日々の写真から(市長執筆)【平成28年度】
更新日:2017年3月29日
平成28年度、最後の執筆~(3月23日、25日、26日)
平成28年度のホームページリニューアルでスタートしました「日々の写真から」も52週目の最終執筆となりました。 自分で決めた日々の約束ごとは、自分からは破らないと誓って、毎週書き続けてきました。回を重ねるごとに文章が長くなっているようで、4月からは日々の写真の中から一枚をピックアップして所感を記載しようと考えています。読む人、見る人の側に立って書かなければなりません
とは言っても今年度最後ですからお許しください。届けられてきた写真に、すべてコメントをつけて紹介してみることにします。
3月23日(水曜日)午前9時より
「災害時相互応援協定調印式」(岩手県奥州市役所にて)
大野城市では多くの災害時支援協定を締結していますが、自治体間では初めてです。同一災害に遭うことの少ない東北と九州で、相互に支え合う体制をつくりあげていくことを小沢昌記奥州市長と合意しました。
3月25日(土曜日)午前10時より
「大野城市立大野北保育所卒園式」
年長クラスさくら組の30人が、希望と不安を胸に新たな第一歩を踏み出しました。我が子の成長に自分を重ね合わせて、たくさんの保護者の皆さんが、涙で曇ったレンズ越しに、シャッターチャンスをねらってパチリ、パチリ。
木本芳江所長にとっても現役最後の卒園生を見送ることになりました。
3月25日(土曜日)午前9時30分より
平成30年夏に開館予定の「大野城心のふるさと館」のガラス面に貼る、衝突防止シールのデザインワークショップが、まどかぴあで開催されました。約70人の皆さんが思い思いにデザイン化して、かわいらしいシールのできあがり。開館が待ち遠しいですね。
3月26日(日曜日)午後0時30分より
「第18回ユニバーサルフォーメーションダンス大会」(クローバー プラザ アリーナ棟大ホール)
3歳から80歳代と年齢幅の広い20団体、250人の皆さんが、さまざまなジャンルのダンスパフォーマンスを見せてくれました。毎年、新たな感動が生まれる、すばらしい大会です。
3月26日(日曜日)午後2時より
大野城市少年少女合唱団「第11回定期演奏会」(まどかぴあ大ホール)
年長さんから高校3年生までの39人のハーモニーが大ホールに響きわたりました。3月恒例となっている素敵な舞台、この日は第3部で、初の合唱劇「メリーポピンズ」が熱演されました。
(井本 宗司)
校長先生の涙~下大利小学校卒業式~(3月17日)
大野城市の小学校は10校、私は下大利小学校の「卒業証書授与式」に出席しました。こすもす学級(特別支援学級)とともに41名の卒業生が母校を巣立っていきました。
卒業した6年生は、4年までは2クラス編成でしたが、5年からは1クラスとなりました。広い体育館に、晴ればれとした笑顔で入場してきた41人の卒業生でしたが、その動きは実に統率がとれ、チームワークの良さが伝わってきます。
彼等には、2日前にも会っていました。大野城市議会の一般質問を傍聴に来ていたのです。思い出に残る良い企画だったと思います。6年後には18歳となり、投票権を行使することになるのですから。
昨年6月にも会っているんです。下大利小学校といえばコスモスリレー。前の年に収穫した種から苗を育て、公民館や病院など地域の方々に、自分たちの手で配っているのです。もちろん、その苗は市役所玄関でも児童の皆さんの手で毎年配られています。いただいた苗は、我が家の庭で毎年、細くて長い茎を伸ばし凛として花開きます。
ところで、卒業式の中で特に印象に残ったのが、井手朋徳校長先生の式辞です。実は、還暦を迎えられた井手校長先生にとって、今回が最後の卒業式だったのです。どのくらい静寂があったでしょうか。登壇された井手校長先生の目から涙があふれ、式典出席者は皆、次の言葉を待ちます。学校生活最後のセレモニーの主役たちにも、いよいよの張り詰めた想いが深まってきているのがわかります。 井手校長先生の卒業生への最後のメッセージは、「声を出し、汗を出し、知恵を出そう」という、先生が長年の学校生活の中で子どもたちに唱え続けてこられた言葉でした。「大きな声であいさつをし、返事をしよう。努力を惜しまず、汗がふき出るまで頑張ろう。よく考え、勉学に励み、知恵が出るように自分を磨きあげよう。」…私はそう聞き取りました。
ちなみに、私が新入社員の頃、先輩からよく言われた「3つのア」に通じるものがあります。それはアゴ(報告、連絡、相談<ホーレンソー>を欠かさぬこと)、アシ(まず動くこと、現場に行くこと)、アタマ(考えぬき、調べぬき、決断すること)の3つのアです。
井手校長先生は、日々の努力の大切さをラストメッセージの中に込められたのだろうと私は思います。1クラスの卒業生たちと先生たちの響きあう心が、体育館いっぱいに広がっていく、感動の第37回卒業式でした。
(井本 宗司)
一年納めの3月(3月7日、8日、10日)
3月は年度末ということで、1年間の納めの行事が行われていますので、ご紹介いたします。
平成28年度食生活改善中央学級閉講式(すこやか交流プラザにて)
〔平成29年3月7日(火曜日)午前11時30分より〕
本市の食生活改善推進会(高田恵子会長)には23区の区単位組織があり、区やコミュニティのさまざまな行事や、「すこやか健康フェスティバル」など市全体のイベントで活躍されています。 中央学級には各区から1人ずつが参加され、4月から1年間、カロリー控えめ料理の調理実習などが行われてきました。
閉講式終了後の情報交換会の持ち寄り料理も、私は楽しみにしています。今年の献立は「かしわ飯」「長ネギとじゃがいものポタージュ」「春キャベツのじゃこサラダ」「鶏のからあげ」「鮭の焼き南蛮漬け」「水ようかん」「アップルケーキ」でした。我が家も薄味ベースですから、最高のランチとなりました。
平成28年度大野城市シニア大学「山城塾」修了式(まどかぴあにて)
〔平成29年3月8日(水曜日)午前11時より〕
平成23年に全8講座でスタートしたシニア大学は、毎年講座の充実をはかり、28年度は19講座を開講し、253人が修了されました。歴史や文化、科学や時事問題、健康や環境などバラエティに富んだ講座内容となっています。「受講生自身が創り、学ぶ場」をモットーに、6人の運営委員の方が企画・運営に携わり、今回から13人のクラスサポーターに講座の準備などにご協力いただきました。
市外からも51人の参加があっており、みなさん口々に「自分のまちにも、こんな大学があったらいいのに」と誉めていただけます。修了式終了後の講師を囲んでの昼食会は思い出話に花が咲き、私も毎年参加しています。
平成28年度大野東中学校卒業証書授与式
〔平成29年3月10日(金曜日)午前10時より〕
大野城市立の5中学校では、一斉に卒業式が行われました。副市長や教育長などと輪番にて各中学校に出席しています。 家族や地域の皆さん、先生や仲間たちへの感謝の気持ちがあふれる感動の式典の最後は、「仰げば尊し」「校歌」で最高潮に達し、皆、涙します。 大野東中学校の卒業生184人は、無限の可能性を信じ、新天地に向けて母校をあとにしました。
「大野城市の未来は明るい」と、今年も立派な卒業式を終え、彼等が3年間切磋琢磨した学び舎を仰ぎ、私は感謝しました。
(井本 宗司)
消防団と自衛隊(3月5日)
3月5日(日曜日)は寒い一日でした。この日も年度末を締めくくる大会などがたくさんありましたが、厳寒の中、野外で行われた消防団と自衛隊の行事を紹介します。
まずは午前9時から、春季火災予防運動行事として毎年行われている大野城市消防団の「放水競技会」です。本会は市内6分団が火災現場を想定しながらタイムを競うもので、御笠川左岸(すこやか交流プラザ側)に小型ポンプを設置して水を汲み上げ、河川堤防上の遊歩道にホースを10本程度延長して、仮想の火点標的をめがけて放水するものです。
私が消防団員の頃は、総合体育館横の階段を使って行われていました。標的は堤灯、私たちは「チョーチンオトシ」と言っていました。
ところで当日の結果ですが、第2分団が優勝、続いて第1分団、第4分団の順でした。
午前10時からは陸上自衛隊の第4後方支援連隊の創立27周年記念式典に出席。式典では、号令一下、一糸乱れずに縦隊を組む、隊員の一挙手一投足に感動。井上澄和春日市長と、それぞれにジープが準備されての巡閲では、隊員の敬礼に身の引き締まる思いでした。
大野城市に地震や水害などで大きな被害が発生した時には、この第4後方支援連隊の隊員の皆さんが、災害派遣隊として人命救助や復旧作業のため一番に駆け付けてくれることになっています。私は陸上自衛隊、航空自衛隊、自衛隊病院をはじめ、様々な自衛隊関係の行事に努めて出席することにしています。「そなえよつねに」、日頃の連携こそが大切であると私は肝に銘じて動いています。
(井本 宗司)
平成28年度大野城市子ども・若者育成フォーラム(2月25日)
土曜日と日曜日に「まどかぴあ」に行くことが多い。
2月25日(土曜日)には、午前から午後にかけて「まどかぴあ」で開催された4会合に出席しました。その一つ、10時開会の「大野城市子ども・若者育成フォーラム」を紹介します。
約140人の参加者が車座に座ってパネラーの話を聞き、そのあとには参加者とのキャッチボールも行われる充実した内容です。テーマは、「若者たちよ、前へ!~共に語り合う、夢と未来part2~」で、パネラーは中学生から22歳までの7人の若者たちです。勉強に追われる毎日や、先生や親、友だちへの感謝、不満、将来への夢、次のステップへの不安などが、それぞれから熱っぽく語られました。
コーディネーターの林田スマさん(まどかぴあ館長)からマイクを向けられましたので、私からもひと言…「経験は10年後、20年後必ず生きてくる。失敗してもいい、エラーをしてもいい、目の前の課題に一所懸命に取り組むことこそが財産になる。」と、こんなことを語ったように思います。
