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和銅六年銘ヘラ書き須恵器

 

ハセムシ窯跡群

 ハセムシ窯跡群は平野中学校から南に延びる丘陵上に広がる遺跡です。この地域の小字(こあざ)名をとってハセムシ窯跡群と名づけられました。

 ハセムシ窯跡群は平野中学校やその周辺の住宅建設に先立ち調査されました。古墳時代から奈良時代(今から1450年~1100年前)にかけて、須恵器を焼いた窯跡がたくさん見つかりました。その中でも特にNo.12地点としたところからは10基の窯跡が見つかり、たくさんの須恵器が見つかりました。

遺跡の写真

ハセムシ窯跡群No.12地点全景

須恵器の里

 大野城市には古墳時代から平安時代にかけて須恵器の窯跡がたくさん見つかっています。特に大野城市の南部にあたる牛頸に数多く造られたので、その一群を牛頸窯跡群(うしくびかまあとぐん)と呼んでいます。牛頸窯跡群は牛頸だけでなく、上大利や春日市、太宰府市の一部を含む東西4キロ、南北4.6キロの範囲に広がっていて、大阪府にある陶邑(すえむら)窯跡群や愛知県にある猿投(さなげ)山西南麓窯跡群と並んで日本三大窯跡群と呼んでもいいくらい多くの窯が造られました。現在までに約300基の窯が調査されていますが、総数は500基を超えるのではないかと考えられている須恵器の一大生産地でした。

 

須恵器とは

 牛頸窯跡群では6世紀の中頃から須恵器の生産が始まりました。山の斜面をくり抜いて作る窯で焼かれた須恵器は、焼くときの窯の中の温度が1100度以上と非常に高温になるため、大変硬くなります。また、高温になった段階で閉じてしまい酸素の供給を断つことから灰色になります。

須恵器の写真

須恵器

 同じ時代に作られた土師器(はじき)は、酸素の供給ができる野焼きの方法で焼かれました。そのため焼く温度は600~800度と低く、焼き上がりも赤い色をしています。

土師器の写真

土師器

 須恵器は水などの液体を入れるのに適し、土師器は煮炊きに適しました。


優れた技術

 須恵器を作る技術は、朝鮮半島からもたらされました。須恵器を作る人々は須恵器工人(こうじん)と呼ばれ、5世紀の初め頃西日本の数箇所にその技術を伝えました。大阪府の陶邑窯跡群が中心的な窯跡群となり、その後工人が6世紀中頃牛頸へも技術を伝えました。

 

和銅六年銘ヘラ書き須恵器 (わどうろくねんめいへらがきすえき) 

 ヘラ書き須恵器とは、ヘラのような工具で文字が刻まれた須恵器のことをいいます。その中でも「和銅六年」という年号が刻まれた須恵器が見つかったことから、このような名称がついています。また、この須恵器には「調」という古代の税の種類についても記されており、大変な発見となりました。

和銅六年銘ヘラ書き須恵器の写真

和銅六年銘ヘラ書き須恵器

土器に書いてある文字の写真

 

土器に書いてある文字の写真

ヘラ書き須恵器拓本

古代の税制

 701年、大宝律令が作られ、人々は良民(りょうみん)と賤民(せんみん)に区別され、6年毎に作られる戸籍(こせき)に登録されました。良民の一部が貴族として高い地位につきました。また、年齢や性別によりさまざまな税を負担したり、兵役(へいえき)の義務を課せられました。

名称 課税対象 税の内容
租(そ) 水田 稲(収穫の約3%)
調(ちょう) 男子 17歳以上 絹・糸・真綿・特産物
庸(よう) 男子 21歳以上 麻(麻布):労役のかわり
雑徭(ぞうよう) 男子 17歳以上 労働(年間60日以下)
兵役(へいえき) 男子 21歳以上 3人に1人

1年(防人〈さきもり〉は3年)
食料・武具を自分で負担

出挙(すいこ)   稲(5割の利息)

 「調」とは17歳以上の男子に課せられた税の中の一つで、絹・糸・真綿や地方の特産物を納めなければなりませんでした。ハセムシ窯跡群で見つかった須恵器の甕片に刻まれた調という文字から、延喜式(えんぎしき)という古代の文献に記載されていた内容と一致することがわかりました。

 当時九州は西海道と呼ばれ、九国(筑前国〈現在の福岡県北西部〉・筑後国・肥前国・肥後国・豊前国・日向国・薩摩国・大隅国)と対馬・壱岐の二島からなっていました。西海道の税は一旦大宰府に集められました。その後一部が平城京へ納められました。

九州地図

西海道の様子

 それ以外の地域(東山道・東海道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道)の税は直接平城京(へいじょうきょう)へと集められました。

日本地図

平城京とその他の地域

誰が書いたのか?

 文字が刻まれた須恵器の甕片は10点ほど見つかりました。この文字を書いた人は誰でしょう。文字が刻まれたのは須恵器を焼く前の段階です。となると、考えられるのは須恵器工人ということになります。10点の文字を比較してみると、筆跡が異なることからすべて同じ工人が書いたというわけではないようです。

書かれた文字の内容

 10点の内容を比較してみると、ある法則性が見えてきます。まず最初に地名、次に人名・人数、調納名・量、年月日となります。具体的にハセムシ窯跡出土の甕片で見てみましょう。

国名・群名・里名 筑前国奈珂群手東里(ちくぜんなかぐんしゅとうり)
人名・人数 大神君百江(おおみわのきみももえ)
大神部麻呂(おおみわべまろ)       三人
内椋人万呂(うちつくらひとまろ)
調納名・量 調・大甕・一
年月日 和銅六年

 この体裁は平城京や藤原宮(ふじわらきょう)の木簡(もっかん)に見られるものと同様ですが、これまで須恵器に書かれたものは見つかっていません。


問い合わせ先

 ふるさと文化財課文化財担当
 電話 092-580-1916、092-580-1917
 ファクス 092-501-2270
 メールアドレス furusato@city.onojo.fukuoka.jp
 場所 市役所 本館5階〔〒816-8510 大野城市曙町二丁目2-1


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