大野城市役所では、職員による出前講座を実施しています。市役所職員が講師となって各所に派遣され、市に関することを楽しく学んだり生涯学習活動を行なう出張講座です。
歴史資料展示室の職員も、小中学校や一般の団体からの要望を受けて歴史や民俗について楽しく解説しています。今回はその様子を紹介します。
平成16年4月21日(水)
大野南小学校6年生社会科総合学習「温故知新の旅」

大野南小学校の6年生は、毎年5月下旬の修学旅行のときに「歴史」と「平和」グループに分かれて調べ学習をします。歴史グループは、福岡から長崎に通じる「長崎街道」に注目し、街道とそこに関連する地域について学習します。この事前学習として出前講座を活用してくれました。
授業内容
長崎街道ってなに?
昔の旅人たちが通った道は「街道」と呼ばれました。福岡県から長崎県を結ぶ道は「長崎街道」といいました。全体で約57里(約228キロ) の距離で豊前国・筑前国・肥前国の3国にわたり、25の「宿(しゅく)」がありました。宿とは、旅人が休む宿屋・商店が建ち並ぶ町です。昔の人が馬に乗ったり歩いたりした道が、今もずっと残されているのです。
長崎街道のルート
長崎街道のスタート地点は、北九州市小倉の常盤橋です。常盤橋のそばには「長崎街道起点」という表示があります。
大野城市は長崎街道上にありません。大野城市の近くで長崎街道の宿があったのは筑紫野市の「山家宿(やまえしゅく)」です。山家宿は「筑前六宿」のひとつで、とてもにぎわっていたそうです。今でも町並みが保存されています。

長崎街道のルート
どんな人・ものが通った?
日本人の旅人・歴史上の人物・政府の役人が、長崎を目指しこの道を歩きました。それだけでなく、長崎を通じて輸入された珍しいものもここを通りました。江戸時代に長崎から江戸を目指して象・ラクダなどがこの道を通った記録が残っています。また、砂糖も長崎街道を通じて日本中に広まり、街道はのちに「シュガーロード」と呼ばれたほどでした。
長崎街道のゴール地点・長崎
16世紀の元亀元年(1570年)、ポルトガル船が日本にやってきたとき、当時の大村領主・大村純忠が港を開いたのが長崎の始まりです。寛永10年(1633年)に日本で鎖国がなされた時から、日本でただ一つの外国に開かれた港になりました。ここにはたくさんの外国文化や学問が伝わり、それに触れ、学ぶために多くの日本人・外国人が長崎に訪れました。坂本竜馬・上野彦馬・シーボルト・グラバーなどがとくに有名です。
長崎街道と大野城市
大野城市には長崎街道は通らず、日田街道(宰府往還)が通っていました。長崎街道を通りたい人はこれらの道を使って街道に出ていたのではないでしょうか。学習するときはぜひ一緒に考えてみてください。

長崎街道と日田街道(宰府往還)の位置関係
授業を終えて
4月ということもあり、6年生の子どもたちの歴史学習はまだ進んでいませんでした。また、大野城市と長崎街道を関連づけることが難しく、説明に工夫がいる授業でした。
しかし、象やラクダが通った道、砂糖がもたらされた道、歴史上の有名人が通った道ということがわかると、とても興味を持ってくれたようでした。授業のあと、家族に話して聞かせたり、調べ学習に意欲が出て修学旅行が楽しみになったとの感想をもらい、とても嬉しかったです。
今後も市民のみなさんが歴史や文化財について楽しく理解する手助けをしていきたいと思います。
出前講座を利用しませんか?
大野城市の「生涯学習まちづくり出前講座」は市民や市内の事業所等に勤務する10人以上のグループ・団体であれば利用可能です。10のテーマに合わせた楽しい講座を用意しています。例えば、今回紹介した講座は「文化・歴史・スポーツ」ジャンルの「大野城市今昔物語」です。
詳しくはコミュニティ振興課(電話092-580-1836)まで問い合わせてください。