今回で5回目となるフォーラムは、「大野城市子ども・若者育成会議」の皆さんが中心となり、実行委員会形式で開催されています。私は毎回出席していますが、ここに集まった大人の皆さんは、いわば「若者応援団」です。辛い厳しい経験が積み重なるほど、それが大きなバネとなり、いずれはプラスの未来に転じるということを人生の先輩たちは知っています。前に進むための失敗や挫折を恐れずにチャレンジしてほしいと願っている人たちが集まってきているのです。失敗してボロボロになっても、帰る場所や頼れる人、つまり心の居場所の大切さというものがフロアからは語られていたように思います。
台本なしの一発勝負のパネルディスカッションでしたが、集団のプレッシャーに負けず、パネラーとなった若者たちはその役目を堂々と演じきり、そして実行委員、市の担当職員、参加者の皆さんが一体となって、今年もフォーラムは作り上げられました。
(井本 宗司)
政策法務の実践を磨く~職員による研究成果発表会~(2月13日)
大野城市では、職員の政策法務の力を磨くために、平成22年度から近隣の調査や先進地の視察等をスタートし、平成24年度からはアドバイザーとして石森久広先生(西南学院大学副学長、同大学院法務研究科教授)をお迎えして毎年、研修を行っています。平成27年度からは新たに「政策法務実践研修」として、15人の職員が3グループに分かれて自主活動と全体研修を進めてきました。
その1期生が選んだテーマは…
A班「青少年と電子メディアの健全な関係づくりに関する条例の制定について」
B班「早めの発見安心徘徊条例の制定について~徘徊者の安全確保や認知症になっても安全安心に暮らせるシステムづくり~」
C班「大野城市環境美化活動条例の制定について~ポイ捨てのないまちを目指して~」
少子高齢化の中で求められる、社会の倫理観やおもてなしの心をいかに醸成していくか、新しい条例の構想を描きながら、世代を越えた教育や行動を喚起しようとする提案が、それぞれのグループ(各5人)からなされました。コミュニティによるまちづくりを深化させる、市民と行政との約束を網羅した条例素案となっており、正にこれからの共働・共助の社会づくりに一石を投じてくれました。
団塊世代の職員の大量退職期が終わり、現有職員のマンパワーの底上げが叫ばれていますが、自らの能力を“磨ききり”、公僕としての使命を“果たし尽くす”、そんな市職員の気魄が感じられる発表会でした。
(井本 宗司)
桃と梅(2日10日・2月12日)
寒波が続いた先週一週間でしたが、市内各所では様々な恒例行事が行われました。
まず、2月10日(金曜日)には、「第35回桃寿会」(大野城市身体障害者福祉協会主管)がまどかぴあ多目的ホールで実施されました。会員の皆さんやご家族の方々をお迎えして、歌謡や舞踊、手話ダンス、ハーモニカ演奏など多彩な演目で、慰安と激励のひとときを過ごしていただきました。
私は県議会議員時代から毎年欠かさず参加していますが、当初から社会福祉協議会やボランティア連絡協議会はじめ舞踊関係者や文化愛好団体のご協力があってこその継続開催なのです。縁の下の協力者の方には頭が下がる思いです。今年もありがとうございました。私も気持ちを込めて一曲下手な歌を披露させていただきました。
次は、2月12日(日曜日)、乙金台区恒例の「梅まつり」です。回を重ねること26回目。太宰府天満宮から紅白1本ずつの梅の木を譲り受けたことから始められたそうですが、現在では40本ほどに増えています。「梅の実ちぎり」は大野東中学校の一年生が担当します。会場は子ども達から高齢者の皆さんまで、世代を越えた大勢の区民でにぎわいを見せていました。
午前11時の餅まきからスタートした「まつり」は、豚汁やかしわごはん、もちろん梅酒も振る舞われ、ホール内は最高潮。ステージで披露されるマジックや舞踊、カラオケへは掛け声あり、手拍子ありと区民の一体感が伝わってきます。乙金台区自慢のイベントに進化していることを肌で感じるひとときとなりました。
(井本 宗司)
防災と防犯(1日30日・2月1日)
大野城市は、災害や犯罪への備えを万全のものにするために、各団体の皆さんに多方面にわたってご協力をいただいています。先週の写真の中から2件報告いたします。
1月30日(月曜日)には「災害時における外国人支援への協力に関する協定書」を大野城市国際交流協会と締結しました。
10万人都市大野城市には、現在700人を超える外国人の方が居住されていますが、災害発生時において日本語に不慣れな外国人の皆さんが、災害情報の取得や被災後の生活で多くの困難に見舞われることが予想されます。そこで、言語だけでなく、外国文化に精通しておられる大野城市国際交流協会との協定締結の運びとなりました。協会の会員各位に快くご賛同をいただき感謝いたします。本市の災害時の支援協定は、今回で26件目となります。
2月1日(水曜日)には、南コミュニティ7区の青色防犯パトロール車の出発式がありました。「月の浦区」に本市で初めての青パトが導入され、昨年10月には「つつじケ丘区」でも設置、全7区に青パトが揃いました。
大野城市の刑法犯認知件数は、青パト導入前の平成17年は1,994件でしたが、平成28年は741件と半数以下にまで減少しました。今後も、地域・警察・行政が力を合わせ、安全で安心のまち大野城市の確立に向けて、体制の拡充に努めてまいります。
なお、パトロール登録員は現在757人(4コミ合計)で、各公民館・市の安全安心課にて受付を行っています。皆さんのお申し込みをお待ちいたしております。
(井本 宗司)
寒波襲来(1月23日~25日)
昨年の大寒波による断水から一年が経った1月23日(月曜日)、午前11時03分に筑後南部・京築に低温注意報が発令され、大野城市では午後1時に「上下水道局警戒本部」を設置しました。
まずは、宅内漏水による断水を避けるために、配水池の満水運転と1,400件を超える空き家の給水栓止水作業をスタート。
初動活動
- 1月24日(火曜日)午前10時13分 大野城市に低温注意報発令
- 1月24日(火曜日)午後0時 第1回緊急事態調整会議開催
市長指示
- 空き家の給水栓止水作業を全庁体制で行い、早急に全件完了すること。
- 「広報車」「災害情報伝達システム」「防災メールまもるくん」などでの市民への広報、各区・コミュニティセンターへの詳細連絡、市民からの電話対応など万全を期すこと。
- 上下水道局職員だけでなく、学校も含め全庁的に対応すること。
- 昨年の事態に陥らないように、想定できる策は早めに打っておくこと。空振りを恐れず、見落としのないように取り組む気概で対処すること。
1月24日、25日と早朝の気温が氷点下まで下がり、緊張感が漂うなか職員は徹夜の体制を組み、断水阻止に向けて使命感をもって対応しました。幸い、水道管が凍結すると言われる-4度までは下がらず、被害はありませんでしたが、この3日間の寒波対応は、昨年の体験が確実に生かされたものと言えます。
まだまだ2月。「如月(きさらぎ)」とは「衣更着(きさらぎ)」とも書きます。着物をさらに重ね着るという意味ではないそうですが、寒い日は続きます。
市民の皆さんには、寒波に備え、早目に水道管凍結への対応を宜しくお願いいたします。
(井本 宗司)
芸能まつり(1月22日)
1月22日(日曜日)に、北地区芸能・文化発表会と月の浦区新春芸能まつりに出席しました。
北コミュニティでは「芸能まつり」が平成17年にスタートし、今年は「北フェス2016~行ってみよう!やってみよう!~」と共同開催で行われました。
ステージでは、カラオケ、民謡、詩吟、舞踊、ダンスなど公民館などでの練習の成果が次々に発表され、作品コーナーでは書や写真、絵手紙、木工品などの力作が所狭しと展示されていました。この冬一番の寒さでしたが、屋外では消防新車両による放水体験も行われ、センター内の各会場においては、御陵中学校吹奏楽部の演奏、フリーマーケット、工作コーナー、野菜等の販売、昼食コーナーなどで、世代を越えた交流が賑やかに行われていました。私はバザーで、相田みつを氏の「夢はでっかく、根はふかく」の湯呑みセットを300円でゲット。
当日の午後(午後1時開演)は、月の浦区で10年以上続く「新春芸能まつり」です。公民館2階ホールは超満員。プログラムは舞踊やフラダンス、キッズダンス、カラオケなどが2部構成で組まれ、平野中学校の光輝太鼓部や地域の仲間たちが登場するたびに、会場内は、やんやの喝采。
北から南まで、大野城市のにぎわいは、新年早々、いきなりのエンジン全開となっています。
(井本 宗司)
商工会「新年名刺交換会」(1月13日)
年が明けてから連日続いているのが、「賀詞交換会」「新年会」「新年交流会」などの行事です。 1月13日(金曜日)は、新春恒例となっている、大野城市商工会の「新年名刺交換会」が開催されました。 会員のほか区長会や市議会、市職員など総勢234人の盛大な丁酉(ひのととり)年の船出です。 この年は、相場格言に「申酉騒ぐ」とあるように、証券業界ではトランプ相場も相まって、値動きの激しい一年になることが警戒されています。
さて、商工会では、花田稔之会長を中心に役職員が一丸となって事業を進めています。 昨年は、熊本地震の被災地の支援のために、女性部・青年部の皆さんとともに募金活動をされたり、大野城市人口10万人達成に対しましては各事業でお祝いのアピールなどをいただきました。
今年は「酉年」です。干支の酉は鶏のことです。世界は今、「一鶏鳴けば 萬鶏歌う」トランプ現象の中にあると言えるかもしれませんが、日本の神話(古事記など)では、「天の岩戸開き」で登場する常世長鳴鳥(トコヨノナガナキドリ)が有名です。 鶏は、神話の時代から闇を払う霊鳥なのです。 商工会と行政がしっかり連携をとり、多くの人や運気を「トリ込む」飛躍の一年にしようと鏡開き(写真)等が行われました。
声を響かせる「声良鶏(コエヨシドリ)」となるか。はたまた、戦い続ける「闘鶏(トウケイ)」となるか、どんな相手にも動じない「木鶏(モッケイ)」となるか。 あるいは、10m(メートル)の長さにもなる尾を誇る「尾長鶏(オナガドリ)」となるか、暁を告げる鶏となるか。陰陽五行説の金気の正位にある鶏(金鶏伝説は各地にある)になるもよし。 皆さんは、今年の干支にあやかって、どんな鶏になりますか?
