跡)が、そこにはあります。
4月15日(日曜日)に広場の完成式典が行われ、供用開始されました。ここは、これまでコスモスやレンゲを植えて史跡の保護をしていましたが、今回の整備工事により、東屋や案内板等も設置され、市の歴史遺産をつなぐ結節点としての利用も期待されています。当日の夕刻には、地元の歴史愛護団体「小水城(こみずき)の会」の皆さんによって、1625個の紙灯明に火が灯され、「ゆ・め・あ・か・り」の文字が夜の広場に映し出されました。
こちらにも是非、足を運んでください。
(平成30年4月20日 井本 宗司)
ローマは一日にして成らず(春日原駅前線完成)

春日原駅前線(イオン大野城店北側道路)の完成式典と「軽トラ市」が4月8日(日曜日)、盛大に開催されました。
西鉄連続立体交差事業は着々と進んでおり、2020年度(東京オリンピックの年)には下大利駅から雑餉隈駅までが高架化され、翌年度に完了の予定となっています。新しくできる駅舎にアクセスする道路や沿線道路がこれから徐々に整備されていきます。
春日原駅前線は、地域の皆さんと幾度ものワークショップを経、ゆとりある歩道空間が確保されました。「大野ジョー」をモチーフにトリックアートや「錦町通り商店会」のバナーフラッグも設置され、楽しく賑やかな演出が凝らされています。
さて、中断していた「軽トラ市」は、「筒井・錦町まちづくり研究会(中嶋一雄会長)」や「錦町通り商店会(吉村孝平会長)」のご尽力によって復活しました。九州北部豪雨災害復興支援を目的として朝倉市や日田市からも出店があり(総出店数は31店44ブース)、当日は天候にも恵まれ、約12,000人の人出で賑わいを見せました。
「ローマは一日にして成らず」と言います。先月完成した五ケ山ダムも、警察署の分署化も、御笠川の改修も、この高架事業も、30~40年の時を要し今日に至っています。3世代、4世代と地域の中で繋いできたものが今、結実しているのです。
「井戸を掘った人のことを忘れない」「枝、元木を忘れず」と語られるように、先人の努力に感謝し、私たちには次の時代に様々なバトンを渡していく責務があります。今回の完成式の盛り上がりを見て、肝に銘ずべきことをさらに刻み込んで今後の事業展開に臨むことを誓いました。
(平成30年4月13日 井本 宗司)
人生を変える一枚の辞令書(4月2日)
新年度を迎えた4月2日(月曜日)は、辞令交付式が続いた一日でした。大野城市職員辞令交付式に始まり、公立教職員赴任式(辞令は吉富教育長から渡されます)、19時からは消防団辞令交付式。他にも、私が管理者を務めている福岡県自治振興組合や大野城市防犯専門官などの多くの辞令を交付しました。一枚の辞令で職場も変わり、新しい出会いがあったりして、人は異動や昇進を機に隠れた才能が芽吹くことがよくあります。これまでの職務に対する執着などは一旦横において、渡された辞令の裏に秘められた組織の期待や上司の願いというものを考えてみることが必要ではないでしょうか。
さて、今年度の大野城市職員辞令の交付対象者ですが、新規採用19名を含めて147名でした。団塊世代の功労者が、ほぼ退職され、50歳代の職員は3分の1ほどに減っています。年齢的にも多い年で10名、少ない年では2名しかいないというのが実情です。このことは予見できたことゆえ、私が市長に就任以来、採用人数を平準化し、民間経験者にも年齢のバランスを考えて採用をしてきています。大野城市の職員定数は460名(平成30年4月1日現在の職員数:447名)となっていますので、昨年度策定した「職員採用における中期基本方針」において、平成39年度までには定数を満たすよう計画しています。新人19名は早速「前期研修」として基礎学習に取り組んでいます。この研修の中で、私も30分程時間をいただき、市長として、また生産性本部と県議会議員の経験も踏まえて、「仕事への心構え」について話をしています。優秀な人財ばかりです。大小は問わず何とか純金に磨きあげたいとの思いで、毎年語りかけています。
次に掲げた「新しい人たちへ」は、当日配布した私の願いを込めたペーパーです。まずは、この10項目を体に染み込ませてもらいたいものです。
(平成30年4月6日 井本 宗司)
このページに関する問い合わせ先
総合政策部 秘書室 政策秘書担当
電話:092-580-1801
ファクス:092-573-7791
場所:本館3階