養蚕民具展を平成21年1月20日から3月10日まで開きました。養蚕に関係する民具や実物の繭、絹製品などを展示しました。
▲養蚕民具展の様子
養蚕の起源
養蚕(ようさん)は古くから行われていました。その起源は中国に求められます。遺跡(いせき)から出土する青銅(せいどう)の斧(おの)や壺(つぼ)に付着していた布が絹織物であったことから、紀元前17世紀~前11世紀の殷(いん)の時代には養蚕が始められていたと考えられています。一方、中国の元の王楨(おうてい)が書いた『農書』(1313年)の3巻に「淮南王(わいなんおう)蚕経にいう 黄帝元妃西陵氏始めて蚕す」と記述されていることから、これが養蚕の起源として広く引用されています。しかし、黄帝についてはあまりよくわかっていません。系譜としては中国最古の王朝である夏(か)の祖先の禹(う)のさらに祖先にあたるということですが、黄帝が実在の人物かどうかは不明です。
日本では弥生時代には養蚕が行われていました。養蚕の技術は渡来人によってもたらされたもので、製糸や機織なども行われていました。当時の織は平織りでした。明治時代になると外貨獲得のために、生糸を輸出するようになります。
大野城市の養蚕
大野村(現在の大野城市)は明治時代15年ごろから養蚕に力を入れるようになりました。大正12年には蚕から取れる繭の収穫量は12,344貫(約46.29トン)で、筑紫郡の中では筑紫村と並ぶ一大繭の生産地だったことがわかります。繭1個の重さを約2グラムと考えると、繭玉数にして2,300万個以上取れていたことになります。大正14年の大野村議会では、新たに道路を整備し、福岡県蚕業試験場の誘致を決め、現在の市役所の場所に試験場が建築されました。蚕業試験場が完成したことで、養蚕指導の拠点となり、周辺は広い桑畑が広がることとなりました。『筑紫郡の蚕業』によると、大正3年に春蚕を飼育していた農家は86戸だったのに対し、大正12年には235戸に増えています。
詳しくは、『大野城市の文化財』第41集〈大野城市の養蚕〉に掲載していますので、見てください。
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