(井本 宗司)
誇るべき若者たち~消防出初式と成人式~(1月12日)
年が明けると、すぐにやってくるのが消防出初式と成人式。大野城市が誇る、若者たちによる厳粛な新年恒例の行事です。
まず、1月8日(日曜日)には、春日市・大野城市・那珂川町合同の消防出初式が、今年は那珂川町の当番で行われました。あいにくの雨のため、16年ぶりに体育館での開催となりましたが、消防署員と消防団員にとって、一年のスタートを飾るこの式典は、鍛えぬかれた規律と節度ある姿を、市民・町民の皆さんに披露する最高の場でもあります。今年は屋内開催となったために、入場行進や展示訓練などは実施できませんでしたが、地域の安全・安心の要となっている火消し若衆の隊列は終始ピクリともせず、出席者の期待に十分応えるものでした。
消防団OBとして、私は積雪の中、寒風が吹きすさんだ出初式のことを思い出していました。いつの時代でも、どんな災害でも、地域のために体を張って団行動をとる彼等は、私たちの誇りです。
翌日(1月9日)は、成人の日で国民の祝日でした。この日は、玄関先に国旗が掲げられ、20歳の若者たちを地域全体でお祝いします。大野城市の「新成人のつどい」は、大野城まどかぴあ・大ホールで開催され、新成人の該当者(1,032人)のうち8割が出席しました。新成人の皆さんの「自分たちでつどいを創りあげる」という気概にあふれる式典に私は感動しました。特に11名の実行委員を代表しての「お礼のことば」の場面、司会に促され全員が起立をし、連携をとり、私語を発する人は一人もいませんでした。まるで5年前の卒業式における答辞の場面が再現されたかのようでした。20歳の若人たちは、家族や地域の中で確実に成長している、その姿を私たちに見せてくれました。
私は、大野城市と大野城市民を代表し、イチロー選手の話(小さなことを積み重ねることの大切さ)と、マラソンランナー瀬古利彦氏の「天才有限、努力無限」という言葉をはなむけに贈りました。
(井本 宗司)
仕事始め式(1月4日)
大野城市のホームページを新年より開けていただいた皆様、明けましておめでとうございます。
さて、今日は平成29年仕事始め式の日です。午前10時より新年恒例の「仕事始め式」が行われ、私は今年の市政遂行にあたっての所信を述べました。大筋については『広報大野城』の1月1日号をご覧いただければ幸いです。12月28日の「仕事納め式」では、「働き方を変えてみよう」と訴えました。今日の訓示では、「働き方」で、もう一つ大切なこと、「手間を惜しまない」ということを話しました。目の前の仕事に対し、さらに「ひと手間加えてみよう」ということです。すなわち性急に結論を求めるのではなく、職場の先輩や同僚、関係する仲間たちや異業種の人たちに意見を聞いてみたり、網の目のように整理されている法律や先例、要綱、規則などに目を通すことも大切なことです。そうすることで、新しい知恵が生まれ、ぶつかった壁の中からスキマというものが見えてきます。やれない理由を語るのではなく、やれる方法を組み立てて実行に移していく努力、そのプロセスこそが宝なのです。
以上のような私の仕事観を伝えました。そして今日は、平成8年入庁の14名への20年勤続表彰を行いました。マラソンで言えば折り返し点、「これからが、これまでを決める」と言ってよいでしょう。彼等こそ今年着手する「第6次総合計画」実行の立役者になってもらいたいと期待しています。
市制施行45周年を迎える今年、成長を続けてきた10万都市大野城市が、さらに住みよいまちとして日本の中でもキラリと光る自治体となるよう、「いま」「ここ」にある問題に対し英知を集め、全職員一丸となって邁進してまいります。倍旧のご指導・ご鞭撻とご協力をよろしくお願い申しあげます。
(井本 宗司)
Merry Christmas(12月28日)
大野城市立保育所は3園あります。12月22日(木曜日)には、サンタさんがプレゼントを持って3園を訪れました。私は筒井保育所の「クリスマス・誕生会」に出席しましたが、サンタさんの人気には全くかないませんでした。それぞれの園では、職員劇やプレゼント渡しなど趣向を凝らした企画が準備され、園児は興奮ぎみで、ホールは終始大きな歓声に包まれていました。最後にはクラスごとの記念撮影、そして、おいしい誕生会の給食となりました。私も、しばしの癒やしの時間を園児の皆さんからプレゼントしていただきました。感謝。
12月25日(日曜日)のクリスマス当日は、年末恒例となった「第19回ジュニアときめき文化祭」が大野城まどかぴあで賑やかに開催されました。多目的ホールの「文芸美術の部」には10団体、191人の見事な作品が出展されていました。また、大ホールの「舞台芸術の部」では31団体、720人の皆さんが、ステージ狭しと、1年間の稽古の成果を堂々と披露し、満員の観客を魅了していました。スポーツ界だけではなく、文化・芸術の分野でも、未来を担う世代の洗練された一つひとつの動きに、力強い息吹を感じました。私にとっては鋭気と元気を養う、すばらしいクリスマスの一日となりました。
さて、4月からスタートした私の執筆も今年最後となりました。
大寒波や地震への対応も大変でした。また、日経ビジネス誌「活力ある都市ランキング」では全国2位の評価もいただき、8月には人口が10万人を突破するという記念すべき年ともなりました。
「一年の計は年末にあり」というフレーズが最近の新聞で目に留まりましたが、一年の総決算をすることは、来る年に向けて大切なことです。私も脚下の実践課題を大晦日にかけて、改めて洗い出してみることにします。そして、市民の皆さんとともに希望あふれる新しい年を迎えたいと思っています。
今年一年ありがとうございました。この「日々の写真から」を読んでいただいた皆さん、良いお年を!
(井本 宗司)
総合教育会議(12月16日)
12月16日(金曜日)に、本年度3回目の「大野城市総合教育会議」が開催されました。 この会議は、福岡県下では大野城市が他自治体に先行して昨年4月に設置し、注目を集めました。 市長部局と教育委員会が同じテーブルにつき、子どもたちが抱える諸課題について率直な意見交換がなされます。 これまでの議題の一部を紹介しますと……
- 小中学校空調整備
- 中学校ランチ給食サービス
- 学校運営協議会
- 臨時休校基準
- ランドセルクラブ などなど
今回は、東日本大震災以来、地域と行政が共働して行っている「総合避難訓練」への学校の参加について市長部局から提案しました。東日本大震災では、『釜石の奇跡』と呼ばれた児童・生徒の活躍がありました。 それは、学校や地域と行政が一体となった平時の訓練の賜物です。平日には、児童・生徒たちは必ず学校にいます。 突然の災害が起こった時に頼りになるのが、特に中学生の皆さんでしょう。4月の熊本地震では、生徒たちが誘導活動だけではなく、避難所生活でも多くの場面で献身的に働いてくれていました。総合避難訓練への参加については、3月開催の是非や休日開催の場合の振替え対応など、解決すべき課題はありますが、何とか実現したいものです。 今後は、校長会や各学校の運営協議会などでも議論が進められることになります。
会議では、「子どもは地域の宝」「子どもファースト」などのフレーズが飛び交いました。 未来のふるさと大野城を支えてくれる児童・生徒たちのメッセージを確実にキャッチして、私たち大人は多くの政策を具現化していく責務があります。 この会議は、現場の声を大事にし、実効性あるものにしていきたいと私は考えています。
(井本 宗司)
年納めの12月、来年に希望を託して。(12月14日)
師走になると、年末の恒例行事や来年に向けての準備に、各種団体や行政区は忙しい。
まずは、地域の安全安心が第一です。12月5日(月曜日)には、年末年始特別警戒合同パトロール出発式が午後7時から照明灯をつけて大野城市役所前で行われました。パトカーなど車両20台と警察署、消防署・団、交通安全指導員、少年相談員、防犯指導員の皆さん方は、式を終えた後、早速12月の巡回となりました。
次は正月を迎えるためのもちつき。各区では、子ども会や小・中学校の生徒、シニアクラブや食生活改善推進員はじめ、区民総がかりでもちつき大会が行われています。今年は、これまでに瓦田区、月の浦区(12月4日)、平野台区(12月11日)の激励に参りました。
平野台区では、古式にのっとり、お神酒と塩で四方払い(よもばらい)から始まり、蒸す人、つく人、まぜる人、丸める人と段取りもよろしく、世代交流もさかんに行われ、80キロのもち米がアッという間につきあがりました。
お正月を迎える前に、クリスマスがあります。12月11日(日曜日)は夕方5時から大池区と乙金台区の皆さんによる、「第5回どんぽの森公園・光の祭典」がスタートしました。色とりどりのイルミネーションと竹灯明と紙灯明が幻想的な空間を創り出しています。これは必見です。来年1月3日まで(毎日午後5時30分~9時まで)点灯されますので、ぜひ足を運んでみてください。
(井本 宗司)
第12回少年野球教室~大野城市野球協会・本多雄一後援会共催~(12月4日)
今年で12回目を迎えた少年野球教室が12月4日(日曜日)開催されました。当日はあいにくの雨で市民球場が使用できず、総合体育館で実施されましたが、地元出身(大野東小・中卒業)の本多雄一内野手を先頭に、松田宣浩内野手、中村晃外野手、東浜巨投手が入場するや、館内は観覧席も一体となっての大歓迎。指導を受けたのはジュニアソフトボール連盟や中学生硬式野球チームの約200人で、憧れの選手を前にして少し緊張しながらも、「どうしたらボールを遠くに飛ばすことができるんですか?」とか「好きなタイプを女優さんで言えば?」などの質問を投げかけていました。
この野球教室の開設当初は、杉内俊哉投手(大野小・中卒業)も先輩プロとして一緒に行っていましたが、巨人移籍もあり、今では本多選手が福岡ソフトバンクホークスの選手に声をかけ、実施されています。
教室では、野球の指導だけではなく、キンボールゲームなども行われ、大きな声を出しながら楽しい汗をかいていました。教室を終えたあとは2階ロビーで「大野城鶏ぼっかけ」が、みんなに振る舞われました。
