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小田浦(おだうら)窯跡の現地説明会の写真です。当日は悪天候にかかわらず熱心な考古学ファン180人の参加がありました。
場所大野城市の南部に位置する牛頸地区は、約1450年前~約1150年前(古墳時代後期~平安時代はじめ)の須恵器(すえき)という焼き物の窯(かま)が数多く見つかっていることで、全国的にも有名(「牛頸窯跡群〈うしくびかまあとぐん〉」)です。
現在発掘調査を行っている小田浦窯跡(79地点)もその一つで、月の浦と平野台の間に位置する丘陵の斜面(牛頸1丁目2329-1他)で発見されました。標高は約85~95メートルです。
調査前
調査後 牛頸窯跡群とは大野城市牛頸・上大利を中心に、春日市の一部から太宰府市の一部にまで(東西4キロ、南北4.6キロ)広がる遺跡です。これまで約300基も発掘調査されています。当時、実際に作られた数は知ることは出来ませんが、500基以上あったことは間違いないでしょう。 この数は九州最大で、全国でも大阪府陶邑(すえむら)窯跡群、愛知県猿投(さなげ)窯跡群に次ぐ規模と考えられています。 このように、牛頸窯跡群は九州はもとより全国的にも知られた遺跡なのです。
発掘調査の成果●概要 これらの窯の大きさは、4基のうち3基が、長さ10メートルを越える比較的大形のものです。これまで牛頸窯跡群の中では、このように大形の窯が一箇所にまとまって発見された例はなく、当時の中心的な須恵器生産の場所であったことが想像されます。 ●3号窯の調査
まず、煙出し・煙突(煙道)の作り方が、「多孔式煙道(たこうしきえんどう)」と呼ばれるものであったということです。一般的な窯の煙道が一つの大きな穴であるのに対して、多孔式煙道とは、いくつかの小さな穴で煙道が構成されているものです。これは全国でも牛頸窯跡群独特の特徴として注目されています。この3号窯では大きな柱状の石と粘土の柱を組み合わせて5つの穴を作り出していたことがわかりました。
煙道部の作り以外に、焼成部(しょうせいぶ)(須恵器を並べて焼くところ)の床面でほとんど焼けていない須恵器が見つかったことも注目されます。このほとんど焼けていない須恵器の上には、窯の崩れた天井が覆っていました。このことから、窯で火を焚きだしてすぐに天井が崩れ、須恵器を焼くのをあきらめた可能性が高いと考えられます。
また、現在確認中ですが、いま見えている窯の床から約1.6メートル下でも、窯の床が確認できました。このことから作られた当初の窯の床は、ずっと深いところにあり、天井も約3メートル手前に長かったと考えられ、非常に大きな窯であったと創造されます。その後、天井が崩れたりなどの理由によって、大規模な改修工事を行い、やや小ぶりに作り直したのでしょう。
このように、この窯は補修・改修を繰り返しながら、何度も利用していて、当時の職人(工人:こうじん)たちの苦心と工夫の跡が読み取れます。 この窯からは、たくさんの須恵器が見つかり、その年代は6世紀末~7世紀初頭ごろ(古墳時代の終わり頃)と考えられています。 ●1・2・4号窯の調査 現時点で最も注目されるのは1・2号窯で7世紀前半頃の須恵器と一緒にまとまった量の瓦が見つかっていることです。これによってこの窯で瓦を焼いていたことが明らかとなりましたが、当時、瓦は大変貴重なもので、ごく一部の重要な施設でのみ使用されていました。この窯で焼かれた瓦がどこに運ばれたのか、とても興味深い問題といえるでしょう。
おわりに小田浦窯跡をはじめとして、九州最大の須恵器の生産地である「牛頸窯跡群」は、大野城市を代表する貴重な歴史遺産といえます。今後多くの方々にご協力を頂きながら、この歴史遺産を末永く後世に伝え、活用していただけるよう取り組んでいきたいと思います。 |
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