平成20年6月のふれあい歴史体験は「七夕飾りを作ろう」でした。七夕は昔ながらの節句の一つで,今年も笹竹いっぱいにお供えの飾りや願い事を書いた短冊を下げたりしました。
▼ 七夕飾り作り
▼ こより付け
▼ 飾りつけ
七夕とは
七月七日は、織姫(おりひめ)と彦星(ひこぼし)が一年に一度だけ天の川で出会う日として知られています。今年も各地で願い事を書いた短冊(たんざく)や飾り物が笹竹いっぱいに吊るされることでしょう。しかしもともとの七夕祭りは、作物の実りを神様に感しお供えするという収穫祭(しゅうかくさい)の意味がありました。江戸時代にさかのぼると、七夕は"五節句”(ごせっく)の一つで、国をあげての大きな行事(ぎょうじ)でした。五節句とは、季節の節目(ふしめ)に行われるもので、その多くは中国から伝わったものでした。七夕もその一つで、その起源は中国の牽牛星(けんぎゅうせい)と織女星(しょくじょせい)の2つ星の伝説と、のちに始まった<乞巧奠>(きこうでん)という中国の行事が、奈良時代に日本に渡り、日本に昔からあった、"棚機姫”(たなばたひめ)または”棚機津女”(たなばたつめ)の話と合体したのではないかといわれています。
これらをゆっくりひもといてみましょう!
中国・2つ星伝説☆
今から2000年前、すでにこのお話は、中国にあったといわれています。 天帝(てんてい)の怒りをかって天の川の両岸に離された、牽牛星(鷲座の彦星)と織女星(琴座の織姫)は一年に一度だけ、白鳥座の近くにある、かささぎの橋を渡って出会うことが許されます。この日が旧暦の7月7日の夜のことでした。
のちに織女が機織り(はたおり)が巧(たく)みなことにあやかり、裁縫(さいほう)・手芸・琴などの上達を祈願(きがん)したり、牽牛が農事(のうじ)に巧みなことにちなみ、豊作を祈願し初物(この時期初めて獲れた作物)やご馳走を供えるようになりました。この七夕まつりを、中国では“乞巧奠”(巧みになるように乞うという意味)といいます。そしてこれらの文化が海を渡って日本に伝わりました。
棚機姫or棚機津女
一方、古来日本には旧暦の7月7日頃に大事な神事(しんじ)がとり行われていました。これは”祓え”(はらえ)という儀式棚機姫または棚機津女と呼ばれる女性が登場します。、ここでいう“棚機”とは、布を織る機械のことを意味し、祓えはお盆に先祖をお迎えする前に、村人たちの穢れと神様に持ち帰ってもらう神事でした。なにをするのかというと、奥深い水辺の機屋(はたや)に、穢れ(けがれ)を知らない棚機津女(布を織る女性)が、こもって神をお迎えし、お祓いをするというものでした。この神事は夕刻に行われていたため、「七夕」と書いて「たなばた」と読ませるのもここから始まったと考えられています。
「日本書記」によれば、持統天皇(じとうてんのう)(690~697年在位)の宮廷で、七夕の宴(うたげ)が催(もよお)されたのが、日本で最初の七夕まつりのようです。
江戸時代になると、七夕の行事は民間にも広がります。笹竹に短冊を飾るスタイルもこのころ定着したようです。毎年この時期になると「竹やぁ、竹やぁ」の売り声がこだまし、どの家でも長い笹飾りを屋根の上に高く立てあげたと言います。 日本古来の神事や儀式と、中国の行事がうまく混ぜ合わさったからこそ、七夕はいまでも日本の各地にさまざまな形で、大切に伝えられているのかもしれません。
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