ところで、ホークスと言えば昔は南海ホークス、私が小学校の頃は西鉄ライオンズとの平和台球場での決戦には、球場外でも木に登っての応援があったりで、大変な盛り上がりを見せていました。中西、豊田、稲尾、和田、田中、高倉、玉造…そんなスター選手たちに直接指導いただく機会など、夢にも思いませんでしたし、お願いしてもたぶん実現しなかったでしょう。その点、今の子ども達は恵まれています。自分を伸ばすチャンスが目の前にあるということです。範とすべき選手の所作に接することができるということが、野球人生にどれだけプラスになることか。
さて、本多後援会では、年末恒例の「感謝のつどい」が11日(日曜日)に福岡市内のホテルで行われます。結婚してからも本多選手の女性ファンは減ることはなく、会場では黄色い声が飛び交います。野球に向き合う真摯な姿勢と白球を追う必死の執念がファンの心をつかんでいるのだろうと私は思います。FA権も行使せず、ひたすら歩むホークスの道。来シーズンは日本一奪還と3割、50盗塁、全試合出場を期待し、みんなで球場に足を運びましょう。
(井本 宗司)
勤労感謝の日(11月21日)
勤労感謝の日を前にして、11月21日(月曜日)、大野幼稚園の園児の皆さんが、手作りの大きな感謝状と花束を私と吉富教育長に持ってきてくれました。この贈呈式は、毎年市役所1階ロビーで行っています。市庁舎から近いとはいえ、寒風吹きすさぶ中、園児の皆さんは幼稚園から手つなぎのお歩き訪問でした。この時期は、秋の行事が一息つき、師走の準備や次年度事業についての会議などに追われていて、園児たちの「いつも、ありがとうございます」のひと言ひと言が、新しい力を運んできてくれます。この子たちの未来のために、使命感を持って、責任ある市政を継続していくことを心魂に刻み込む一日になっています。
ちなみに、私も本園に一年通った卒園生です。3人の私の子どもたちが在園中は、父母の会のお世話をさせていただいたことが思い出されます。正に、光陰矢の如し。
(井本 宗司)
全国市長会・諸会議と要請活動の報告(11月16日・17日)
11月16日(水曜日)と17日(木曜日)、全国市長会の一連の会議に出席するため上京しました。私は今、全国市長会の理事として行政委員会副委員長を拝命しています。全国市長会は東京23区を含めて現在814団体で構成されており、九州市長会、福岡県市長会へとつながっています。
さて、今回の会議では次年度に向けて全国のブロックから上がってきた提言を、各分野ごとに分けられた委員会でとりまとめ、理事・評議員合同会議にて決議をし、そののち正副委員長で各省庁の大臣や幹部に直接要請活動を行いました。
私の所属する行政委員会では、以下の項目について総務省と復興庁のトップに直接要望をいたしました。
- 地方創生に関すること(少子化対策への対応、東京一極集中の是正、地方版総合戦略の確実な推進など)
- 真の分権型社会実現による都市自治の確立等に関すること(国と地方の協議の場の確保、更なる権限委譲、義務付け・枠付けの廃止など)
- 社会保障・税番号制度における地方自治体への支援等に関すること(個人番号カード発行やシステムの導入・改修に係る経費等への財政措置、マイナンバー制度の十分な広報など)
- 東日本大震災からの復旧・復興に関すること(財政支援や生活再建支援の強化、再生可能エネルギーの導入推進、地域産業の復興・再生など)
- 地震・津波等災害防災対策の充実強化に関すること(河川等における治水事業の推進、土砂災害対策の推進、防災・減災対策の充実強化、消防救急体制の充実強化など)
かつて、私が福岡県議会議長時代(平成15年~17年)に、戦う地方6団体を掲げ、地方でも中央でも共同行動をとっていたことが思い起こされます。東京一極集中によって生じる様々な問題もありますが、政策によっては、今や「中央政府」対「地方自治体」の様相となってきているものもあります。『戦う市長会』として、「何に対して、どう布石を打っていくか。また、どう対案を提示していくか。」全国市長会814団体それぞれの首長に投げかけられている課題も多く、オールジャパンで対応していかなければならないことを痛感した今回の東京出張でした。
(井本 宗司)
小学校の文化まつり~天使たちの歌声響く~(11月12日)
大野城市には10校の市立小学校があります。各学校で伝統と個性を生かした文化事業が行われていますが、11月12日(土曜日)に2校のイベントがありましたので紹介いたします。
◆大利小学校『大利小文化まつり』午前9時~午後0時
各学年ごとに約20分間、全児童による発表がありました。体育館には保護者の皆さんも応援に大勢かけつけられ、子どもたちの緊張気味のセリフ、天使のような伸びやかな歌声に、大きな拍手を贈られていました。写真は3年生の“考え方ひとつで きらっと幸せ”『音楽物語 三年とうげ』の一コマです。
◆下大利小学校『第17回秋桜(コスモス)祭』午後1時~3時
下大利小学校の秋恒例ビッグイベント「秋桜祭」は、今年で17回目を迎えました。
まつりは、体育館での発表会やバザー、正門付近ではPTAやこぶしの会(おやじの会)などの飲食の出店等もあり、地域の方々のご来場も多く見られました。体育館でのプログラムは、卒業生も多い大利中学校吹奏楽部の演奏(写真)に始まり、スポーツ少年団の紹介や文化サークルの発表等で盛り上がっていました。
大野城市では地域に開かれた学校づくりを目指して、PTAに、C(Community = 地域)を加えたPTCA活動を推進しています。子ども一人ひとりに生きる力の基礎となる確かな学力と豊かな人間性を育むため、全校で家庭や地域、行政と連携した学校運営協議会を設置。児童・生徒の自尊感情、対人関係能力、規範意識や郷土愛の育成を図りながら、特色ある学校づくりと支援体制の充実に努めています。
小・中学校はかつて私たちが学んだところであり、私たちの原点です。市民の皆様には、時々学校に足を運んでいただき、自らが歩んだ道を辿っていただければ幸いです。地域の宝である子どもたちを、地域全体で守り育ててまいりましょう。
(井本 宗司)
まどかフェスティバル~学んで楽しい秋の一大イベント~(11月5日・11月6日)
11月5日(土曜日)と6日(日曜日)、市内で活躍する様々な団体が大集合し、生涯学習の成果を展示したり、ステージでの発表などを行う『まどかフェスティバル』が今年も盛大に開催されました。2日間とも晴天に恵まれ、会場となった「まどかぴあ」「すこやか交流プラザ」「大文字公園」などでは、いたるところに黒山の人だかりができていました。
私はほとんどの会場を回りました。どの事業も万端の準備を整え、スタッフは数日も前からリハーサルを重ねておられます。写真は今年で29年目となる『御笠川・牛頸川・平野川フェスタ』(河川の清掃活動)のひとコマです。市内5カ所からスタートした参加者の皆さんは、ゴミ袋と火ばしなどを手に河川敷を中心にゴミを収集し、「大文字公園」と「横峰公園」の2カ所にゴールします。ボーイスカウトや中学生野球部、地元企業や様々な団体から約500人の参加がありました。私は信じています…「拾う人は捨てない」と。
遠来のお客様をお迎えする“おもてなしの心”は、いかに町がきれいかにかかっています。そんな願いを込め、大野城市では平成26年11月から『まちぴか市民運動』を始めています。現在、登録者は300団体を含め、約1,650人です。皆様の登録をお待ちしています。
毎年のことですが、2日目の最後は、『みどりの広場』の餅まきです。この広場事業は緑化推進協議会、菊友会、農業女性グループ協議会の皆さんと市の公園街路課職員で実行委員会をつくって運営をしています。「この種のイベントは、他自治体ではあまり見られない(菊友会メンバーのことば)」ということです。「継続は力なり」、今年で38回を迎えました。
(井本 宗司)
20歳の「まどかぴあ」は感動発信拠点です。~10月30日(日曜日)のこと~
大ホール 迷子座公演(14時開演)『庄屋に化けた狸(たぬき)』
「迷子座」(座長:藤 嘉昭氏)は、昭和61年(1986年)に旗揚げした市民劇団で、今年で31年目となります。毎年ふるさと民話を中心に公演を続けてあり、今年は筒井区に伝わる民話を題材にした「庄屋に化けた狸」でした。
私は、毎回欠かさず鑑賞させていただいています。結成当初は名士劇風で、客席とのやりとりで笑いを誘っていましたが、今は正に真剣勝負、脚本担当の長澤幸司氏と出演者、音響、照明、さらにはメイクや衣装など、全団員のピーンと張りつめた緊張感が大ホール全体に伝わってきます。正に本物の演劇集団へと進化した迷子座、開場前にできた長蛇の列がそのことを証明しています。今回は、特に馬場徹君の “たぬき” の芸が見せ場を作っていました。…拍手。
多目的ホール ひょうたん島20周年行事(14時30分開演)『音楽祭』
「まどかぴあ」と同じ20歳の「ひょうたん島」は、下大利にある喫茶店です。店長は森拓也君で、障がいを乗り越え自立した生活を目指して頑張っています。
お店に行くと、障害者授産施設等の手作り木工品やご家族と仲間たちで育てあげた大刀洗町の野菜などが、ところ狭しと並べられています。また毎週土曜日には、まどかぴあ1階のギャラリーモールで、新鮮野菜などの販売を行っています。どうぞお立ち寄りください。
私は迷子座公演終了後、遅れての参加となりました。会場は、ひょうたん島を支える仲間たちによって、歌あり、フラダンスありのプログラムが楽しい雰囲気の中で進行していました。森さん親子も次の30周年に向けて、確かな一歩を踏み込んでおられました。
小ホール スマ&龍雲(16時開演)『Talk & LIVE』
2階の小ホールには時間の関係で私は伺えませんでしたが、林田スマ館長のトークを交えた永井龍雲氏のライブで盛り上がっていました。(私の妻が一団を組んで参加。)
(井本 宗司)
「大野城市まちづくりシンポジウム」~鉄道とともにつくるまちのにぎわい~(10月22日)
▲西鉄高架下オープンスペースの将来イメージ図 (この図画はイメージであり確定したものではありません)
