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貨布(かふ)
 

貨布

 仲島遺跡から昭和56年に見つかった青銅製の貨幣(かへい)です。貨布(かふ)は中国新(西暦8~25年)代に作られました。発掘調査では日本国内で初めての発見であったことから、マスコミにも大きく取り上げられました。その報道がきっかけになって、昭和28~29年ごろに長崎市城栄町の護国神社社殿前方で1枚拾われていたことがわかりました。土中から見つかったものとしては他に大阪府船橋遺跡で採集されたものがあります。国内ではこの三例だけです。また、朝鮮半島でも離島の済州島山地港で五銖銭(ごしゅせん)、貨泉(かせん)、大泉五十(たいせんごじゅう)、内行花文鏡(ないこうかもんきょう)などと一緒に見つかっているだけです。

貨布全体写真

仲島遺跡出土

 仲島遺跡は大野城市中畑2丁目に広がる遺跡で、弥生時代~奈良時代までの複合遺跡です。弥生時代の遺構(いこう)には竪穴住居(たてあなじゅうきょ)、掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)、土坑(どこう)、溝、甕棺墓(かめかんぼ)があります。

 貨布は幅80センチ、深さ60センチの溝から見つかりました。一緒に見つかった遺物(いぶつ)には、古墳時代後期の6世紀後半の須恵器(すえき)があります。この土器からこの溝が埋まりきったのは6世紀後半と考えられます。貨布が新時代に作られたものなら、日本では弥生時代中期末~後期初頭に当たり、その間500年の開きがあることになります。この年代的なズレから考えられることはいろいろありますが、次のような場合が想定されます。

(1)貨布は作られて比較的短時間のうちに(弥生時代のうちに)日本列島に搬入されたが、6世紀まで伝えられて、その後何らかの理由で埋まった。
(2)貨布は作られて比較的短時間のうちに(弥生時代のうちに)日本列島に搬入され、ほどなくして埋まって(埋められて)しまったが、6世紀後半ころ、本来埋まっていたところを何らかの理由で掘り返され、その時代の溝に落ち込んだ。
(3)貨布が作られて6世紀後半ころまで中国にあったが、そのころ日本列島に持ち込まれて埋まった。

 かつて九州大学教授であった岡崎敬氏は、王莽(おうもう)代の貨幣は東晋(西暦318~420年)や北魏(ほくぎ)時代(西暦439~534年)まで伝世されることがあり、王莽銭が出たからといってすぐに新と結びつけることには慎重になるべきだと説明しました。

 仲島遺跡出土の貨布の場合は、仲島遺跡一帯が古代中国と交流の深かった奴国(なこく)の範囲に含まれ、溝からは弥生土器も見つかっていることなどから、(2)の可能性が高いと考えられています。

王莽銭

 「新」の時代の歴史を記述しているのは『漢書』(かんじょ)ですが、貨幣についてはその中の『食貨史』と『王莽伝』の両方にあり、内容に違いがあります。すなわち、貨布の初鋳を「食貨史」では天鳳元年(西暦14年)とするのに対し、「王莽伝」では地皇元年(西暦20年)としています。日本で一般的に用いられているのは前者の天鳳元年(西暦14年)説です。

 王莽は貨幣制度に力を入れ、治世が短かった割には多くの貨幣を鋳造しています。4次の改革により、6種28品を出しています。1次から3次の改革であまりに複雑になりすぎたため、第4次の改革として整備するために作ったのが貨布と貨泉(かせん)です。価値に違いがあり、貨布1に対し、貨泉25です。にせ金を作った者は奴隷にする罰則もありました。王莽の作った貨幣を一般的に王莽銭と呼びます。

 王莽銭のうち、貨布は前述したとおり日本国内では3例が知られるのみですが、貨泉は大阪府以西の西日本を中心に20例以上の出土例が知られています。福岡県、長崎県、佐賀県から多く見つかっています。また、大泉五十(たいせんごじゅう)については、塩屋勝利氏によって、正規の貨幣より軽いことから新代のものではなく、後世のものであることが明らかにされています。

王莽銭いろいろ

王莽銭 (『工農考古基礎知識』文物出版より)

日本に流入した中国製貨幣

 日本列島には王莽銭以外にもたくさんの中国貨幣が持ち込まれてますが、古墳時代以前に限れば次のようなものがあります。秦(しん)(紀元前221~206年)・前漢(紀元前202~西暦8年)の半両銭が志摩町の御床松原遺跡で、前漢以来たびたび作られれた五誅銭が大阪市堺市の黄金塚古墳で出土しています。また、春秋時代(紀元前770~403年)の明刀銭が沖縄岳貝城で見つかっています。

日本での位置づけ

 貨布が中国の貨幣だったからといって、日本で貨幣として使われていたわけではありません。なぜなら当時の日本では貨幣が使われていなかったからです。仲島遺跡で見つかった貨布は、もしかしたら仲島にいた長(おさ)がペンダントとして身に着けていたのかもしれません。


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