西鉄大牟田線の高架化によって生まれるオープンスペースをどのように活かしていくか、専門家の皆さんを招いて10月22日(土曜日)にシンポジウムを開催しました。
大野城市では、西鉄連続立体交差事業によって誕生する新しい顔(白木原・下大利両駅)を含め、線と面と体の整備について、理想的な将来像を示した「高架下利用及び市街地活性化基本計画(案)」を平成26年度から2ヵ年かけて議論を進め、まとめました。
計画の策定にあたっては、事業主である福岡県並びに西日本鉄道をはじめ区長会、商工会、商店会、市議会、関連団体、有識者の方々など多方面からたくさんのご意見をいただき、さらには市民の皆さんに参加いただいたワークショップ(検討会)を7回実施いたしました。今後は計画が確定次第、駅前広場の整備や大野城市らしい駅舎の建築、側道整備など高架事業とあわせて工事が進められていきます。
平成32年度には西鉄電車の高架切替え、33年度連立事業完了、そして高架下空間の整備など、36年度からは部分的な利用がスタートする予定です。関係者が十分に連携をし、50年後、100年後の市民の批判に耐えうる市街地を形作ってまいりたいと考えています。
また、シンポジウムの翌日(10月23日・日曜日)には、西鉄白木原駅東口において、昨年に続き「白木フェスティ原(バル)」が開催されました。今年は、大野城トレイルが3ルート完成したこともあり、『大野城まちなかわくわくパビリオン』の一環として、西鉄の『レールあんどハイク』(市内外から参加者約400名)と共催して『山城ルート』のウォーキングも行われ、ゴール地点の白木原駅は、時ならぬ賑わいを見せていました。
(井本 宗司)
翔んでふれあって2016(10月16日)
10月16日(日曜日)、朝の間はあいにくの雨模様でしたが、3区で予定されていた運動会のうち、2区では会場を運動場から体育館へと変更して盛大に行われました。
『第36回大野城市障がい者大運動会~翔んでふれあって2016~』も、北コミュニティセンター・ふれあいホールで準備も万端、予定どおりの開催となりました。この運動会には私も毎年参加していますが、色んなイベントで会っている顔なじみも多く、今年は300人を越える仲間たちが勢揃いしました。 その仲間たちというのは、大野城市身体障害者福祉協会、手をつなぐ育成会、母子寡婦福祉会、障害者施設団体連絡協議会の共催者の皆さん、さらにはスポーツ推進委員やボランティア連絡協議会の方々で、もちろん市の福祉課・スポーツ課や社会福祉協議会、さらにはライオンズクラブの協力もバックアップの仲間として欠かせません。
全部で13種目の競技の中には、この大会ならではのユニークな競技も多数ありますが、なんと言っても協力者が多いのが特徴で、一つ一つのゲームが確実に、そして楽しく進められていきます。
今年の夏は、ブラジルのリオでパラリンピックがあり、障がいを乗り越えて、多くのアスリートの皆さんが世界中に感動を届けてくれましたが、この運動会は、障がいのある方も一般市民の方も気軽に参加できる、わがまちのパラリンピックなのです。それぞれが持つハードルをお互いがカバーしあいながら共に暮らしていける社会、バリアフリーの環境づくりへ、「共働の精神」でさらに尽力すべし、と再認識した運動会でした。
(井本 宗司)
10月10日は晴れ。(10月10日)
1964年(昭和39年)10月10日、東京は晴れわたり、全国民が注目するオリンピックの開会式が始まりました。日本オリンピック委員会は、「10月10日は雨が降らない」という統計に賭けたとも言えましょう。
そして、今年の「体育の日」は10月10日でした。先週の長雨がうそのように、統計どおり雲一つない秋晴れとなりました。
大野城市では市内の4コミュニティセンターを中心に「MADOKAれくスポ祭」が行われました。各地区コミュニティ運営委員会と公益財団法人大野城市体育協会が共催をし、それぞれに実行委員会を組織して行われる手づくりのイベントです。
種目もバラエティに富んでいて、「まどか弓」「バスケットピンポン」「ペタンク」「アジャタ」「グラウンドゴルフ」「ユニカール」などの軽スポーツ10種目以上が準備され、「史跡探索ウォーキング」や「福祉体験コーナー」、「消防放水体験」、さらには「囲碁ボール」「ごもくお手玉」「わなげ」などの懐かしい遊びも組み合わせて、4会場は6千人以上の市民で賑わいました。
スポーツ庁の発表によると、1964年当時中学生以上だった今の高齢者は、東京オリンピック後に運動に親しんだ世代で、体力テストの平均合計点が高い伸びを示しているそうです(体力・運動能力調査より)。この時代の波は、56年ぶりに開催される2020年東京オリンピック・パラリンピックでも必ずやってきます。市民の皆さん、まずはとにかく、「みる」から「する」に行動パターンを変えてみましょう。やがて来る波に乗り遅れないように。
(井本 宗司)
第6回古代山城サミット西条大会~面から体へ~(9月30日・10月1日)
9月30日(金曜日)・10月1日(土曜日)の2日間、愛媛県西条市・永納山城跡において「第6回古代山城サミット西条大会」が開催されました。
日本国内には所在地不明のものを含めて25ヵ所の古代山城があると言われ、『日本書紀』や『続日本紀』などに記録がある「朝鮮式山城」と、記録はなく土塁前面下部の列石が特徴的な「神籠石系山城」に分けられています。(右図参照)
この「古代山城サミット」は、平成19年から毎年開催されていた「神籠石サミット」を引き継ぐ形で、朝鮮式山城群との合同で、平成22年9月に大野城市で初めて行われ、今年の西条大会で6回目となりました。
今年も、関係する18自治体に加えて文化庁、福岡県、熊本県、愛媛県からの参加があり、1日目「自治体首長会議」、2日目「記念式典・シンポジウム」とこれまで同様のスケジュールで進められました。 今回は、「古代山城を舞台とした史跡の保存整備・活用」をテーマに、近年の集中豪雨等の自然災害に伴う、古代山城等史跡の被害の実態と具体的整備内容、活用事例などが各自治体から発表されました。「大野城跡」については、平成15年の時間100mmを越す集中豪雨により発生した362ヵ所のがけ崩れや土石流の状況と、災害復旧事業(平成21年度まで)で新たに発見された4ヵ所の城門などについて紹介しました。
サミットに毎回出席いただいている文化庁の佐藤正知主任文化財調査官との話が、私には特に示唆に富んだものとなりました。曰く「古代山城を構成する多様な価値を鳥の目でパノラマ的にとらえ、点から線へ、線から面へ、そして面から体へと展開してほしい。その要となるのは人間であり、タテ・ヨコの連携こそがこれから重要になる。」と。
(井本 宗司)
歴史をつなぐ「火のまつり」(9月28日)
9月24日(土曜日)・25日(日曜日)、『第35回おおの山城大文字まつり』が今年も盛大に行われました。区長会や商工会はじめ、各種団体の皆さんのご協力により、実行部隊の委員会(会長:穴井芳春区長会会長)が組織され、大野城市の「火のまつり」は綿密な計画のもとで運営がなされています。
1日目は申(さる)年生まれの皆さんが、早朝から「古代山城大野城」が眠る四王寺山に登って採火式を行います。その火はまつり会場(大文字公園)に届けられ、献火式において陽光台に点灯。さらに分火された松明(たいまつ)は4コミュニティの使者に託されて、各センターに届けられました。
今年は4月の熊本地震で被災された方々を応援しようとくまモンも登場、大野ジョー君とのコラボでのダンスは圧巻でした。まつり会場には復興支援ブースも出店されました。さらには、子どもたちがそれぞれに応援メッセージを書いた「夢灯り」が2日目の夕刻から会場を明るく照らしていました。
さて、まつりの2日前には、旭ヶ丘にある小水城において「第3回小水城のあかり」が開催され、保育園や幼稚園、小学校の子どもたちが描いた1,500個の絵灯明が灯されました(写真左下)。
また、まつり当日は太宰府天満宮の伝統行事「千灯明」が行われましたが、水城跡では太宰府ブランド創造協議会主催で「第11回古都の光」が実施され、幻想的な「光の道」ができました。JR水城駅周辺でも、大野城市のボランティアグループ「薊の会」の皆さんが700個の紙灯明を並べ、「水城跡のあかり」として光の道をつなぎました(写真右下)。
光に照らされてきた先週の大野城市。四王寺山にくっきりと浮びあがっていた「大文字」の明りが消え、参加者の心に余韻を残し、見事に来年へと引き継がれました。人口10万人を達成した今年の「火のまつり」も、大野城築造1400年に向けて確かな第一歩を刻み込みました。
(井本 宗司)
老木は若木より強し~敬老記念行事~(9月21日)
平成28年度の敬老記念行事は、27行政区において盛大に行われました。これまで任期4年間でコミュニティを一巡していましたが、今年は4日間に分散しての開催となりましたので、私は中央と北の2コミュニティの行政区(13区)と午前・午後の2部に分けて実施された南ケ丘1区に出席しました。
9月11日(日曜日)1カ所、17日(土曜日)4カ所、18日(日曜日)3カ所、19日(敬老の日)に6ヵ所 を急ぎ足の訪問となりました。台風16号のスピードが定まらず、心配しながら当日を迎えられた区長さんはじめ福祉関係の皆さんは、ホッと胸をなでおろし、笑顔でお世話をしておられました。
山田区では、今年100歳になられる永川利之さんに直接「お祝い状」を渡すことができました。その時に交わした握手の力強さは大正、昭和、平成と年輪を重ねてこられた老木のたくましさが伝わるものでした。若木の頃の枝葉を落とし、老木は大地にしっかり根を張り、大きな幹を天に向けて突き刺しています。それゆえに風雪に強く、生き抜くことができるのです。
敬老記念行事では、そんな芯棒のしっかりした地域の先輩方にたくさんお会いすることができました。
私の母も元気に満88歳を迎えました。自宅に帰ると、市長からの「お祝い状」が区長さんから届けられ、佛壇の前にそっと置いてありました。
(井本 宗司)
誇らしき銅メダル(9月14日)
第24回福岡県消防操法大会は、9月11日(日曜日)に福岡県消防学校において開催されました。 台風12号の影響で一週間順延され、選手の皆さんは緊張感の持続や体調維持のため長く重たい7日間を過ごされたのではないかと推測します。
筑紫地区代表で出場した我が大野城市消防団は、小型ポンプの部(選手4人、延長ホース1線)と自動車ポンプの部(選手5人、延長ホース2線)で、ともに堂々の3位入賞、銅メダルを獲得しました。
オリンピックでも見られたように、銅メダルには、個人・チームそれぞれに色んな意味あいがあるようです。 最高の緊張感のなかで、ベストの操法を展開した大野城市消防団の選手諸君に、私は次のようなことばを贈りました。
「銅は金と同じと書きます。消防団の伝統を繋ぎ、そして、その歴史に新しい1ページを印した皆さんのその首にかけられた銅メダルこそ、正しく金メダルに匹敵するものです。 私は市長として、選手諸君がこの1年半の間に流した汗とその結果を誇りとします。」と。
(井本 宗司)
大野城市人口10万人達成記念セレモニー(9月1日)
8月18日付の執筆記事において報告していました、人口10万人達成のセレモニーが9月1日(木曜日)に行われました。当日は、マスコミ関係者の取材も多数あって、会場は大いに盛り上がりました。
幸運の新市民は、8月11日生まれの田中琉(るい)君で、一週間後の出生届けにより10万人目と認定されたものです。新聞やテレビの報道で知った市民の皆さんから「10万人おめでとうございます」と、いろんな会合で私にも声を掛けていただいています。琉(るい)君には、健やかに大きく成長されることを期待いたします。
さて、お祝いに駆けつけてくれた「大野ジョー」くんですが、『ゆるキャラグランプリ2016』に立候補し、上位当選を目指して精力的に運動を展開しています。9月6日(火曜日)には「大野ジョー応援団」の団結式があり、2階建てロンドンバスや福岡大学の応援団のパフォーマンスなどで気勢をあげました(右の写真)。
選挙はインターネットによる人気投票で、「大野ジョー」くんは、人口10万人達成にちなんで10万票獲得を目指しています。
(投票期間:10月24日18時まで)
リンク先はこちらhttp://www.yurugp.jp/(外部サイトへ接続します)
(井本 宗司)
防災キャンプ(8月28日)
8月27日(土曜日)・28日(日曜日)、1泊2日のスケジュールで大利中学校の第2回防災キャンプが行われました。
震度6強の地震が発生したという想定で、まずは自宅のポストや玄関のノブに「逃げタオル」をかけ、避難所である大利中学校に避難してきます。
宿泊体験の主なスケジュールを紹介します。
8月27日
13:15 開所式・オリエンテーション
13:40 係別会議
14:50 救急・救命講習(心肺蘇生、AED等による救命訓練)
17:15 夕食準備&夕食
19:25 被災地派遣報告
(1)本年度東日本大震災被災地への派遣団、団長岩野展夫校長の話
(2)熊本地震におけるげんこつの会のボランティア活動報告
20:30 避難所壁新聞製作
22:30 就寝(床にブルーシートを敷き、アルミマットの上に寝る)
8月28日
6:30 ラジオ体操&朝食(避難食)
8:00 被災地体験報告
(3)福岡西方沖地震の取り組み経験の報告
(4)「日本九援隊」災害ボランティアの報告
9:00 閉所式
この宿泊体験プログラムは、大利中学校げんこつの会(おやじの会)が主催し、岩野校長はじめ学校側のバックアップとPTAの協力を得て実施されました。昨年、開校40周年記念事業としてスタートしたものです。
東日本大震災でも熊本・大分地震でも、中学生の皆さんが幼児やお年寄りの手を引いたり、避難所運営の手伝いをしたりして、厳しい時を支えてくれています。平日の昼間、生徒たちは学校にいます。彼等こそが地域ボランティアの担い手なのです。
さて、小学校でもこのような活動は行われています。それは、大野北小学校「こどもひなん所・生活たいけん」(1泊2日)の学習です。東日本大震災を契機として始まって、今年で5回目となる体験学習は、体育館を避難所として使用し、生活・運営を身近なものとして体験しながら、救命講習、防災ウォークラリー、共同炊飯等を行います。今年もPTAや消防関係者等で実行委員会を組織し、7月30日(土曜日)・31日(日曜日)に開催されました。
この学習では、「おおのじょう少年消防クラブ」運営委員会が主管となって、実行委員会設置までの準備を中心的に担いました。
次の時代の大野城市を担う小中学生の皆さんは、今年の夏も新しい出会いと多くの経験を重ね、ひと回りもふた回りも大きくなりました。
(井本 宗司)
10万人(8月18日)
8月18日(木曜日)に、大野城市の人口が10万人に達しました。早速、市庁舎の東側に懸垂幕を掲げました。10万人目は誕生したばかりの男の子の出生届け、今後認定書を渡す式典なども計画します。すくすくと大きく成長されることを期待いたします。
今後は、横断幕(山田歩道橋)の設置、コミュニティバス「まどか号」でのPR、さらには9月24日(土曜日)・25日(日曜日)に行われる「おおの山城大文字まつり」での記念缶バッチの配布などで、人口10万人達成を盛り上げてまいります。
市制施行時(昭和47年4月)の人口は36,757人でしたので、この44年で約3倍に増えたことになります。第5次大野城市総合計画・後期基本計画によると、平成40年頃までは人口増加が続く一方で、高齢化率は26%前後になると予想されています。10万人都市大野城市にとって、少子高齢化への対応は待ったなしとなっています。
さて、10万人と言えば…、8月21日(日曜日)に訪ねた九州国立博物館で開催中の「東山魁夷展~自然と人、そして町~」(7月15日~8月28日)は、ラストウィークとなる今週中に入場者が10万人に到達する見込みだそうです。
戦後の日本画、なかでも風景画に新境地を開いた東山画伯の、84年にわたる名品の数々が展示された展示会にも、是非足を運んでください。
(井本 宗司)
船と徒歩~子どもたちの流す汗と涙~(8月17日)
この夏は、例年以上に暑い日が続きました。そんな中で、毎年実施されている子どもたちの研修・鍛錬の事業が、多方面からの支援を得て今年も行われました。
まずは、第39回大野城市少年の船。7月30日(土曜日)から4日間、大野城市の小中学生43人と指導者などスタッフ22人を加えた一団は、沖縄で「摩文仁の丘」の慰霊活動や船上研修を終えて帰着。解団式での団員の涙は、39年間変わりません。
次に、第19回つくし路100km徒歩の旅。8月8日(月曜日)から5日間で、筑紫地区4市1町を三度笠姿で練り歩きました。宿舎は小学校や自衛隊の施設。これまでに経験したことのない厳しい集団行動が課せられます。今年は参加者が107人(うち大野城市から30人)、スタッフは中高大学生が約60人、社会人約30人という体制です。あちらこちらで飛ぶ叱咤激励と自らを鼓舞する団員たちの大きな声は、今や夏の風物詩ともなっています。
小学校4年生以上が参加するこれらの事業に共通することは、これまでの経験に裏打ちされた周到な準備(事前研修)と個人の甘えを許さないスタッフの組織力、そして全体をまとめる団長・副団長の統率力にあると思います。非日常の集団生活に挑戦しようとする子どもたちの意欲とその行程の中で流した汗や涙は、何ものにも代えがたい自分だけの一生の財産になることでしょう。
いつの時代も、大人はこの子どもたちの元気で無垢な姿に救われます。ひたすらに前を向いて進む彼等に確かな未来を確信して、地域の先輩たちは豊かな故郷を次の世代に託してきたのではないでしょうか。
昔も今も子どもたちは変わりません。子どもは地域の宝なのです。
(井本 宗司)
中学生の真剣なまなざしとはじける笑顔~(8月1日・8月2日)
先週は中学生の皆さんの会合が幾つかありましたが、2事業を紹介します。
まず、8月1日(月曜日)、東日本大震災以来、毎年続けている「中学生被災地派遣研修」の壮行会に出席。圧倒されそうな研修生の真剣なまなざしに感激しました。研修生は、市内5校から2名ずつが選ばれ、事前研修を重ねた後、現地を訪れ、地震と津波の恐ろしさを身をもって見聞してきます。帰着後には、母校や市内の各種会合で、その体験談を発表してもらうことになっています。私たちは、いつ起こっても不思議ではない大地震に備え、学習と訓練を絶え間なく続けなければなりません。なぜなら、その必要性というものが被災地各所で語り継がれているからです。
研修団は8月2日に出発し、宮城県松島町や岩手県大船渡市、釜石市などを訪ね、東北のみなさんから元気をもらって5日に帰ってきました。
8月2日(火曜日)には「第25回大野城市中学校吹奏楽部・合同演奏会」が、まどかぴあ大ホールにて開催されました。3年生を中心に合同練習やリハーサルなどを積み重ね、当日は客席と一体となった見事な演奏が披露されました。
そして、8月7日(日曜日)の福岡県吹奏楽コンクール(福岡県大会)においては、大利中学校吹奏楽部が見事に銀賞を受賞し、九州大会初出場〔8月20日(土曜日)開催〕を勝ち取りました。部員にとっては笑顔のはじける、記憶と記録に残る夏となったことでしょう。みんなで応援しましょう。
(井本 宗司)
第1回一億総活躍・地方創生全国大会in九州 ~震災を克(こ)えて~(7月27日・7月28日)
7月27日(水曜日)・28日(木曜日)の両日、福岡市内のホテルにて安倍晋三内閣総理大臣、高市早苗総務大臣、加藤勝信一億総活躍担当大臣を迎え、標記大会が2,000名の参加を得て開催されました。国家財政が厳しい中、いよいよ中央政府による自治体の選別が始まっているようである。地方には今、自主行政権・自主財政権の確立というものが求められているという空気が漂っていました。
さて、2日間の中で、私がなるほどと思ったパネラーの皆さんの言葉を紹介します。
- 麻生泰 九州経済連合会 会長
「自治体も競争の時代、とんがったところに補助金が出されるということだろう。」
- 畠山重篤 NPO法人森は海の恋人 理事長
「有明海のアサリはどうなった?ムツゴロウはどうなった?現代の科学技術の粋を集めてダムの改善をやるべきだろう。」
- 長山大介 C1X共同創業者
「スタートアップするのに、創業者はリスクをとっているか?アメリカのボルダーやシリコンバレーには、失敗を経験として讃えようとする風土がある。」
- 板倉武子 福岡女学院名誉教授
「84歳にして、総活躍一億人の一翼を担う心意気です。戦中戦後と時間や性差や年齢など様々な壁を乗り越えてきましたが、次を担う若い人たちの壁にはならないように心掛けたい。」
- 大塚昇一 小千谷市長
「復興計画成功の秘訣は、市民がワークショップで考え抜いたものを、行政が確実に実現していくということであろう。」
- 西村博則 益城町長
「一瞬の判断で成否が決まる。そして、首長は、職員の健康、被害の個人差、被災の風化ということに注視しなければならない。」
- 蒲島郁夫 熊本県知事
「地震で気づいたこと…“対応の政治”の大切さ、日常のありがたさ、一体感の重要性。私は、創造的復興を果たしたい。」
- 五百旗頭(いおきべ)真 熊本県立大学理事長
「地震の正確な予測は、現代科学では不可能であり、日本列島に安全地帯はない。被災者のやり場のない憤りは、常に誰かのせいに(自治体など)しようとする。」
(井本 宗司)
米国からのお客様(7月27日)
先週は米国からのお客様が2組ありました。
まず、7月21日(木曜日)に、ライオンズクラブ国際協会が若者たちの支援として実施しておられるYCE(Youth Camps Exchange)事業で、米国からカラリ・カストさんが来日。大野城市役所に大野城ライオンズクラブの牛原朱美会長(ホストファミリーとして受け入れされました)等役員の皆さんとともに表敬訪問されました。
また、7月23日(土曜日)には、今年で4回目となる「日米文化体験プログラム」でバーモント州から高校生10人と引率者6人が大野城市に到着。国際交流協会(大園雅子会長)はじめホストファミリーの方々とのウェルカムパーティーが盛大に開催されました。8月10日(水曜日)からは、大園会長、関井利夫副会長引率のもとで、6人の高校生・大学生がバーモント州へ研修に行かれます。
「百聞は一見に如かず」と言います。現地に足を運び、言葉を交わし、空気を感じることこそが国際化の第一歩ということでしょう。
(井本 宗司)
まつり(7月20日)
大野城市27区の夏まつりが始まりました。まず、7月17日(日曜日)に乙金区のふる里夏祭りに参加。毎年のことですが、乙金区に始まり、8月16日の牛頸区「納涼盆踊り大会」が納めとなります。私は全区を激励に回ります。7月23日に3区、7月30日には7区、8月6日は14区、8月7日は1区で夏まつりが予定されています。その他にも、陸上、航空両自衛隊や福祉施設などの夏まつりや納涼会にも出席し、共に踊り、少し(?)飲んで、大いに語り合って、暑い夏を乗り越える元気をいただいています。
大野城市では、夏のまつりが終わると秋の「おおの山城大文字まつり」の準備が始まります。第35回を迎える今年は、9月24日(土曜日)と25日(日曜日)の2日間、例年どおり「大文字公園」とその周辺で開催されます。市民各位には、たくさんのご来場をお待ちいたしております。
まつりは、世代を越えての賑わいの場づくりであり、文化伝承の貴重な「とき」を作ってくれます。それが、やがては地域の伝統となり、ここに住まう人々の誇りとなり、愛郷心を培ってくれます。まつり事業へのご参画も併せてよろしくお願いいたします。
さあ、家族そろって、まつりへ行こう!!
(井本 宗司)
結果は常に雄弁である(7月13日)
6月22日(水曜日)の告示からスタートした参議院議員選挙が終了しました。
今回は国政選挙としては初めて18歳と19歳に選挙権が与えられ、学校に投票所が設けられたり、各党はネットでの選挙運動に工夫を凝らしたりと、新しい風は確かに吹いていました。
さて、大野城市の国政選挙の投票率ですが、これまで周辺自治体と比べて低く推移してきていました。今回は、投票率アップに向け、南コミュニティセンターと北コミュニティセンターに期日前投票所を初めて設置(7月3日から7月9日まで)しました。その結果、投票率は55.38%。周辺自治体と肩を並べるところまで引き上げることができたと思います。なお、期日前投票は全体の27.09%で、前回の参議院議員選挙と比べて4.24%増となっています。
当日の投票所は18ヵ所、会場準備から片付けまで職員が額に汗して働いている、その姿も忘れてはなりません。さらなる投票率アップに向けて、今回の結果を分析し、改善策を示しながら次に生かすようにと私から指示を出したところです。
どんな選挙においても、結果は常に雄弁です。豊臣秀吉に仕えた軍師、黒田官兵衛曰く、「勝ちに不思議あれど、負けに不思議なし」と。当選された参議院議員各位には、今回の勝因は如何にありやと熟慮いただき、国の20年先、50年先も見据えた議論を、国会において堂々と展開していただくことを期待いたします。
(井本 宗司)
創業も、守成も難し~(7月6日)
唐時代の『貞観政要』には「創業は易く守成は難し」とありますが、激動の21世紀においては、創業も守成もそう簡単ではありません。
「創業」としては、去る7月1日(金曜日)、「一般社団法人大野城市にぎわいづくり協議会」の設立披露会が行われました。いよいよ本格的にスタートします。初代会長には安河内俊明まどかぴあ理事長が就任され、今後、ふるさと大野城市に点在する人、モノ、自然、歴史、お店、事業所、イベントなどの地域資源をつなぐための事業が、この協議会を拠点として精力的に展開されます。
そして「守成」では、7月3日(日曜日)に「公益財団法人おおのじょう緑のトラスト協会」の設立20周年記念式典が、地域や業界を越え、さらには世代を超えて盛大に開催されました。かつての荒廃した森林は、会員やボランティアの皆様の地道な活動によって緑豊かに変貌を遂げています。
大野城市では、「第1種自然環境保護区域(約427ha)」の用地取得を進めており、平成28年3月までに約113haを買い取っています。
ところで、梅原猛氏(哲学者)は、小学生への特別授業をまとめた『少年の夢』の中で、日本文化の最大の誇りについて次のように語っておられます。「日本の誇りは何かというと、私は森が多いことではないかと思うんです。(略)縄文時代は13,000年くらい前に始まって、2,300年前に終わった。約10,000年続いたわけです。森とともに生きる文化が日本の文化の根底だった」と。
私たちはふるさと大野城市に綿々と引き継がれてきた自然や歴史、そして人々の営みというものを今一度見つめなおし、未来の世代につないでいく責任と使命があります。
にぎわいを創ることも緑を守ることも大変な作業であり、難しいこともあるでしょう。しかし、大野城市がこれまで培ってきた市民力と職員力で必ずや所期の目的が達成されると信じています。
今後とも、両団体へのご支援とご協力を宜しくお願いいたします。
(井本 宗司)
未明の召集~見逃しは許さない~(6月22日)
梅雨前線が徐々に北上し、九州・中国・四国を横切る形で上がったり下がったりして、大雨をもたらしています。今回は6月22日からの2日間の災害対応への動きを概略報告します。
6月22日(水曜日)
4時00分 大雨・洪水注意報発表。
5時35分 大雨・洪水警報発表。
警報発表に伴い、警戒本部(副市長が本部長)を設置。
6時00分 校長会にて小中学校の臨時休校決定。
8時30分 警戒本部会議にて私より次のように指示 ――――
「全職員一丸となって対応すること。あらゆることを想定し、見逃しなきように。」と。
17時51分 土砂災害警戒情報発表に伴い、災害対策本部を設置。
自衛隊連絡員と消防団長が対策本部にて待機。
18時08分 避難準備情報を発令。
18時47分 災害情報伝達システム放送(1回目)
19時20分 災害情報伝達システム放送(2回目)
対象行政区(9区)の区長に個別連絡。4区では区長が公民館に待機。
職員4班編成で市内パトロールを実施。
その後、林道への土砂流入や水路増水などへの緊急対応。
6月23日(木曜日)
0時00分 小康状態となったため、人員の縮小を決定。
8時40分 災害対策本部を解除。
警報発令中は油断こそが大敵です。今回の警報発令中における最高の参集人員は274名。災害対策においては「空振りはOK。見逃しはNO。」と強く戒めています。
市職員は常に24時間態勢で災害に対応します。市民の皆様には、まずは「自分の身を守ること」を第一に行動されることをお願いします。
(井本 宗司)
牛頸ダム水源祭(6月18日)
大野城市は、1月末には大寒波に伴う宅内漏水により、2晩続けての断水を経験しました。そして4月の熊本・大分地震。本市から日田市へ、1.5ℓのペットボトル飲料水をトラックで運び支援しました。さらに熊本へは給水車を派遣。今年は「水」の有難さを痛感する年となっています。
さて、6月18日(土曜日)には牛頸ダム記念公園において、水の恵みの源である自然に感謝し、豊かな水の恩恵を授かることを願う「牛頸ダム水源祭」が執り行われました。
5月中旬から6月にかけては、清流の証ともいえるホタルが乱舞し、そして今は色とりどりのアジサイが、ダム周辺の道路脇で咲き誇っています。
日本三大窯跡群を抱く牛頸山と地元住民の方々による四季折々の営みは、古代から今日まで綿々と引き継がれ、関係者による切実なる祈りが今年も奉ぜられました。
(井本 宗司)
水防訓練(6月12日)
梅雨期に入り、恒例の水防訓練が行われました。
6月12日(日曜日)に御笠川堰堤(御笠の森小学校正門前)を使っての「積土のう工法」と「シート張り工法」に、大野城市職員(採用3年未満)48人と消防団95人が臨みました。
私が消防団員だった頃も同じように実施されていましたが、とにかく基本を学び、現場で技術を磨いていくことが大切なのです。体にしっかりと覚え込ませること、そのための訓練です。
また、今年は消防操法の福岡県大会に大野城市消防団が自動車ポンプの部、小型ポンプの部で筑紫地区代表として出場します。9月4日(日曜日)の大会に向けて、繰り返し繰り返しの訓練が、暑い熱い夏の期間行われることになります。
高野英機新団長のもとで、一糸乱れぬ動きに、さらに磨きがかかることを期待しています。
市民の皆さん!
防災の要である200人の若き消防団員は、生業に励みながらも、地域の安全安寧のために日夜努めてくれています。団服姿の彼等を見かけられたら、「頑張れ」の次に、「ありがとう」のひと言を添えてあげてください。
(井本 宗司)
四王寺県民の森40周年記念事業(6月4日)
福岡県立四王寺県民の森は、昭和41年(1966年)に着工され、昭和51年(1976年)6月に明治百年記念としてオープンしました。
太宰府市・宇美町そして大野城市の2市1町にまたがっており、面積は342ha。自然と歴史豊かな森林公園として親しまれ、平成27年度の公園利用者は約27万3千人となっています。
ここには平成18年に日本百名城に選定された国の特別史跡「大野城跡」があり、百名城のスタンプ帳を持った県内外からの訪問客も絶えることがないという。
6月4日(土曜日)には、40周年記念式典をはじめ、学習展示館のリニューアルオープニングセレモニー等が催されました。また、「緑の少年団」のみなさんと一緒に記念植樹を行い、次の50周年に向けての一里塚を印すことができました。
「一眼は遠く歴史の彼方へ、そして一眼は脚下の実践に」を座右に置いて、次の世代からのメッセージもしっかりとキャッチしながら、我がふるさとの歴史資産の整備も、大野城市は進めてまいります。
(井本 宗司)
継続支援こそ・・・6月から熊本県特産品を販売します/まどかショップPLUS
今年、開館20周年を迎えた「大野城まどかぴあ」北側には、東日本大震災以来被災地支援を続けている『まどかショップ』(写真)があります。ボランティアの皆さんによって、毎週日曜日にオープンしていますが、6月からは熊本県内の特産品やキャラクターグッズも販売することになりました。
利益部分はすべて支援先に届けますが、まずは、(1)たくさん仕入れて少しでも産地の応援をすること、(2)長く支援していく拠点としてまどかショップを根付かせること、このことが大切ではないでしょうか。この6月4日(土曜日)、5日(日曜日)はギャラリーモール内に特設ブースを設けて、熊本県特産品販売のキックオフイベントを行います。
ところで、5月29日、まどかぴあ大ホールで行われた『深夜放送同窓会』に出演された南こうせつさんが、語りの中で紹介されたエピソードが記憶に残っています。――彼が会った東日本被災自治体の首長さんは異口同音に次のように話されたそうです。――「私たちのことを、忘れないでください」と。
大野城市は忘れません。私たちは続けます。
(井本 宗司)
歴史と自然をつなぐ『四王寺山フェスタ』(5月21日)
霊峰「宝満山」と対比される聖地「四王寺山」、ここには665年築造の特別史跡『大野城跡』があります。
昨年は、基肄城(基山町)とともに築1350年の記念事業が進められてきましたが、5月21日(土曜日)には、城跡を歩きながら歴史を学び、自然を満喫できる健康登山ルート「大野城歴史の散歩道」が完成し、そのお披露目登山が「四王寺山フェスタ」事業の一環として行われました。
設立20周年を迎えた「公益財団法人 おおのじょう緑のトラスト協会」の屋外記念イベントとあわせて開催され、500名に及ぶ参加者の皆さんが、チェーンソーアートショー(写真)を取り囲んだり、カレーやシシ鍋などで昼食談義に花を咲かせたりで、一日中、にぎわいを見せていました。
(井本 宗司)
九州市長会(5月11日・12日)
5月11日(水曜日)・12日(木曜日)の2日間、沖縄県南城市において「第118回九州市長会・総会」が開催されました。
私は今回まで理事として出席(任期は2年間)、決算・予算議案をはじめ政府に要請する各分野の諸案件について協議がなされました。
今回は、特に「熊本地震に関する緊急支援策の要請文」に時間を割き、既存の法制等にとらわれることなく、迅速かつ万全の措置を講じるよう政府に訴える文案を満場一致で決議しました。
今こそ、回を重ねてきた九州市長会の底力を見せなければなりません。道州制議論が思ったように進まずにいるこの時、「九州府構想」を打ち出した想いというものを中央に投げかける使命が私たちにはあります。
熊本・大分の一日も早い復旧・復興に向けて、118人の市長は一つになって支援を続けていきます。(写真は総会冒頭に行われた黙祷の様子)
(井本 宗司)
ゆめ畑(4月29日)
筑紫地区にはJA筑紫の農産物直売所「ゆめ畑」が4ヶ所あります。大野城店では4月29日から3日間、7周年大感謝祭が催され、4,000人を超える来場者で賑わっていました。
市としては、土地の無償貸与や出荷に係る手数料の一部補助など様々なバックアップをしています。
店内では、テレビ放映で有名になった「かしわのオニギリ」や、仲畑農園の玉ねぎをふんだんに使用した「ジャポネドレッシング」(新商品)、新鮮野菜など豊富な品揃えをし、JA職員や女性グループの皆さんが元気な声で、お客様を迎えておられました。
(井本 宗司)
春の軽トラ市(4月24日)
錦町通り商店会と筒井・錦町まちづくり研究会では、恒例の「春の軽トラ市」を4月24日(日曜日)に錦町公園で開催しました。
9回目を数える市には、今回も平戸や小国など常連の軽トラ隊も参上。私も元気いっぱいの呼び込みにつられて、豆腐やいちご、八女茶、フランスパン、いりこ…と車(軽トラック?)いっぱいに買い物をして、「大野城鶏ぼっかけ」の昼食で仕上げ。楽しい時間をたくさんのお客さんといっしょに賑やかに過ごすことができました。
秋にも、「まどかフェスティバル」の時期にあわせて、軽トラはやって来る予定です。
(井本 宗司)
そなえよつねに(4月16日)
4月14日(木曜日)以降に熊本地方で連続して起きている地震は、 阿蘇地方や大分県へと連鎖し、大きな被害が出ています。
大野城市は、16日に給水車を熊本県へ派遣(18日に第2次派遣隊出発)。救援物資として日田市へ1.5ℓボトル640本、熊本市へ400本を支援(写真は日田市へ向けての出発式の様子)。
16日から4コミュニティセンターに避難所を設け(4月17日深夜には49世帯97人が一時的に避難されました)、義援金箱も「市役所」「まどかぴあ」「総合体育館」「コミュニティセンター」に設置しました。
被災地の1日も早い復興を願うとともに、いつ襲ってくるか分からない天地自然の災害に対し、私達は今一度、ヒトも、モノも、カネも、しくみもしっかりと備えておくべしと肝に銘じておかなければなりません。
1月の大寒波では宅内漏れによる初めての断水、そして現下の大地震。
「何が起きても不思議ではない」、そんな状況に世界はあるということです。
(井本 宗司)
新一年生(4月12日)
4月12日(火曜日)は、大野城市立10校の小学校で入学式が行われました。
今年は、1,035人のかわいい新一年生が、体よりも大きく見えるランドセルを背負って、やや緊張気味に校門をくぐっていました。私の孫も元気に入学式を迎えましたが、感慨ひとしおです。
さて、入学式に先立って、4月4日(月曜日)には恒例となっている交通安全協会からのオリジナルのランドセルカバー贈呈式が行われました。(写真)
交通安全指導員の皆さんは、学校での「交通安全教室」や朝の通学路での指導を行っておられます。
皆さんから、「ごくろうさまです。」のひと声を是非お願いします。
(井本 宗司)
辞令交付式(4月1日)
春になると門出の会が連日のように催されます。
大野城市では3月31日(木曜日)に「退職者辞令交付式」が行われ、17人の方が卒業されました。人生の佳境に入る第4コーナーを見事に曲り切り、皆さん元気にギアチェンジされていました。
4月1日(金曜日)には新規採用職員21人を含め、169人に異動や昇進者への辞令を交付(写真)しました。
新年度初日は、いつもピーンと張り詰めた空気が市役所には漂っています。
今年も、新しいエネルギーを感じる心地よい一日となりました。
(井本 宗司)
リニューアル
わがまちのホームページがリニューアルされました。スマートフォンでも見やすくなりましたが、情報も最新のものを提供するように厳命したところです。
インプットするのは「人」です。 仕事に対する取り組み姿勢がリニューアルされてこその内容充実であると私は考えています。
日本人がこよなく愛でる桜は今が満開。 昨年と同じ枝に芽吹き、鮮やかに新しい「いのち」の花を咲かせています。
これが、昨春から一新されたリニューアルの姿です。
(井本 宗司)
このページに関する問い合わせ先
総合政策部 秘書室 政策秘書担当
電話:092-580-1801
ファクス:092-573-7791
場所:本館3階